子平の歴史 と方法論

1.子平の方法論

  子平の方法論といってもその全てをここで説明するには、紙数が足りません。

  子平の判断に至るまでのプロセスを簡単に説明すると、次の様になります。

  A.命式作成:生年月日時を十干十二支で表す。

  B.審事:命式を従・不従(内格と外格)に分ける。

       格局と用神を見極める。

       命式の干支を喜神・忌神・閑神に分ける。

  C.推命:審事の結果の情報から命式と行運を判断する。

  以上でおわかりになると思われるが、一般書店で販売されている本では、格局・用神・喜忌には一

  言も触れられていません。さらには、四柱どころか生時不明のまま、三柱で占っているものすらあ

  ります。

  しかし、本来の子平の理論からすると、絶対に判断できるはずがないのです。

  以下実例を記して、本来の子平の紹介に変えたいと思います。

 

  S48年3月20日午前5時47分生 生地:東京 女命

  時 日 月 年       木:二干三支当令

  己 乙 乙 癸       水:一干一支

  卯 卯 卯 丑       土:一干一支

     (乙)        格局:従旺格 喜神:水木 忌神:金土火

上の命式は、お天気キャスターから女優に転身した女性の命式です。

日主乙は、一見弱そうに見える草花で神経が細やかで温和そうに見えます。

しかし、従旺格で非常に強く、また、時干は下固の作用となり、大地に根を張った草花です。

したがって、本当は、見た目の柔らかさと違い、芯の強い人物であると思われます。

但し、乙は伏吟雑草となっており、月日互いに助け合わない為、発展力にやや欠けます。

また、この従旺格は、日主が非常に強力な為、年干の水を必要としません。本人が望めば、社会

的な活躍も可能ですが、むしろマイペースで楽しい人生の方を選択されるのではないでしょうか。

 

2.子平の歴史  阿藤秀夫著 中国五術研究発展協会季刊誌連載「五術関連資料の考察」より

子平推命は、一般に推命術、算命術のジャンルに区分され運命を判断する学問とされている。

中国古典では、「子平(しへい)」と呼ばれている。これは、占いに用いる六十干支(六十甲子)の

五行のバランスを取ることを子平といい、また開祖が宋代の徐子平(じょしへい)ということで、そ

の名に由来して子平と名づけられている。しかし、子平が中国の歴史おいて登場するのは、明代であ

って、それは、『明史(藝文志』の子部の術数、五行類に「子平」という名称は既に確立している。

原始の子平は、五星と同類視されていました。

【五星】 日月金水木火土の実星を使う中国占星術。漢代以後流行し、人の生まれた時の星の位置に

    よって運命を占う。五星はまた星宗、七政(七政四餘)と呼ばれる。

五星(星宗)は唐代中期の張果の『果老星宗(五星命理)』に初まります。

これらの占術が、やがて七政、四餘と二十八宿を生辰から星図に配して行くものと子平のように生辰

(生年月日時)の八字をもとに占うものとに分かれて行ったと考えられます。

宋朝になるとかなりの数の「三命書」が現れました。『宋史藝文志』の中ではまだ「子平」という記

述はなく、宋代には「子平」という名称は使われていなかったと考えられます。

民衆の間で子平の的中率が評判となって来るのは、明朝に入ってからであると推測されます。  

明時代の書では、現在、四種の代表的な子平書が残されています。

  劉基(りゅうき) 三命奇談滴天髄一卷(さんめいきだんてきてんずい)

  雷鳴夏(らいめいか) 子平管見二卷 (しへいかんけん)

  李欽(りかん)  淵海子平大全六卷 (えんかいしへい)

  萬民英(ばんみんえい)三命通會十二卷 (さんめいつうかい)

 以上の明代の資料は、次のような名称で現代に残されている。

 新○誠意伯秘授玄徹通旨滴天髄二卷  劉基題  明末長庚舘刊 台湾中央圖書館

子平管見集觧二卷  雷鳴夏撰 明刊   内閣文庫漢籍目録

 刻京臺増補淵海子平大全六卷    明李欽撰 鄭繼華宗文堂  宮内庁書陵部

 三命通會十二卷          萬民英撰 明刊   台湾中央圖書館

書名には三命とか子平という用語が頻繁に用いられているが、この三命については『宋史(藝文志)

』の『珞○子三命消息賦(徐子平撰)』『李燕三命(李燕撰)』は現存しており、この他現存しない

資料に関しても、宋代の推命術は、一般に三命と呼ばれていたようである。しかし、『珞○子三命消

息賦(徐子平撰)』『李燕三命(李燕撰)』の内容は、とても子平推命を論じているというレベルの

ものではない。

宋元明の資料を集めた『千頃堂書目(清代、黄虞稷撰)』には、『子平三命通變三卷(徐大昇撰)』

『子平淵海大全五卷(不知撰人)』があり、徐大昇の著作は、『淵海子平』の中に収められている。

この他の私蔵の『萬卷堂書目(明代)』に『淵源子平(徐文昇撰)』とあり、『淵海子平』がまと

められる前に『淵源子平』という書が存在していたようである。この徐大昇の著作は、文献からも

宋代ものだと特定することができる。そのおもな内容は、五行段階の子平推命を論じたものである。

これ以前では唐代、李虚中の『李虚中命書』『子平一覧二卷(萬卷堂書目)』などがあり、後者は

現物がないので、唐代のものと特定することはできない。『李虚中命書』においても子平推命のレ

ベルに達しているものではない。『淵海子平』は、子平詩(七言)、四言獨歩、五言獨歩という詩

集で構成された部分と賦によって集められた部分がある。

清代の『古今圖書集成(一七二五)』の明代星命部名流列傳に、当時の子平の名人の記載があり、

劉日新、郭景夏、李董、鄭希誠、陳巴山、・永達、萬祺、金鬼名、高平川、明日章、劉興漢、張神

峯(臨川)の十二名で、その中で現代に著作が残されているのは張神峯(張楠)の『神峯通考命理

正宗(明刊、蓬左文庫)』だけである。この書籍は明史には記載がない。

現存する資料から考察を加えると『淵海子平』『三命通會』『命理正宗』は子平の全集であり、当

時の子平資料を集めたものである。内容はほとんど諸子選択されたものではなく、宋代からの資料

と明代の資料が並立して集められている。これに対して『滴天髄』と『子平管見』は子平の推命方

法に関する理論を提示しており、前三書とは根本的に異なった意図のもとに書かれている。理論面

から見て、純粋に子平推命の確立を指向しているのは『滴天髄』と『子平管見』の二書のみである。

『淵海子平』その他の書籍中に収められている『継善編』は原始的な格局推命を論じており、一貫

性がなく並立して論じられている『淵海子平』の中で唯一格局と用神の関係において論理の統一を

もった子平といえる。

しかし、その内容は大変短く、子平の短編集といったところで、内容もある特定の命式の判断のみ

にとどまっている。これは、経験則によったいわば、子平推命の解釈の原点といっても過言ではな

い。この研究姿勢に現代の四柱推命は、回帰するべきである。

『三命通會』の中に『明通賦(徐子平撰)』というものがあり、この賦は、子平の判断を羅列して

いるが、その内容は、非常にレベルの高い子平推命理論を展開している。しかしながら、その理論

は断片的なものであり、論理統一される前の前時代の子平推命ともみられる。

『命理正宗』は基本的に『淵海子平』と同様であるが、ただ異なるところは理論面において張神峯

の独自な見解がみられることである。

『子平管見』は上下二巻で構成されており、上巻はすべて七言の詩賦で著されている。そして下巻

は賦の形で書かれている。律詩は宋代の学問の特徴であり、『淵海子平』においても同じ形式をも

つため子平は、唐宋代において成立していたと考えられる。賦の形式は漢代の学問の表記形式であ

り、漢代の思想を色濃くしている。

これとは対照的に『滴天髄』は、四言、五言、六言、七言等の詩賦によるすべての書式を用いて書

かれており、中国の文学作品としても大変異端的な傾向をもつ。固定した書式に捕らわれないその

内容には、『緯書』にみられるような革命的な思想が根底に流れていると考えられる。

したがって、唐宋時代に子平は成立していたものの理論面において完成を果たすのは明代になって

からだと考えられる。

 補 記

本文で紹介した明刊の『滴天髄』は、中国大陸で文化革命が勃発し、台湾にその資料が持たらされ

なければ、中国で永久に埋没し、二度と我々の目に触れることはなかっただろうと推測できます。

まさに奇跡というべきで、我々子平研究家にとっては、非常に貴重な研究資料であると深く認識し

なければなりません。

また明刊の『子平管見』も世界で唯一、日本にしか残されていません。他中国、台湾、アメリカ等、

どの図書館にも存在しておりません。この『子平管見』の発見も明刊の『滴天髄』に匹敵するほど

子平研究史に於いて非常に意味のある大きな考古学的発見と肩を並べられると筆者は、自負してい

ます。

 

清史藝文志では子平に変わって中国北方で発達

した太乙、六壬、遁甲の三式占の書籍である『奇門闡秘六卷』や『六壬經緯六卷』『六壬指南五卷』

などの書が、新たに収められており、子平に関する書籍が無視されています。 清代の子平は、おそ

らく民間で行われ、その研究は『淵海子平』をもとに発展して行ったと考えられます。

例えば沈孝瞻の『子平眞詮』や作者不明の『欄江網』等に受け継がれています。

『子平眞詮』は『淵海子平』の格局を捨て、五行の強弱による月令用神を主体として、全く異なった

格局の概念を打ち立てました。

『欄江網』は月令(季節)を重視し、調候という概念を主体に判断しようとするものです。

清代の『滴天髄』の刊本は、陳素庵の『滴天髄輯要』、程芝雲の『秘授命理須知滴天髄』、任鐵樵の

『滴天髄闡微』の三書が新たに版を変えて出版され、現在に残されています。

清朝以後の子平は、民国の徐樂吾と袁樹珊が多くの著作を残しています。

徐樂吾は『滴天髄』『子平眞詮』『欄江網』そして『造化元鑰』の四書に注を加えました。徐樂吾自

身の著書には『古今名人命鑑』『子平粹言』『命理一得』『命理入門』『子平一得』などがあります。

袁樹珊は『命理探原』『命譜』『滴天髄闡徴』等を残しています。

最後に代表的な図書目録を参考までに挙げておきます。

日本

 国会図書館

  刻京臺増補淵海子平大全六卷 宋徐升撰 李欽増補 江戸末写本

  新刊合併官板音義評註淵海子平五卷 明楊淙増校、宋徐升撰 民国鉛印

  秘授命理須知滴天髄上下卷 京圖撰 劉基註 清刊本

 宮内庁書陵部

  刻京臺増補淵海子平大全六卷 明 李欽  明 萬暦三四版

  三命通會十二巻       明 萬民英 明 萬暦版

 内閣文庫

  子平管見集觧    雷鳴夏撰 明刊

  新刊京本釐正總括天機星學正傳二十二卷首二巻圖三巻 明楊淙撰 明萬暦十刊  

  三命通會十二巻        清 萬民英撰 蒋國祥校 清雍正一三序刊

台湾

 中央圖書館善本書目

  新 誠意伯秘授玄徹通旨滴天髄二卷 劉基撰 明末長庚舘刊

  三命通會      萬民英撰 明萬暦刊本

  耕寸集不分巻(子平眞詮)   不著撰人 抄本