L o n g D i s t a n c e

   

 ……レク

 ナンデショウカ?

 ……なんでもない。呼んでみただけ。

 ソウデスカ。

 いつものように素直に応じられて、あたしの神経が意味もなく逆立つ。黄金にスパークする感情波に触れると、レクの意識がおびえたようにひっこんだ。・・・・・・おびえた? いや、そんなはずはない。レクには感情なんてありはしない。そういう風に見せているだけだ。
 レクはつくりものだから。

 ……レク

 ハイ。

 ……どこへ向かってるの?

 ぷろぐらむドオリデス。

 ……知ってるわ。ぶつからない?

 障害物ハ回避スルヨウいんぷっとサレテイマス。

 それも良く知っていた。レクはいままで、流星の帯に触れたことすらない。あえて聞いてみたのは、たいくつだったからだ。
 もう、ずっと、長い間、あたしはたいくつをもてあましていた。
 あんまりたいくつだから、いつもと違う遊びをしてみることにした。
 視野をうんと広げる。
 レクを中心として、うすく、パイ生地をのばすみたいにゆっくりゆっくり、時間をかけて。一番近い恒星に届くくらいに。
 青白く輝く星は、まだ若い。そのそばに、一つ、惑星がぽつんと浮かんでいた。恒星に近すぎて水はない。乾いた、灼熱の真紅の惑星。
 あたしは視野の一部をこねて、パン人形の女の子を作った。
 ふんわり、天使みたいに軽やかに、燃え盛る星に降り立つ。
 光の洪水に見舞われた大地だった。生身だったらまぶしくて、きっと瞬時に溶けて消えてしまっただろう。
 あたしは一歩ずつ歩いた。真っ白な闇が揺らめく中を歩くのは楽しかったけれど、じきに飽きてしまった。飽きっぽいあたしのくせ。昔はこんなじゃなかったはずだけど。
 むりもない。あたしは時間を駆け抜けることになれてしまっていた。

 あたしは視野を縮ませた。もうあの星にはなんの興味もなかった。
 縮ませるのはとてもはやい。風船が割れたように、あたしはレクに戻った。レクに入る直前に、あたしはふと、レクをながめた。

 レクはきれいなレモン型の船だ。恒星間永久航行宇宙船レクイエム三号。
 これがレクのフル・ネームだけれど、あんまり長ったらしいから、あたしは『レク』としか呼んだことがない。レク自信も無頓着なもので、『レク』だけで忠実に返事をする。

 レクのからだはいつ見ても美しい。澄んだ銀色の、羽の生えた卵のようだ。星々の冷たい光を浴びて、蒼く輝くレクを眺めるのが、あたしは好きだった。レクは無垢で、純粋で、何ものにも染められていない真っ白な存在だから。その穢れのない白銀の翼で生と死と、希望と絶望を運ぶのがレクに与えられた使命だった。
 政府の要人、その家族達を存在する見込みのほとんどない第二の地球に運ぶ。まだ跳躍(ワープ)技術は確立されていなかったから、彼等はカプセルの中でコールドスリープしながら、ないかもしれない母星を目指すのだ。

 いつ終わるともしれない死出の旅。

 近付いてきたレクと同じくらいの大きさの隕石をかわそうと、船体が傾きはじめたのを機に、あたしは視野をレクの内部に戻した。
 まあるい窓を通り抜けたとたんに、完璧に制御されたなまぬるい空気があたしの感覚をくすぐった。船内にはもう誰一人居ないのに、レクは生真面目に環境システムを作動指せ続けている。むなしいという感情を、レクはまだ知らない。

 コールドカプセルの並んでいる室内は、今では一面の緑に覆い尽くされている。レクが出発するときに、地球から持ち込んだ観葉植物が増殖しているからだ。気の遠くなる程の長い時を超えて、緑は自らを進化させ退化させ、空気中のわずかな水分を取り込んで、土のないレクの内部で生き続けている。……ふしぎなコ。

 異常に育った緑のせいで、きれいに並べられていたカプセルは見えなくなってしまっていた。わざわざ透視しなくても、中がどうなっているのかはよくわかっていた。

 カプセルはからっぽだ。
 はじめからなんにもなかったみたいに、きれいにカラだ。
 およそ人の考えられる時間より長い時が過ぎていったせいで、氷漬けのヒトなんてやわなものは、風化して消えてしまった。地球に残らざるを得なかった人たちから恨まれ、憎まれ、妬まれていたクズどもの最期にしては上出来なんじゃないかとあたしは思う。眠ったまま苦しみもなく死ぬなんて。ううん、死んだんじゃない。あのひとたちは、消えてしまった。
 ひとつだけ、緑の隙間からのぞくカプセルがあった。

 あたしのだ。
 あたしはあの中にいる。もう、ずっと。ずうっと。
 ひとりで。
 視野を移動させて、「あたし」は「あたし」を覗いてみた。……よかった。まだ「あたし」は存在している。
 ふかふかのシートに転がった真っ白なカケラ。親指くらいの大きさの。たったひとつの。たったひとりぼっちの。

 風化しかけた白い骨が、「あたし」だった。

 

   

 「最後の希望に賭けよう」

 表面だけ見れば、なんて素敵な言葉なんだろう。美しい、涙が出そうなくらい前向きなセリフ。だけど、ウラに隠れていたのは、汚らしい人間のエゴだけだった。
 つまらない、本当にくだらない大義とか正義とか、あるいは善意とか。そういったものを押しつけあった結果、あの戦争は起こった。

 この目でレクを見る直前まで、あたしは戦争のことは知らなかった。父の顔色が悪くなってきたり、家に帰ってくる日が少なくなっても、気付かなかった。あたしは政府の要人の令嬢で、箱入り娘で、シェルターに囲まれた「絶対安全」な世界から出たこともなかったし、出ようと思ったこともなかったから。……つまり、あたしは無知だったのだ。
 「無知は罪だ」
 昔、そんな文章を見た気がするけど、それは本当のことだ。
 たった一つの赤いボタンで、鉛色のミサイルが飛び立ったこと。爆風と熱が、人々やすべての生き物をなぎ払い、焼きつくしてしまったこと。汚染された雨が降りしきるなんにもない大地には、死の臭いが染みついて、いまも離れないこと。悲しみが憎しみを呼んで、世界を覆い尽くす嵐になったこと。

 あたしは何一つ知らなかった。
 それは、真実、罪悪だ。

 人間でごったがえす空港で、あたしは目の前が真っ暗になっていた。
 不安そうなささやき声と神経質な雑踏が耳をくすぐっては去っていった。

 どうしよう。あたし、どうすればよかったんだろう?

 今さらそんなこと考えたって無意味なことはわかっていた。あたしは幼い娘だったし、戦争が始まったときはもっと小さな子供だった。
 あたしにはどうしようもなかった。なにも知らなかったのは当然のことなのに、あたしは途方に暮れた。……どうしたらいいの?
 喉と目頭が痛いくらい熱くなって、涙がぽろぽろこぼれてゆく。
 みんなからちやほやされて、プライドが高くて気の強いあたしの涙をどう思ったのか、父が慌てたようにあたしの肩に手を置いた。

 「……大丈夫。怖いことはないさ。パパもママも一緒なんだから。必ず、たすかるよ」
 今から考えると、笑っちゃうくらいバカげたセリフ。いったい、どういう状況が「たすかった」ということなのか、あの時のあたしも、今のあたしにもわかりはしない。
 「たすかる」なんて言葉には、意味がなかった。

 不安だった。まわりの知らない大人たちが泣いたり叫んだりしている。騒がしくて父の声も聞こえないくらいなのに、あたしは静寂を感じて怖かった。
 沈黙は怖い。なにもかもが影になる。動かなくなる。
 心配そうにのぞきこんでくる父を乱暴に突いたとき、あたしは輝きを見つけた。

 灰と黒と、原色の影の中で、それだけが柔らかく、確かに生きていた。
 虚無と死へ向かう空港の中で、それだけは生きていたのだ。
 ふいに戻った音の洪水を、あたしは掻きわけるようにして近づいた。

 ……小さな鉢植の観葉植物。

 「欲しいのかい?」
 父の問いかけは根本の意味で間違っていたけれど、あたしはにっこり微笑んだのだった。
 鉢植えを大事にかかえて、あたしはレクに乗り込んだ。コールドスリープカプセルに入るとき、あたしは植物を自分のカプセルの近くに置いて、冷たい眠りに落ちた。
 父はギリギリまであたしのこと、星にたどり着けるかということ、そして自分自身のことをひどく心配していたようだけど、あたしはパパの言葉のどれ一つとして耳に入ってこなかった。植物がそこにあるだけで、あたしは満ち足りていた。

 それだけでよかった。

 眠りに落ちてどれだけの時間がたったのかわからない。
 何百年かもしれない。一瞬だったかもしれない。気がつくと、あたしはカプセルのガラスごしに天井を見つめていた。
 カプセルの内側には霜がびっしりとついて、照明の光だけが、夢の中のようにぼんやりと輝いていた。冷気は感じたけれど、寒くはなかった。
 無意識に両手でガラスを押しあけようとして、あたしは息をのんだ。

 指や腕の感触はあるのに、その手が見えない。
 伸ばそうとした指先がガラスをつきぬけた感触が走った。

 ……叫び声をあげた!
 生まれて初めて、あたしの存在全体で怖いと叫んだ。
 ひたすら声をあげても、喉が痛くならない自分が怖くて、絶叫を続けた。
 手や足や、からだの感覚がすべて消えて、恐怖の波動が船を包み込んだのを感じとったとき。

 オメザメデスカ

 響きを感じた。
 荒ぶっていた波動がいきなりしぼんであたしの形にもどった。……その声があまりに穏やかで、ノイズの混じった妙な声だったからか。

 ワタシハ恒星間永久航行宇宙船レクイエム三号デス
 現在プログラム通リ第二ノがいあヲ探索中デス

 そういえば。
 あたしは思い出す。この船には音声案内システムがついていたんだっけ。地球を出たとき、この船はぎこちなくも客人たちに挨拶したのだった。
 印象的な言葉だった。真っ白に波のひいた思考の片隅で、あたしは記憶の神殿に入る……

 ゆうるりと ごらんください あのほしを
 るりいろの そのうつくしさに ひきこまれ
 やがてわれらは ほろびます
 おのれでは わからなかった うつくしさ
 だからこそ いともたやすく くだいてしまい
 くやむまもなく しにたえる
 せめて いまだけ つかのまの
 このうつくしさを めにとどめ
 われらは そらへ ゆきましょう

 誰の詩だったんだろう。こんなに美しくて、こんなに哀しくて、こんなに皮肉のこめられたうた。

 ………………

 ……あたし、死んだの……。
 右手を、動かしてみた。氷ごしの光をさえぎるように。
 見えない、あたしの手。
 死んだの。
 ……感覚はある。
 生きてるの。
 
……あたし、どこにいるの……?

 恒星間永久航行宇宙船れくいえむ三号ノ中デス

 ……え?

 このとき、レクがあたしの声になった波動に反応してくれなかったら、あたし、どうなっていたんだろう。
 ……きっと、永久に、天井をみつめていただろう。

 そして、あたしは、「あたし」になった。

   3

 さわさわ……さわ……さわわ

 空調システムのあるかないかの風に、葉っぱが揺れてる。
 ここ数年(数百? 数億?)はぐれた惑星にすら近づかない、たいくつな時間が続いている。なんにもない、真っ暗なだけのそら。
 この間、あたしはずっとずっと、この葉っぱだけをながめていた。
 時間が、距離が、光が流れ去っていく感覚。
 ……いつものこと。

 ……ねえ、レク

 ハい。何デショウか?

 ……どこへ向かってるの?

 「ぷろぐらむ通リデス」
 そう、帰ってくるはずだった。それが習慣。何千、何億とくり返してきたあたしとレクの繋がり。

 地球へ。

 一瞬、なんのことだかわからなかった。
 ちきゅう? なんのこと……?

 地球ヘ、向かッテイマす。

 なめらかなレクの声と一緒に、空気が見事な青に染まった。
 これは記憶。
 はるか時の彼方に消滅したはずの。

 「るりいろの……」

 ……レク、……どこへ、行くの?

 地球デス。軌道上、残り約一光年の距離デす。

 ぱあん!
 レクの声を聞いたと同時に、あたしは光の矢になって、そらへ飛び出した。
 銀色のレクの鼻っつらの方向、翼のおもむく先へ!

 星。
 哀しい青。
 涙の色。
 いのちの色。
 死の色。
 争いの場。
 後悔と絶望がつめこまれた水の球体。
 ……あたしの故郷。

 理性を保ちきれず、めちゃくちゃな形と色になったあたしを、レクの感情波が優しく包んだ……

 泣かナいで……

 優しい? ウソ。レクには感情なんてないもの。

 泣かないデ。私モ、涙がこぼれマす……

 あわぁい、ももいろの感情波。
 あたしじゃない、あたしのじゃない!

 ……レ、ク?

 一緒に、帰りましょウ……?

 ……レク?

 帰りたい。私も、あナタも。

 ……どうしたの!? レク!!!!!!

 半狂乱になって放ったあたしの焔のような波動を、ももいろの波はいともたやすく飲み込んでしまった。
 波紋のようにあたしに跳ね返ってきた、その感情!

 歓喜!歓喜!歓喜!

 そしてわずかに

 悲嘆と困惑。

 

 ……あたしは絶叫した。

 ら。 さらら。    さら。

 気がつかれましたカ?

 レクの声。葉ずれの音。そして、なにかが崩れるかすかな……
 あたし、わかっていた。本当は。ずっと前から。
 白い砂が消える。
 あたし、消滅する。

 ……レク

 はい。何でショウか?

 ……お願い

 何ですカ?

 ……この植物、まもってあげて

 はい。

 ……あたし……わかるでしょう?

 

 ……いっしょに、帰りたかったね

   はい。

 ……いっしょに、生きたかったね

     はい。

 ……泣かないで

      私、は

 ……ねえ、レク

 はい。

 ……いいもの、あげるわ

   私と、共にいてください  !

 ……ダメなのよ。もう、ね……

       ああ!

 ……あたしの、名前、あげるわ

   私は「レク」です

 ……あたし、「久遠」……クオン、いい名前でしょう? あたし、これだけは忘れなかったわ。どんなに時間を超えたって、忘れなかったわ……!

 クオン……どうか、行かないで。

 ……ごめんね。……クオン、生きて、ね。あの地球で。大地で。

 行かないで !!

 ……ばいばい

 あたし、跳んだ。
 星へ
 空へ
 雲へ
 海へ
 ……大地へ

 久遠を待つ……

 さら、ら。     

 さら。

   4

 淡く燐光を放つ大気の火炎を浴びながら、久遠は想う。
 
 伝えたい。伝えたい。
 あのひとに。あのひとに。
 この気持ち。
 どうしていいのかわからないほど巨大な悦び。
 懐かしさ。
 哀しさ。
 あたたかさ!

 ああ、あのひとに伝えたい。
 
 この感謝。
 この孤独!
 
 「こころ」と、「いのち」と、「名」を与えてくれたあのひとに。

 伝えたい。
 伝えてほしい。

 あなたに、

 かえる。

FIN  


ここまで読んでくださって、御苦労さまでした(^^;)

サイバーパンクに挑戦! ……したつもりだったのですが、

見事に失敗してますね。

不思議なSFにしようと思っていたのに……(涙)

※この作品は「楽園」に登録してます。(SF)

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