-ウィーンゆかりの地(2)-

ハイドン最期の家 西駅から歩いて5分くらいの所ハイドンが終焉を迎え、また後期の宗教曲の大作や「天地創造」、「四季」を作曲したこの家が有り、現在はウィーンに於ける唯一のハイドン博物館です。 中には「四季」や「天地創造」の自筆のファクシミリやハイドンが用いたピアノ、デスマスクなどが展示されています。なかなか広い家で、ハイドンが名士としてかなり余裕の有る生活をしていた様子が伺われ、落ち着いた室内空間が印象的です。ハイドンのデスマスクは、穏やかな表情を浮かべているように思われます。この家でハイドンはナポレオン軍の砲音を聞きながら息を引き取ったそうです。

 

シュヴァルツエンベルグ宮殿トルコ軍との戦いで功績を挙げたウィーンのほぼ中心にあるシュヴァルツェンベルグ候の壮大なバロック様式の宮殿。ここで「四季」の非公開の初演が1801年の4月に行われています。現在は半分がホテル。半分は未だにシュワルツェンベルグ家の子孫が住んでいます。ホテルとしてもレストランとしても未だ一流の格式です。

ハイドン公園 ウィーンのギュルテルと呼ばれる環状道路のそばにハイドンのお墓が有った元墓地があり、ハイドン公園と名付けられ現在は子供の遊び場やちょっとしたスポーツ施設などが有りますが、ハイドンの銘板がある一角だけはこの公園の中で独特の静寂を保っています。ハイドンの頭蓋骨はその埋葬の一週間後掘り起こされ、胴体と一緒にハイドンの希望通りアイゼンシュタットの教会に収められたのが1954年になっての事でした。

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