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依頼にうさんくさいものを感じながらも、いい機会だと承諾した。

「ようするに、娘を一人、さらうのに協力しろと言うんだろう?」
「さらうのではない。お助け申し上げるのだ」

男は不愉快そうに言い直した。かぼそいロウソクの灯にぼんやりと浮かぶその顔は、いくぶん青ざめて見えた。こ汚い外套を着込んでいる。

(お偉い貴族もかたなしだな)

アズライトは皮肉な笑みを浮かべた。それを目ざとく見つけたのか、青白い男は不快そうに鼻をならした。

「態度に気をつけろ。これは神聖で、正義あることなのだ。我が祖国を愛するお前なら、わかるだろう。それとも、殿下の御恩までも忘れたか」

『殿下』という言葉に、彼は危うく理性を失いかけた。こぶしを、震えるほど握りしめる。
不穏な雰囲気を察したのか、使いの男はそうそうに退却していった。
粗末なテーブルの上に投げ出された契約金のつまった皮袋を床に叩きつけ、アズライトは大きく息をついた。

(お前ら無能な貴族ごときに何がわかる!……シリス……)


エドラーナ第一公子シリス。
彼は幼い頃からさとい少年だった。武芸にも長け、容貌も王よりも王妃に似て、いやがうえにも彼への期待は高まっていった。

アズライトがシリス公子と出逢ったのは十二の夏のこと。下級貴族の子ではあったが、少年ながらも素晴らしい剣技をもっていたアズライトが、シリスの忠実な友にと請われて宮殿にあがったのがすべての始まりだった。

シリスは思っていたより気さくな少年だった。嫌なヤツだったらどうしようと身をちぢこませていたアズライトに、彼は言ったのだ。

「すこし、待っててくれないか」
「……は?」

あぜんとしたアズライトに、不思議な紫の目をした公子はからかうように続けた。

「もう十年もしたら、君にふさわしい男になるから」
「……結婚の、申し込みですか?」

真剣に悩んでいるらしいアズライトの言葉に、少年は驚いて目を見開き、次の瞬間には腹を抱えて笑いだしていた。
子供らしい、笑い話のような出逢い。だがそれは、はやくにふた親を亡くしていたアズライトには、夢のように充足した日々のはじまりだった。
あの忌わしい事件が起きるまでは。

父王のカイラス王暗殺の計画には、シリスは常々反対していた。
エドラーナは、大国カイラスの安定した治世のもとで存在を許されているような小国である。それをなぜ、いまさら自分から平和を壊そうとするのか。計画に失敗すれば、その時点でこの国は滅びるだろう、と彼は根気よく父を説き続けた。
一度は王も納得したのに、無謀な計画は実行されてしまったのである。

シリスの潔癖な政治方針をこころよく思わぬやから、つまりは王に寄生して生きてきた大貴族らが王を扇動したのだ。

「彼らは計画成功のあかつきには、私よりはるかに御しやすい第二公子を玉座に据えるつもりだったのだろう」

祖国の命数をわけることとなったアラルトの戦いの前夜、シリスはアズライトに語った。その少し痩せた頬が、皮肉っぽく震えていた。

シリスの才幹があれば、カイラスなど敵ではない。だから、そんな悲愴な目はやめてくれ!
そう叫べばよかったろうか。勝ち目はないとわかりきっていたのに?
ではあのとき、オレはいったいどうすればよかったんだ!
何故、護ってやれなかったんだ……!

公子が目の前で斬り殺されたとき、アズライトは半狂乱で叫んでいた。
血しぶきをあげる死体を抱いて、嘲笑する男の姿はたしかに異様で、手柄欲しさにシリスを後ろから斬ったカイラス兵も、しばらくは凍りついていた。
狂った空間をやぶったのは、一人の騎馬の人物だった。

「死んだか?」

投げつけられた非情な言葉に、アズライトは憎悪の目をむけた。

「意外に、あっけなかったな。きれる奴だと聞いていたから、もう幾日かはかかると思っていたが……たのみの公子が倒されては、いくさも続けられないだろう」

声が若い。少年兵らしいが、その身を包む鎧はかなり良質のものだ。おおかた、どこぞの名家の子弟だろう。シリスが目当てでやってきたのかもしれない。彼の肉体を手に入れたなら、巨大な戦功が手に入る。
……だが、渡すものか!

アズライトが公子のからだを抱えたまま血濡れた剣を構えなおすのを、少年は興味深げに眺めていたが、やがて馬を返しつつ、あたりに叫んだ。

「大切な主君なのだろう。無理強いはしない。手厚く葬ってやるといい。……おい、そこのやつ、もはやシリス公子を討てという王命は達成された! 公子のからだはいらぬ。さっさと退けと他のヤツにも伝えておけ」

カイラス兵はかしこまって、少年が行ってしまうのを見つめていた。
アズライトはというと、冷たくなり始めた主人の青年を背負って、戦場を離脱すべく、歩きだした……


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