+ BLUE SUNSHINE +





<act V>


「やんのか?少尉さんよ?」
「…上等だっつってんだろうが」
鼻と鼻を突き合わせ一触即発の空気が漂う。先に動いたのはナイルだった。
ヒュ…と息を吐き出すと一歩後ろに下がってハイキックを繰り出した。
ハボックは腕を払ってその脚を払い落とすと反動を利用して払い落とした腕を振り上げ、
ナイルの頬骨目がけて手の甲を振り下ろす。
甲がヒットし相手がふらついた。
その瞬間を見逃さず軸脚を回転させ、そのまま脚を蹴りだして相手の腰に食い
込ませる。
人垣に倒れ込んだ相手を冷ややかな目で見下ろして、ハボックが静かに言った。
「…立て。まだ終わりじゃねぇぞ」
相手が立ち上がるのを待って、今度はハボックから攻撃を仕掛けた。
怯んだ相手の肩を掴んで前に送り出し、無防備な背中に肘を打つ。
「少尉…強…っ」
初めて目の当たりにするハボックの身のこなしに、エドワードは驚嘆した。
普段は穏やかな表情のハボックしか見た事が無かったので実際に闘う姿を想像
出来なかったのだが、ひとつひとつの動作に無駄が無い。
必要最小限の動きで相手の攻撃を躱し、自分の攻撃を確実に相手にヒットさせていた。
「ほらどうした。立てないなら立たせてやろうか」
腹にハボックの膝を喰らい、胃液を吐いて床に蹲るナイルの前髪を掴んで、無理矢理
立たせる。
「…っ、そこのガキが…艦を蹴りやがったんだ…っ」
苦しそうな呼吸をしながらナイルが呻く。
そんな相手を冷淡な瞳で見下ろしながら、ハボックは自分の目の高さまで相手を
引き上げた。
「ああ、そうかい。そいつは悪かったなァ……でもな、そんな事俺に取っちゃどーでも
 いーんだ。アンタはエドワードの機械鎧を馬鹿にした。挙句の果てには夜の性欲処理の
 道具とまで言い切ってくれたよなあ?………絶対に許さねェぞ……!!」
そう言い放つと、ギリ…と相手の肩と腕を逆の方向に捻る。
みしみしと骨が軋む音と、ナイルの絶叫が第二甲板に響き渡った。
「肩、壊してやるよ。…二度と腕が持ち上げられないように、な」
顔色一つ変えずに、肘を相手の腕の付け根目がけて振り下ろそうとした、その瞬間。
「少尉、もう良いから!!もうやめろ!!」
エドワードが必死にハボックの腕を取って、ナイルの身体とハボックを引き離す。
「もう、良いから…!!俺が悪かったんだから……頼むから…もう…」
それだけ告げるとエドワードはくるりと身体を背け、人垣の間を抜けてその場から
走り去った。
「エドワード!」
ハボックが後を追おうとしたが、人垣から伸びてきた腕がハボックの肩を掴んで
引き止める。
「……ハボック〜〜〜〜……!!」
「あららら、大佐…」
そこには、静かな怒りを湛えたロイの姿があった。
「馬鹿者!」
良く通るロイの声と共に鈍い音がしてハボックの身体が傾いだ。
周りを取り囲んでいた野次馬達が騒めく。
見物人に構わず、ロイは返す平手でもう一度ハボックを殴りつけた。
「視察に訪れた先で暴力沙汰を起こすと何事だ!貴様、軍の規律を何だと思っている!」
怒鳴りながらロイはハボックに小さく目配せをした。
『今は、何も言うな』
それを受けてハボックも口元を拭う振りをし、了解の合図を送る。
「あとで私の部屋に来るように。…厳罰を覚悟しろ、少尉」
ロイの冷酷な言葉に、見物人からハボックに対する同情の声がちらほらと上がり始めた。
「あそこまで言う事無いのに…」
「確かに先に手を出したのはあっちだけどさ、その前にナイルが散々嗾けていたから
 なぁ」
「あんな小さい子の義手を見て、酷い事言いやがって…なあ?」
そうだそうだと観衆が騒ぎ出した。
その中の一人が一歩前に歩み出てロイの肩をぽんと叩く。
「大佐さんよ。別に暴力沙汰なんか起きちゃいねーよ。
 海軍と陸軍の体術格闘の違いってのを、実践で比べてただけなんだからさ」
そうだよな、みんな?と男が観衆に同意を促す。
それぞれが顔を見合わせ、頷いて賛同した。
――ただ一人、肩を押さえたまま蹲っているナイルを除いては。
「…っざけんな!お前等、みんな俺があの野郎に殴られてるのを見てただろうが!!」
憤り、周囲に向かって怒鳴り散らす。
ロイの傍にいた男は深い溜め息を吐き、憐憫の眼差しをナイルに向けた。
「馬鹿かお前は。向こうの少尉さんが罰を受けるなら喧嘩両成敗で、お前もそれ相応の
 罰則を受けなきゃいかんのだぞ。
 ……それに、最初に嗾けたのはお前だって言うじゃないか」
そこまで言うと、男はナイルの胸倉を掴んで睨み付ける。
「お前の攻撃は、あの少尉さんに掠りもしなかった。
 その事を少しは恥じたらどうなんだ!!」
それだけ言うと、ドン!とナイルの身体を突き放し、その場にいる全員に向かって
大声で告げた。
「さあ、公開組み手の実演は終わりだ。各自持ち場に戻れ!」
ロイとハボックは顔を見合わせ、男に小さく頭を下げてからその場を後にした。



「まったく…まさかお前が騒ぎを起こすとは思わなかったぞ」
宿舎に戻るロイが、艦のタラップに差し掛かった所で不意に苦笑を浮かべる。
「…すいません」
殴られた頬を掌で押さえながら、ハボックが素直に頭を下げた。
「痛むか?随分強く殴ったからな。…まあ、ああでもしないとあの場が収まりそうに
 無かった。悪く思うなよ、色男」
全く済まないと思っていない口振りに、今度はハボックが苦笑を浮かべる。
それでも、ロイがあのような行動を取ってくれなければ、今頃は取り返しのつかない事に
なってしまったと自覚していたので、軽口を叩いてくれる上官のさり気ない気遣いが、
ハボックには有り難かった。
「本当に、助かりました」
再度、頭を下げて礼を言う。
「構わんさ。お前があそこで殴り掛かって居なければ、私が同じ事をしていただろう
 からな。…しかし久々に見たぞ、あそこまでキレたお前を。流石は『地獄の番犬
 ケルベロス』と恐れられただけの事はある」
ロイはさも可笑しそうにクスクスと笑うと、そのうちに高らかに笑い出した。
「……その微妙な呼び名、良い加減に忘れてくださいよ…まだ軍に入る前の話じゃ
 ないですか」
ハボックはバツが悪そうに頭をガシガシと掻いて片眉をついと上げるとロイをじとっとした
視線で睨む。
その視線を余裕の表情で受け流すと『やんちゃするのも程々にしておけよ?』と何処か
人を馬鹿にしたような、喰えない笑みを浮かべてロイは艦から下りて行った。
遠ざかるロイの姿を眺めながら、ハボックは煙草を取り出して火を点ける。
ピリッとした痛みが唇に走った。
「あいつに殴られた所より、アンタに殴られた所の方がダメージでかいんですけどねぇ…」
煙草のフィルターに付着した自分の血を見て
「…参ったね…」
と呟いた。








next