降臨祭には多くの店がたつ。
ちょっとした料理や菓子、銀細工の装身具屋などが大半だが、ときおり、あやしげな占い屋や、うさんくさい薬屋なども目につくことがある。
そうして道の両側にところせましと並んだ店の間を普段の何倍もの人間がぶつかりあいながら、ひとつの大河のようにゆっくりと流れてゆく。
その流れから離れた小さな泉のへりに、三人の少年たちは座っていた。
ラウェドにとっては毎年のことなので、たいして珍しい光景ではないのに、ついさっき会ったばかりの少年と少女は、飽きもせず騒がしい流れを眺めているのだった。
いったん気があうとわかると、金髪の少年はあっさりとさきほどの非礼をわびた。かえってラウェドが困るほどに。
歳が近いせいか、ふたりの話ははずんだ。カイルが笑うとまるで太陽のようで、スフェナと並んだ姿は森を……完璧な生命循環の森をほうふつとさせた。
「……それで、親父とけんかして追い出されたのか」
「ううん。自分でとびだしてきたんだ」
「ひっぱたかれたの?」
無造作にスフェナが殴られた頬に手を伸ばしてきたので、ラウェドは真っ赤になって身をひいてしまった。
「そうだ」
なにを思いついたのか、カイルは服の中におとしこんであったペンダントをたぐりだし、鎖に通されていた無骨な指輪をラウェドに放り投げた。
サーヴァ神の太陽と月、そして四大元素を象徴化した紋章が刻まれている。
「おまえに貸してやる。いつか親父が聖戦士になることを認めてくれたら、神殿まで返しに来い。話をつけといてやるから。でも、その気がなくなったら……指輪は売るなりなんなり好きにしていい。いいか、それは次期聖騎士のあかしだ。貸したんだから返しにこいよ」
カイルは軽く言ってしまったが、ラウェドのほうはそれどころではなかった。真っ青になって、半ば叫んでいた。
「そ、そんなに大切なもの、うけとれないよ!」
「やったわけじゃないぞ。貸したんだからな」
その笑みがラウェドには意地悪く思えた。にこにこ微笑むスフェナの腕の中で、キャルスが上目づかいにのぞきこむ。
美しい青の瞳と、スフェナの澄んだ翠に見つめられて、ラウェドは仕方なく指輪を胸ポケットにいれて、落とさないようにしっかりと釦をはめた。
「カイル、おなか、すいたー」
「そういえば、朝からなにも食べてないな。スフェ、なにか買いにいくか?」
カイルが腰にさげた金入れを確かめると、少女はかろやかに身をひるがえして人込みのなかへ走っていった。キャルスが軽い足取りでついてゆく。
せっかちなスフェナにあきれたカイルだったが、その瞬間、瞳が変化した。金の狼。
一瞬の呪縛からときはなたれると、カイルは人波につっこんでいった。
ラウェドはカイルのゆくさきに目を走らせた。
長身の青年がひとり、人波のなかにたっている。漆黒の長髪をその背にたらし、たっぷりした外套をはおっている。ちょうど人の流れがきれると、その外套に包み込まれた、見覚えのある白い布が見えた。
ぴくりとも動かないところを見ると、気を失っているのかもしれない。
青年は嘲笑った。虚ろな、暗い闇にひきずりこまれそうな。
(たすけなきゃ。スフェナを、たすけなきゃ)
脚が木の根になったように動かない。焦りだけが冷や汗となって背中をつたいおちていった。
青年が暗い小道に入ろうとしている。
(見失ってしまう! い、やだ、いやだ!)
いつのまにか、ラウェドは全力疾走をはじめていた。
ほのかな想いを、新しい友達を失ってしまわないために。
心臓が、激しく鼓動していた。不吉な予感が頭にこびりついて離れない。
できるだけいやな想像はしないでおこうと、ラウェドはただ走りつづけた。
雑踏にもまれ、肩が誰かにぶつかって、転びそうになっても、走った。
ひざしの明るさと、華やいだ祭の雰囲気が、どこかそらぞらしかった。
(あの路地はいきどまりだったはずだ。あんなところへいってどうするんだろう)
目的の小道にたどりついたときには、ラウェドはすっかり息をきらしてしまっていた。
「スフェナをはなせ!」
カイルの切迫した声が耳をうった。
いきどまりの壁に追い詰められたかたちで、あの青年がいた。
くちびるには優しいほどの微笑みをたたえている。腕にはからだをのけぞらせたスフェナ。
少女の喉の、陶磁器のように白い肌があらわになっていた。
「さて、どうしようか」
青年は小首をかしげた。
「迷いこんできた仔鼠から始末してしまってもよいけれど。それもかわいそうかな。とりあえず、とらえておこうか」
青年の長い指がひらめいた。
とたんに足下の地面がゆらぎ、そこから伸び出した紅い蔦が少年たちをからめとった。
「ラウェド!」
「おや。自分より他人を心配するなんて、優しいんだね。さすがは聖騎士というべきか」
いかにも可笑しそうに青年は言った。
体中が総毛立つのをラウェドは感じた。がちがちと歯が鳴り出すのを押さえられない。
「話をしよう、カライルア。そうだね、まずはこの小娘のことから」
「話すことなんかない!」
かりかりという音がする。
おびえを振り払って、ラウェドが見ると、キャルスがラウェドの蔦にとりついて、猫にしては鋭すぎる牙で噛み切ろうとしている。
それに気がついていないのか、背年はスフェナの頭部の布に手をかけた。カイルが顔をそむける。
音もなく布が舞い落ちたあとに、少女の髪が流れおちた。
「この娘は『緑皇』の子ではないか? 素晴らしい命の輝き」
「知らない! 俺はなにも! スフェナをかえせ!」
世界中の緑を混ぜ合わせた微妙な色合いの髪。その額には若葉のかたちの翡翠色のアザ……
少女はこれを隠したがっていたのだ。人目にさらせば、騒がれて、とてもではないが祭りなど楽しめなかっただろう。
青年は不服そうに言った。
「この娘がそんなに大事か? ならば、大切な娘を失ったとき、お前はどうなるのだろう……」
「! なにを」
蔦が切れた!
震える指でなんとか蔦をひきはがし、目についた小石を拾い上げると、ラウェドはそれを祈る思いで青年に投げつけた。
石は、受け止めようとした青年のてのひらをわずかに傷つけた。
「……おどろいた。このわたしを傷つけるとは。……まあ、いい」
空気が動いた。
次の瞬間、ラウェドは背中から地面にたたきつけられていた。激痛のために息ができなくて、ラウェドが咳き込んだとき、視界のはしに、真紅の血が見えた。
(僕の、血?……え、これは!)
「シルフィ……?」
ラウェドの背に、血がべったりとついていた。
主人のために、下敷きになって死んだ、つぶれた鳥の血が。
「ばかな鳥だね。主人に忠義だてして、死ぬなんてね」
放心したラウェドと怒りにうめいたカイルに冷笑を送ると、青年は気を失ったままのスフェナの額に手をかざした。
ぐっ、と握りしめると、青年の血が若葉のアザの上に滴り落ちた。
スフェナのからだが激しく痙攣する。
「あ……い、やああ!」
「おまえ! なにをした!?」
跳ね続ける少女のからだを腕に、青年は忍び笑いをもらした。
「いまのおまえの表情、いいね。まるで黄金の狼のようだ。心配はいらない。記憶を失って、この綺麗な色素が失われるだけのことだよ。ただ、そのまま放っておくと、五年後にこの子は死ぬよ。カライルア、君のちからで解呪しなくちゃね。でも、いますぐは無理だ。なぜなら、わたしがこの子を大陸のどこかに捨ててしまうから」
まだらに髪の色がかわってゆくスフェナを風がつつみこみ、華奢なからだを空中に浮かばせた。
「さあ、いけ! どこへなりと、好きなところへ」
幻よりもあっけなく、少女は消えた。
「いいかい、五年だ。せいぜい必死にさがすんだね。では、これで退散するよ。……また、あおう、カライルア」
消えた。
なにも残らなかった。解放された少年ふたりと、鳥の無惨な骸以外は。
祭りは、このとき、終った。