ブルックナーの聖地
サンクトフローリアン


ザンクト・フローリアンの修道院

 ブルックナーが13歳から30歳までを過ごした、ブルックナーのゆかりの地。ブルックナーの遺骨は今なおここに眠る。
 ブルックナーが13歳の時、父を亡くし、この修道院の聖歌隊と附属学校に入校した。
 途中、リンツの学校に入ったり、ヴィンドハーグで教鞭を執ったりするが、この地で音楽の基礎を学び、また後にこの修道院のオルガニストとなった。
 修道院は304年にドナウ河に沈められ殉教した聖フローリアンが埋葬されたこの地に14世紀に立てられ、バロックの建築は1688年にカルロ・カロリーネの設計で始まり、63年の年月を要して完成しました。修道院の図書館には当時のままのフレスコ画が残っています。

遠くから修道院を望む

 よくガイドブックには「駅前のバスターミナルからポストバスを利用」とここへの行き方が書いてありますが、やはりレンタカーが便利です。
 リンツから約5km,この修道院に着いてまず受ける印象は「でかい」。
 それもその筈、この修道院はオーストリア特有の「カイザークロスター」という皇帝の旅の宿、または臨時の居城となる施設を整えた修道院。
 オーストリア最大の修道院、メルクの修道院と比べても遜色ありません。
 オーバーエステライヒ(高地オーストリア州)にはクレムスミュンスターにも大きな修道院が有ります。
 さて、修道院の中は1時間20分にも及ぶ詳細なガイドツアーによって見て回ることができます(料金60シリング)。
 なかでも興味深いのが、皇帝達が泊まった部屋。ウィーンのホーフブルグにも勝るとも劣らない豪華さ。一番特色が有るのが「オイゲン公-トルコ軍との戦いの英雄-の部屋」。
 戦いをモティーフに作られたこの部屋には1台のベットがあり、ベットの装飾として、足下にはハンガリー人と縛られたトルコ兵、枕元にはドイツ傭兵、頭上には太鼓を持つ天使が掘られていて、つまり、「寝ていてもトルコ人を足蹴に出来る」というもの。この地に立ち寄ったナポレオンも、このベットには寝たがらなかったそうです。
 さて、皇帝たちの居室の突き当たりの間に、ブルックナーの記念室があり、死を迎えたベッド、肖像画、愛用のピアノが飾られています。

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