リンツに関してはこのホームページで一回作ったのですが、筆者が住んでいるにしてはあまりにもお粗末な作りだったので、作りなおすことにしました。

リンツはウィーンとザルツブルグの間のドナウ河河畔の街で、オーストリア国鉄や、高速道の幹線に当たる街。ドナウ河をドイツから下ってくると最初の大きな街です。産業都市としても栄え、そのために第二次世界大戦時には連合軍の激しい空爆にさらされたりしました。

でも我々音楽家にとってはブルックナーの街であり、あのモーツアルトが名曲「リンツ交響曲」を3日間で書き上げた街というイメージが強いでしょう。

さっそくリンツの音楽家の足跡を辿って見ることにしましょう。リンツを観光するにはほとんど歩いてで充分。ウィーンから電車で二時間弱(EC-特急-を利用)、リンツ中央駅に到着です。

中央駅から市電3番に乗って約10分貴方はもうリンツのハウプト(中央)広場(Hauptplatz)に着いています。ハウプト広場

この広場の旧市庁舎には観光案内所もあり(日本語の無料案内地図有り)、またどこへ行くにもこの広場を起点にして行くと便利でしょう。この広場から、市電の進行方向に向かって前方がドナウ河、左手が旧市街地です。ドナウ河にでて河畔の散歩道を進んで行くと程なくブルックナーの像が路の右手に見つかる筈です。

更に道をどんどん進んで行くと扇形のコンサートホール、ブルックナーハウスブルックナーハウスに突き当たります。ここは毎年国際ブルックナーフェスティバルの舞台ともなり、ここを本拠地とするリンツ・ブルックナーオーケストラは1996年に来日しました。なかなかレヴェルの高いオーケストラです。ハウプト広場に戻って旧市街地(市電進行方向に向かって左側)のなかにはモーツアルトが滞在した家が二カ所有ります。一カ所はクロスター通り(Klosterstr.)とアルトシュタットの角です。ここはシュターヘンベルグ男爵の(Grafen Starhemberg)の家で、ここでモーツアルトはリンツ交響曲を書き上げました。1783年新婚のモーツアルトが、 妻とともにザルツブルグに向かう途中たった3日間で仕上げた交響曲リンツは、彼の交響曲のなかで最も精気と喜びにあふれる作品の一つです。もう一カ所はホーフ(Hofgasse)通り沿いの家です。ここは現在カフェ・チェントリューム(Cafe Centrum)というカフェハウスになっています。1762年に旅の途中のモーツアルトが滞在していますこのあたりの雰囲気はモーツアルトが住んでいた時代そのままのような趣があります。このまま旧市街地を歩いて少し駅に方に行くと州立劇場があり、ほぼ毎日オペラやオペレッタの公演が開かれています。

旧市街地から市電の通っている通りに戻るとそこはランド通り(Landstr.)デパートやショッピングアーケードのある、目抜き通りです。そこで少し気をつけてデパートの横のお店の建物を見てみると、銘板がかかっているのが判ると思います。ここにシューベルトが1819,23,25年に滞在した家が有りました。元来「出不精」でウィーンからあまり出なかったシューベルトもオーバーエステライヒ(高地オーストリア)は気に入った様でたびたび訪れています。

ハウプト広場から駅の方へ少し戻ったところにブルックナーが1856-68年に教会オルガニストを務めた旧大聖堂があります。ここにはブルックナーの銘板がかかっています。リンツ旧大聖堂

足早にリンツの音楽家の足跡を辿ってみましたが、ほぼ半日有ればこのいまここに記したルートを歩くことは充分可能です。他にもリンツにはギネスブックに載っているペストリングベルグ登山鉄道(通常軌道-アプト式でない-で世界で一番急勾配のところを走る/市電三番終点Bergbahnhof Urfahr下車)や最新のコンピュータテクノロジーを味わえるアルス・エレクトリカセンター(市電一番、三番Neuesrathaus下車)、博物館も有ります。

もし、時間に余裕がないまたは、歩く自身のない人は、ハウプト広場から年中無休の観光汽車(というかバスというか)が出ていて、25分で街の中心部を結構くまなく回ってくれます(45シリング)。

世界的に有名なリンツァートルテ(リンツ風ケーキ)を試してみるのも良いでしょうし、ドナウ河畔からは毎日遊覧船がでていると看板には書いて有ります(ドイツのパッサウ行きは14:15出発〜実際のところ冬場は休みらしいが)。時間が有れば駅前からポストバスを利用して、ブルックナー生誕の地、サンクト・フローリアンを訪ねてみては如何でしょうか?

「当地で11月4日にコンサートを開くことにしましたが、あいにく 自作の交響曲が一曲も手元に無いので、急いで新作を仕上げるつもりです。」

1783年10月31日、父、レオポルドに当てたモーツアルトの書簡