-エステルハーザ/エステルハージ候の夏の離宮-

ハンガリーのオーストリアの国境から30km、ノイズィードラー湖の近くにエステルハージ家の夏の離宮、エステルハーザが有ります。エステルハージ家は言うまでもなくハイドンがその生涯の大半をこの宮廷楽団の楽長・副学長として過ごした職場。ハンガリーの広大な田園風景の中に離れ小島のようにこの優美な城があり、ハイドンが住んでいた家は現在の町役場として、この城の片隅に有ります。ウィーンのシェーンブルン宮殿を模したような黄色いバロック様式の造りのこの宮殿。かつてハイドンが活躍したオペラ劇場は残念ながら焼失して現在は残っていません。

   

この離宮は両世界大戦時にかなり荒らされて、保存状態が悪いのですが、マリア・テレージアが泊まった部屋やハイドンが演奏会をした大広間などは残っていて、今も夏の間はこの大広間を利用して演奏会が行われており、かえって綺麗に修復されている宮殿より現実的な雰囲気があります。ニコライ・エステルハージ候はこの宮殿がことの他お気に入りで、なかなか離れたがらなく、本宮殿に帰りたがった楽団員の事を心配したハイドンが一計を案じ「告別」交響曲を書いた、というのは有名な逸話です。 

(写真:ハイドンが住んだ家)

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