思っていたよりさくっと、8時頃起床。のたのたと準備をし、9時に流星館へ。チェックアウト後、隣りの暦会館へ。土御門家の暦政治に関する資料館で、個人的には時々星が流れるジオラマもどきが面白かったです。土御門はずっと京都にいたと思っていたので(確かに京都府県境ですが)、ちょっと意外な場所でした。聖地があったんですねえ。 |
陰陽道といえば、資料だ!としか反応できない私を置いて、他のメンバーは流星館でコーヒータイム。のたのたと遅れてすみませんでした。 結局当初予定通り、10時すぎに出発。出てすぐの安部神社へ寄り、なんでこんなところにバナナの木が!?の疑問を胸に抱きつつ。墓所のほうに例の「聖地」があるようでしたが、山登る根性なくてパス。 |
昨日の峠道を再びたどり、一路音海へ。半島奥へ向かう道は、思っていたよりしっかりした道で、しかも人の気配が多い。特筆すべきは、謎のサーファー集団でしょうか。もっと手前で民家は途切れてその先は原発しかない地形を思い描いていた私はちょっと拍子抜け。 |
とりあえず高浜原発玄関で車をとめ、橋から飽きずに原発を眺める。入れて欲しい〜っ何故土日は見学ないのだーっと騒ぐ集団を、通りすがりの車はどんな目で見ていたのでしょう…。 |
道標に萌え、フェンスに萌え、立ち入り禁止の看板に萌え、遠景の高浜原発に萌え、…腐女子って何てお手軽。実は、公安に通報されたらどーしよう、とか思ってました。 |
原発を過ぎてから、音海の集落が現れる。細かい話ははしょって、とにかく感想は「何もイリーナでウロウロしなくても、このへんで釣り糸垂れてりゃ十分すぎるほど原発の観察できるやん」でした。まさか、あんなに民家の多い大集落だとは。すぐ目の前に原発、しかも半島付け根のせまい場所に幹線路をふさぐ形で建てられて、よく地元が許したなあ、と思ってしまいました。万が一何かあったら、船しか逃げ道ないじゃんね。 |
本来、釣堀に来た客に有料で貸している駐車場に、所有者の方の好意で無料駐車させてもらい、ようやく音海断崖遊歩道へ。2tトラックギリギリかな、4駆じゃないと登らないな、という一応舗装の急傾斜道を、トロトロと上がってゆく。と、先行していたK藤KRSの声。「 |
約20分、第一の展望所へ到着。そこにあったのは、200mの切り立つ崖と、その下で砕け散る波飛沫。…こんなん登ったり降りたりできるもんか。ましてや島田さんは落ちたんだぞ??生きてないって…。しばらく、どう解釈しようかと黙りこむ面々。そもそもの問題として、音海原発からここまでは、集落を抜けて来ないとたどり着かない位置関係で、ここを脱出場に選ぶ理由がわからないのでした。こっそり、映画化を想定したでしょ高村さん、と胸の中でツッコミを入れていた私…。(観光名所をつなぐと撮りやすいのよね) でもマジメな話、新版のカリンカシーンは、音付き絵付きで頭に浮かんだので、あながち間違いではあるまいかと。 |
すぐ上に第二展望台、さらに15分ほどで灯台があるとのことで、折角来たのだから、とさらに上を目指す。岬の突端にある白亜の灯台からは、広い湾の向こうに浮かぶ島(これは京都府らしい)を見渡せて、なかなかの眺望。 復路でも、同じ場所でサルに遭遇。断崖を見た後で「日野はサルだった」との共通認識(?)ができていたため、日野だ日野だ、と騒ぐ面々。今度は写真撮影に成功する者アリ。 その先は車が入れるかどうかわからなかかったため、とりあえず日野の家探しがしたい!と、徒歩にて音海集落の奥へ向かう。何が失敗って、「神の火」を持って行かなかったこと。具体的な描写は記憶がたよりで、何となく私は祠のある楠大木のあたりじゃないかと思うんですが。 |
ここで、突然H山が海を指差す。なんだあれは?つながれた木製桟橋の上に、白いテーブルとイスが!! 急遽「江口の椅子」と認定されたそのアヤシすぎる空間にシャッターを切る面々。「きっとここからイリーナを見てるんだよ」「イリーナとゆーより島田さんじゃあ」「優雅にブランデーとか揺らしてねー、でも、足は踏ん張ってるんだよね(笑)」…白鳥の江口…。((c)U子) |
さらに奥へと進むと、やがて小さな崖と突堤で道は終わっていた。このあたりまで来ると、道は広くなり、釣り客の車がびっしりと停まっている。太公望であふれる突堤へ上がる。「この先からだと、『神の火』旧版の表紙とほとんど同じ構図になるの〜」。とりあえず行ってみるが、ちょい遠い。望遠レンズを車に置いてきたのはイタイ。とりあえず撮影してみて、こちらから見える場所なら、海から原発までは少し段差があるなあと考える。確か「神の火」では二人は崖をよじ登ってたはずなのに、どう見ても高浜原発って、海から直接施設内に入れるんですよねえ…。(砂浜があってもおかしくないくらいの段差しかないし) それにやっぱり、イリーナに乗らなくても、この突堤で魚釣ってれば嫌というほど偵察できると思います…。 |
突堤の入り口には小さな崖状の岩場があり、これだったら子供が登って怒られるのはわかるなあ、集落の外れだし、当時はこの突堤もなかったろうし、場所的にもこんなものだろう、ということで、これを「なんちゃって音海断崖」と命名。「断崖よじ登り写真を撮ってこい」というMさんの指令を果たす。 でも実際、本物の音海断崖は、子供が遊びに行くような場所でも地形でもないと思うです。 「地元のきたなーい食堂で昼ご飯が食べたい!」というKRSのリクエストにより、まあ何かあるだろーということで道をひき返す。既に時刻は14時、ランチタイムは過ぎている。漁港近くにうどん屋があったということでそこへ向かう。きっと釣り客が利用するのね、という場所でしたが、入ってみてびっくり。真新しいログハウス風の木製内装、コテージみたいで可愛い。なんとケーキセットまである!失礼かもしれませんが、外装とえらい違いでした。定食をみんなで頼み、これが結構おいしい。アタリでした。 店内には音海の写真が額にして飾ってあったのですが、そのうちの1枚が、作中の音海断崖のイメージだったため、店の人に場所を訊いたところ、今見えている湾とは反対側(外海側)の、小学校のあるほうの海岸だとのこと。後で地図見て原作読み返して、ここが作中の断崖と断定。イリーナを隠した島(風島)もあり、条件が全て合致する。この翌年にきちんとロケハンして確認もしました。 |
最終目的地、「わが手」で撃たれたリ・オウの手当てをした青葉山の林道を探しに一路西へ。本来の解散予定時刻15時は回っていたが、とりあえず気にしない。 松尾寺へ向かう分岐道を入ってみると、大きく左カーブした場所から、小さな棚田の横を抜けて三級林道(多分)が山の奥へ伸びている。これだということにしよう、と停車して写真撮影。しかし、結構車が多く、大型バスまで通って行く。はて?と思っていたんですが、考えてみたら松尾寺は西国33番札所の1つでした。そりゃ多いでしょう(^^;) ただ、この道、一彰と同じく東方向から走ってくると、右折鋭角ターンになってしまうため、多分これではないと私は思っているのですが。…というより、普通、どこでもいい脇道へ入るんだったら、右折の必要な青葉山方向ではなく、適当に左折するだろう、と思うんですが、まあそこまではつっこむまい。夜だし。 いよいよ時間が押している。東舞鶴IC手前のガソリンスタンドにて北陸組と別れ、予定を大きく回って16時過ぎ、再び舞鶴自動車道へ。帰路の運転手はS紀さん。「街中ドライバーだから♪」と言いつつ、制限スピードは守りつつも(しつこい)、往路よりよほどさくさくさくさくと抜いていく。 渋滞も思ったほどなく、途中ヘンな動きをする先行車をひやかしながらあっさりと出発地着。18時頃だったかな? 食事して、Mさんとケーキ屋で合流して、21時の閉店ギリギリまで話し込み、そこでようやくお開きになったのでした。 翌年、面子をちょっと変えて、ほぼ同じコースの地取りをやり直したのはまた別の話。(その時のグッピーツアーはこちら←未開通) |
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