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スフェナの歳は十一。ラウェドとは同い年なのだが、歳のわりには華奢なからだつきと、大きな瞳のせいでとてもそんなふうにみえない。ラウェドよりも、二つか三つは幼く見える。

「ほんとに?」
「ほんとだったら!」

再三しつこく聞かれて、スフェナは少々むくれてしまった。
が、木の実に飴をからめた菓子を売っている屋台をみつけると、きれいな瞳をいっそう輝かせた。

「ラウェド、あれ、なに? 美味しそう!」
「ディルっていうんだ。でも、あとでね。まずは僕のうちに行かなくちゃ」

きょろきょろとあたりをもの珍しそうに見物する少女に隠れて、ラウェドはそっとため息をついた。

スフェナは銅貨一枚たりとも持っていなかった。無頓着、というより、「金銭」というものの使い方すら知らないようで、そのくせ何かを欲しがるものだから、結局ラウェドが家に戻って小遣いをもってくることになったのである。
初対面の相手におごることになったのに、ちっとも腹がたたないのは、スフェナのその無邪気さゆえだろうか。
父と顔をあわすのかと思うと気が重かったが、しかたがないとわりきった。

ラウェドの父は、サールナート特産の銀細工の職人である。主に装飾品をつくっているから、祭の今日は忙しいはずだ。だから、ラウェドは、店にもなっている玄関はさけて、裏口から家にはいることにした。

戸口の前でスフェナを待たせて、彼は扉をくぐった。
誰もいないようだ。そっと足音をしのばせて廊下を歩き出すと、

「ラウェド?」

突然うしろから声をかけられて、ラウェドはとびあがった。

「帰ってきたのね」
「か、かあさん……」

イリオール家に嫁入りしたときよりも丸くなった腰のエプロンで手をぬぐいながら、母は、息子の姿をみつけて微笑んだ。

「心配しなくていいわ。とうさんは店に出てるから」
「そ、そんなんじゃないよ」

こどもっぽく口をとがらせたラウェドの目の高さにあわすため、母は腰をかがめた。

「……ラウェド、とうさんの言ったことも考えてあげてね。そりゃ、殴ったのはちょっとひどかったけれど……。おまえはたった一人の息子だから、おじいちゃんの代からのこの家を継がせたいのよ。わかるでしょう?」

(そんなの、かあさんが弟を産んでくれればいいことじゃないか)

ラウェドはひねくれた考えを浮かべたが、母がひたとみつめてくるので、黙ったうなずいた。

「でもね、正直いって、かあさんはそんなことどっちでもいいの。おまえが幸せになってくれるなら……。ラウェド、夢はしっかりと持っていなさい。いつか、叶うときが来るかもしれない。夢に終りはないものだから」

母は背筋をのばすと、エプロンのポケットから銅貨をいくつかとりだして、うつむいたラウェドの手に握らせた。

「お祭りに行くんでしょう? このお金でお菓子でもかって遊んできなさい。じゃあ、かあさんはお店を手伝わなくちゃならないから」

住居とつながった店へ母が行ってしまうと、ラウェドは銅貨をポケットにしまい、服の袖で目のあたりをぬぐった。

「美味しかった! ありがと、ラウェド」

先刻食べたディルで、手をべとべとにしてしまったスフェナが礼を言った。

「あ、うん……べつに、いいよ」

少女の屈託のない笑顔が、少年の身近にいるどんな女の子ともくらべものにならないほど可愛らしかったので、ラウェドは照れてしまった。

晴れた空に鎮座する太陽はずいぶんと高くなって、小さな石造りの泉のほとりに座った少年たちの影を短くしていた。
その泉の水でスフェナが手を洗うと、陽の光が水面をきらきらとさんざめかせた。

スフェナは世間しらずだった。ラウェドには信じられないほどに。

「こんなにたくさんのひと、はじめて!」

と言ってはしゃぎ、

「あれはなに? そっちは?」

と立て続けに質問してラウェドを困らせては、田舎者のように忙しく視線を移す。
あまり騒がれては恥ずかしいので、ラウェドは彼女にディルをひと袋買ってやり、この泉までひっぱってきたのだった。

ひといきれに疲れてしまったのか、シルフィはしばらくぐったりしていた。強い日ざしはスフェナの頭を隠す布にもふりそそぎ、まぶしいほどに白く輝かせている。

「スフェナ、その頭の布、暑くない? とらないの?」

ラウェドにはなんの他意もなかったのだが、スフェナのほうはおおげさに慌てて、布がずれていないかどうか確かめてから、

「……うん。だいじょうぶ」

それだけ答えた。

(へんなの)

妙な感じはしたが、ラウェドには気にとめる間がなかった。いままで休んでいたはずの鳥が、激しくはばたいて飛び立ったのだ。

「シルフィ?」
「キャルス!」

ラウェドとスフェナが叫んだのは、ほぼ同時だった。

スフェナが両手をひろげると、姿をあらわした見事な白銀の毛皮の猫は、ためらわずにその腕の中にとびこんだ。

(そうか、こいつにびっくりしてシルフィは逃げたのか)

白銀の猫はスフェナに抱かれて喉を鳴らした。猫にしては長過ぎる尾がゆるやかに揺れている。見上げると、鳥は上空を旋回していたが、やがてラウェドの肩に降りてきた。
鳥が戻ってきたのでひとまず安心したが、今度はキャルスと呼ばれた猫が気になった。猫のようだが、こんな猫はまずいない。
きいてみると、スフェナは明るく答えた。

「北の森で見つけたから森豹じゃないかっていってた。ほら、しっぽが長いし耳もとがってる。それに、よくみるとかすかに斑点があるでしょ」
「森豹って、褐色の毛皮だってとうさんにきいたけど。それにどう猛だって」
「でもカイルがそうだって。だいじょうぶって言ってたもん。ね、キャルス?」

(カイル? どっかできいたことあるような……)

「……! いけない!」

スフェナが突然たちあがった。膝の上から放り出されてしまったキャルスは、鞭のようにからだをしなわせて無事着地した。

「いきましょ、ラウェド!」
「え」

スフェナは狼狽するラウェドの腕をつかんで、強引に走り出そうとしたが、

「スフェナ!」

背後から凛とした少年の声が響くとびくっとしてたちどまり、そうっと振り向いた。

日よけ用の薄い布をかぶった少年が、声の主人だった。布からのぞく金の髪をみて、ラウェドは心臓がとまりそうになった。

(まさか、そんな、なんだってここに!)

「そいつに、つれだされたのか?」

言外に、もしそうならただではおかないと含まれているようで、ラウェドはぞっとした。少年は、行列のときの、あの金狼の瞳でラウェドをみすえている。

「ちがうの! わたしが勝手に抜け出したの。……ラウェドはいいひとだよ! お祭りを見せてくれたし、おかしも買ってくれたよ!」

スフェナが必死にラウェドをかばうので、少年はさらにムッとしたようだった。

「じゃあ、なんで逃げようとしたんだよ」
「だって……つれもどされちゃう。カイル、お祭りっておもしろいよ。いっしょに、あそぼ? ほんとはカイルと行きたかったけど、どうせ『だめ』って怒るでしょ?」

少年は困ったように頭をかいた。もうその瞳に刺すような激しさはない。
キャルスが甘えた声でのびやかな彼の足にすりよると、少年は観念したのか、木漏れ日の笑顔をみせた。

「しょうがないな。でも、日暮れ前には帰るから。いいな」
「ん! カイルだいすき」

少女がカイルに抱きついたのを、ラウェドは少々複雑な思いでながめていた。
スフェナが離れると、カイルはあらたまってラウェドに自己紹介した。

「知ってるかもしれないけど……俺はカライルア・シェルロット。ラウェドっていったね。たいへんだったろ? スフェは、このとおりの箱入り娘で、なんにも知らないから」
「そりゃあ、もう!」

ラウェドがちからいっぱいに答えたので、カイルは腹をかかえて笑い出し、少女は頬を真っ赤にそめて、ぷいっと向こうをむいてしまったのだった。


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