関西組の出発は、まずは当日朝のMさんのドタキャンというハプニングで始まった。 7時すぎ、のんびりと待ち合わせの駅横のコンビニでお茶を買っていたU(仮名)は、「着いたよー」という携帯メールの送信のついでに、既にセンターに届いていたMさんのメールを着信する。 なんてこった、高速代とガソリン代が4/3になっちまった!! …というのは冗談として、とりあえず気の毒にと思いながら、なかなかなかなか来ないS紀さんを待つ。 10分後、別の場所にいたKRSさんと合流、結局7:40にS紀さんとも合流。一睡もしていないというS紀さんにかわり、Uが運転を担当。早速方向音痴ぶりを発揮し、北と南を勘違いして、別の勘違いをしていたS紀さんともども道を間違い(どっちも土地鑑あるんだからどっちかが気づけって)、高速入り口まで大回りを強いられる。…ごめん。 近畿自動車道へ入ってしばらく、ヘリの羽音が聞こえてくる。ひときわ大きな輸送機に続き、自衛隊のヘリが変態、違う編隊を組んで頭上に現れる。後から後からわらわらわら。かぎになりさおになり。「渡り鳥のようだねえ」「旅の始まりに似合いすぎ…」ハンドル握ってなければ写真撮ってました。というくらい、渡り鳥くさい編隊だったのでした。 吹田インターの案内看板の写真を求め、14kmの渋滞案内に怯えつつも、思ったよりはあっさりと舞鶴道へ。道が空いたとたんさくさくと走り始める軽四。3人乗っててなおさくさく。制限スピードは守りつつもさくさくとセルシオやらレガシーやらを抜いて行くその雄姿に、「これ絶対軽ちゃう〜」「改造してるやろ」「中身は普通車で外側だけ軽になっているに違いないっ」「違う〜〜」と騒ぐ車内。 やがて、北陸組から「今どこ」という携帯メールが入るようになる。向こうのほうがやや先行しているらしく、とりあえず先に海軍記念館へ行っているとのこと。西舞鶴集合予定を、急遽東舞鶴の海軍記念館集合に変更する。 しかし実際には、海上自衛隊前交差点の国道右折レーンにて追いついてみたりする。後ろから手を振るのにようやく気づく前の車。 |
10:45。自衛隊入り口で、セーラーの職員に車を止められる。「見学です」と言って通る北陸ナンバーの前の車に続き、「連れです」と言って通る関西ナンバーの後ろの車。あやしくないのか。 正確には自衛隊桟橋だが、旧海軍の護衛艦が立ち並ぶ。「”はるな”って何かあったよね、何だっけ」と騒ぐも思い出せず。後でS紀さんが思い出してくれたが、小説ではなく実際に最近あった大ボケな「誤発射」事件でした。ああ、あれか……。 入り口で代表者名と車のナンバーを記帳。その間も「本当にセーラーだーーっ」「イージス艦はないのかー」と騒ぐ腐女子。パンの搬入を見ては「"腐った林檎の木"ーっ」……場所にそぐわないのなんのって(^^;)(注:ここにおいてみんな高村は忘れて、イージスやプラビや沈艦に走っていました) |
7隻艦並んだ護衛艦の中で、見学可能な船は一隻だけ。この日は「たかつき」。意外と他にも複数の見学グループはいたものの、腐女子6名のミーハーぶりにはみんな引いたことでしょう…。それでも、どこへ行っても誰かが監視している様子。挨拶してみたら照れながら挨拶を返されてしまい、かえって恥ずかしかったりして。隣りにつないだ艦からカレーの匂いが漂ってきていて、みんな一気に腹が減る。 |
旗に桜のマーク(真中にうずら卵の入ったピンクのカマボコを想像して仕方なかったのは私だけ?)が入っているのが、1つと2つの差はどこから?の疑問は、出口で質問して解消。3つを最高として、ランク付けがあるそうな。たかつきくんは1桜。2桜のはるなに乗りたかったなあ。 |
結局1時間ほど騒いで、ようやく昼食のために西舞鶴へ。運転手はここでKRSさんに交替。2年ぶりの運転、との言葉にやや緊張したもの、全然おっけー。12時前には「とれとれ館」に到着。一周ぐるっと周り、何人かは土産を買って、丼屋におちつく。ウニトロイクラサーモンが乱れ飛び、「ああ幸せ」と海鮮丼にしばし言葉もなく。 再び来た道を戻り、やっと高村地取りに着手。車内では「北国の春」に「洪湖」が流れる。けど、中国語では歌い損ねて、ちょっと心残り。 |
「わが手に拳銃を」でリ・オウが出港したのは、「かまぼこ工場を見ながら路地を抜けた漁港埠頭」で、「左手に埠頭が4つ霧に霞む」場所。一度第二埠頭へ入ってみるも、どうも違いそうだ。それでも海を見ながら「あんなところに北朝鮮マークのタンカーがっ。ニセヘラクレスに認定〜」「李歐が福崎から乗ったのはこの規模ではないよね」「島田海運の船だったらこれくらいっ」「レナIII号だったらこれでOK〜」「姫島のじーさんの乗ってるラ・メールってあれくらいの規模かな」と作家をまたがって「なんちゃって○○」の認定が進む。 |
再度車に乗り、今度は第一埠頭へ。その前に燦然と輝くかまぼこ工場の回る看板。「これだーっ」と騒ぎつつ奥へ進む。第一埠頭は先端近くで二つに分かれており、それより東は普通の陸地。東側突端は魚の陸揚げ場になっているらしく、屋根の下にトロ箱があったりする。きっとここに違いない、と勝手に決定。UとH山はいきなり合唱隊になって海の歌を歌いだす。 ちなみにここでも、出港したのはこんな船に違いない、と「なんちゃって○○」認定は続く |
さらに東へ向かい、一彰が野宿した五老岳へ。どんどん標高が上がり、ぐんぐん視界が開けてくる。最近できたと思われる五老岳タワーは、一彰は見ていないはず。それでも並ぶベンチを前に「一彰が寝たのはどれだ」。 200円払って、タワーの上へ上がる。さっきまでいた自衛隊桟橋の軍艦たちが真下に見える。さすがにこの方向だけ100円望遠鏡がついていなかったが、U持参の望遠レンズを望遠鏡代わりに覗く。「舞鶴港の4つの埠頭」も綺麗に見えていた。 降りてきた後、横の喫茶店でお茶。ケーキセットはうまかったっす。チーズケーキがなくてKRSさんが拗ねていたとか、ロシアくさいパンダマスコットをU子さんがえらくお気に召して即購入していたなどのエピソードを後に、今度は時間を気にしながら引き上げ記念館へ。 |
半島を分け入った場所に建つ引き上げ記念館では、みんな無言でその悲惨な歴史に感じ入る。特に絵本風展示には涙腺が緩みました。各々が暗い歴史に思いを馳せた後、出口付近の「引き上げ記念館の歴史年表」の前でたたずむ数人。…建立昭和63年? 昭和54年に一彰は何を見たんだ??? 時を翔けた男、一彰。さすがは幽体離脱・李歐のパートナー。今までの歴史考察はどこへやら、一気に腐女子に戻る私たち(^^;) 別に正確なロケハンしなくても良いですから、年代の辻褄は合わせておいたほうがいいと思います、高村さん…。 |
とりあえず年代には目をつぶり、ピースサイン写真はどこで撮ったんだろうかと、裏手の公園へ回ってみる。ここでK藤さんが機転利かせて傘を持ってきてくれたのだが、大正解。途中で土砂降りになる。そのまま展望台へ上がると、クラインブリッジと、かつて引き上げ桟橋と海軍居住棟が並んでいた入り江(現在は合板工場)が見下ろせる。そこでたまたまゴミ整理などしていた老人が、場所の解説をしてくれて、さらに写真を撮ってくれた。シナリオ棒読みが実はちょっとばかし気持ち悪かったんですが。(解説ボランティア登録者かな?) |
天気が悪いせいで、予定より早く薄暗くなり始めた舞鶴を後に、一路東へと向かう。ここで再びハンドルを握ったのだが、途中土砂降りと街灯のあまりの無さに、走行が怖くて怖くて。よくぞぶつかったり側溝に落ちたりしなかったもんだ。 そこで気になったのは、やたらと「ラ・メール」という店の多いこと。姫島のじーさんのヨットは「母」という意味だけど、ここは普通に「海」という意味でいいんでしょうが、何か理由あるんでしょうか。あんな近くに同じ名前のレストラン喫茶店が並んでたらかえって不便では? 17時半すぎ「あみーしゃん大飯」到着。時間がないので18時半集合、という条件で温泉へ。展望できるのは下の農地と道路だけで海は見えないが、ジェットバスその他があり、イロイロ揃って300円は安い。 出発後、コンビニで酒やジュースを買い込みつつ、U子さんとふと目を合わせてみる。「葉山だったらどれ買うと思います?」「これ」。ただのミーハー理由のみで、突然いちごみるくレアチーズケーキ購入…。何やってんだか(^^;)(※プラビネタ。新しいものを見つけるととりあえず買ってみるという性格のアナリストがいる) 時間が迫る中、さくさくと山手へ走る。それにしても、街灯、もう少し作りませんか福井県。真っ暗で不安だったっす。道は細くなって峠越えへ。明るかったら(そして他人を乗せて気を遣う条件でなかったら)、走り屋やりたくなる、適度な峠道でした。 |
峠を越えると道は二車線になって楽。どんどん降りて名田庄村中心部の旅館へ。19時の予約なのに19時半になってごめんなさい…。 旅館の一室をそのまま宛がわれた状態で、座敷にくつろいでぼたん鍋。やや白の強い味噌仕立てで、これがまたうまい。るるぶで宣伝するだけあります。喋りながらのんびり食べるS紀K藤KRS組に対し、黙々と鍋を片付けていくU子H山U組。さくっとなくなってしまったものの、満腹で雑炊はできませなんだ。ちょっと心残り。 |
21時半まで店にいて、ようやく宿へ。とりあえず近くの酒屋で氷だけ購入、流星館受付へ。こんな遅くにすみません。やはりというか、バンガロー利用は我々一組だけだったので、使いたい放題でした。 もっとボロい平屋を想像していたら、意外と立派な二階建て。布団を敷き詰めるというより、広々とした二段ベッドを二人ずつ使う、と言ったほうが正しかったです。 |
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