穏やかな風に血の匂いが混じる。ついで、寒気のする断末魔の叫び声と、刃鳴りのかすかな金属音が耳をかすめた。

美しきはエドラーナの城よと讃えられたその庭で、第五公女シャンファイナはひとり立ち尽くしていた。

今年十六になる姫は、隣国カイラスがエドラーナ公国に攻め入った時に初めて城に入った。母が市井の人であったので、都の片隅の館で静かに暮らしていたのだ。
それがなぜ、今になって突然呼びつけられたのか、少女には理解できなかったのだが、腹違いの兄、シリスが戦死した知らせが入った瞬間、イヤというほど思い知らされたのだ。

ひゅっ、という音に、姫は我にかえった。一本の矢が、よく手入れされた芝生につきたっている。城壁を越えてきたものらしい。敵の矢がこんなところにまで届いては、もはや落城はまぬかれまい。
いっそ、この矢につらぬかれて死んでいればと少女が珊瑚色のくちびるを噛んだとき、どたばたと慌てた足音とともに、彼女の父があらわれた。

「お、おお、姫。このようなところにおられたか」

太り気味の王は地につきたったままの矢を見てぎゃっと叫び、娘の手を乱暴につかんで庭に面した回廊につれていくと、大きく息を吐き出した。

「そなたは大事な余の末姫ぞ。もっと、御身に気をつけられよ」

少女は手をつかんだままの父王を無感動に見つめた。王が彼女の身を心配するのは、道具としての価値が下がるのを恐れているからだと、彼女は知っていた。

「実はの、そなたに話があるのじゃ」

びくりと震えた少女に王は気づいているのかいないのか、少々度の過ぎた猫なで声で切り出した。

「おれは絶対、嫌だからな!」

言い終わらぬうちにグレンフェルは扉を腹立ちまぎれに閉じた。後に残された人々はそれぞれ苦笑して顔を見合わせた。

「まったく、あれにはいつも苦労させられる。どうにかならぬものかな」

グレンフェルの兄で、現カイラス王のサヴァスは、やれやれと豪奢な椅子に腰掛けた。弟とは十歳違いの二十七歳の若い王であるが、身体が弱く、少しのことで体調が崩れてしまう。
今も熱っぽいのだが、いつものことと言って起き出してきたのだ。

「陛下の弟君とあって、よう似ておられます」
「私はあのようにいじっぱりではないぞ」

そばに控えていた宰相パーシアスはこらえきれぬと言いたげにくつくつと笑いを洩らした。

「おい、後で覚悟しておけよ」

サヴァスがこそりと呟くと、宰相はいささか大仰に礼をした。

そのころ、グレンフェルは馬房へ向かって歩いていた。軽やかに一歩を踏み出すたび、ひとつに束ねた茶金の長い髪が揺れる。不機嫌そうな表情をしているからか、ゆきかう宮廷人の誰もが飛び退いた。

兄王から聞かされた話を思うと気分が悪くなる。
まだ十七になったばかりの俺に縁談とは。あげくに相手があのエドラーナ王の娘だという。どんな醜女だか知れたものじゃない。

勝手な想像ができるのは、遠目にだが、エドラーナ王を見たことがあったからだ。あのときの王は敗軍の将で、ぶざまに命乞いをしていた。あの太った見苦しい男の命と引き換えに、子供達の中でただひとり生き残った第五公女が差し出されたのだ。
愚かな王にも腹がたつが、兄がそれを受けたのも気に入らない。

サヴァスが姫を妃にむかえればいいようなものだが、そうもいかないのだ。七年前に崩御したカイラス王の遺言には、病弱なサヴァスではなく、弟のグレンフェルを王位につけるようにと記されてあったのだ。だが幼いグレンフェルの代わりに、まずはサヴァスが玉座に座ることになったのだった。

サヴァスはこの七年をひたすら内政の充実についやしてきた。そう遠くない未来に国を継ぐべきグレンフェルのためであった。

病弱だが、隙のない政治を内外ともに見せつけた若き王の身の上に、危機がせまったことがあった。暗殺未遂だった。
その後の調べで、暗殺者を差し向けたのはエドラーナ王であることが判明した。
いまだ次の王位継承者が成人していないので、民人らは震え上がったが、サヴァスはひとり、落ち着いていた。
これを好機とみたのだろう。間髪おかずに軍を編成し、エドラーナ公国に宣戦布告した。

茫洋とした王を抱えた国は、その王が一瞬見た夢によって滅びた。



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