演歌ヒット曲の秘密

 

1.  2.箱根八里の半次郎  3.(工事中)
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1.大泉逸郎さん「孫」

 2000年の演歌の代表曲といえば、なんといっても、大泉逸郎さんの「孫」であろう。ついに、売上数は、100万枚を超えたが、演歌業界では、20年近く 100万枚の売上を記録していなかったというのだから、いかに「孫」が大ヒットしているか、そして、演歌が売れていなかったかが分かろうというものだ。 「孫」は、今や、有名アーティストと顔を並べる存在となったのである。
 それでは、なぜ、この「孫」がこんなに大ヒットしたのかといえば、私が掲げた 「演歌復権への道」に掲載されている項目を地で行った演歌であるといえるからである。すなわち、まずは、大泉逸郎さんの手作り演歌であるという点である。 この「孫」は、作曲が大泉逸郎さんで、作詞は、大泉逸郎さんの友達荒木良治さんであるということで、今までは無名の新人作詞・作曲・歌手の歌なので、 それだけでも手作りという感を抱かせる歌と言っていいものであるが、これを、地道な営業を続けて大ヒットに結びつけたのである。それから、「孫」は私の 提唱する、「ふるさと演歌」ではないが、大泉さんの活動方針は、まさに「ふるさと密着」そのものである。大泉さんは、本業は、あくまで山形の「さくらんぼ 農家」である。そして、「カラオケ教室」を地元で趣味的に行い、その中で「孫」も、自分の持ち歌として披露していったのである。ちなみに、「孫」の世界は、 「北国の港町の恋物語」にはあたらず、新鮮味を与えてくれたことも大ヒットにつながったといえるだろう。
 もちろん、マスコミの協力も見逃せない要因となって いる。テレビで何度も取り上げられ、「こんなすばらしい演歌あります」というフレーズで、社会現象にもなった。それに、大泉さんの人生とあいまって、 (大泉さんは、息子の大病に対し、何とか息子を助けてあげたい心から、骨髄提供をして、助けてあげることに成功した)人情を誘い、現在の大ヒットにつながった のである。このように、演歌も、条件さえ整えば大ヒットにつながることはある。そして、大泉さんの夢は、孫の結婚式に、「孫」を歌ってあげることだそうである。 その時まで、「孫」が歌い継がれることになれば、「孫」は平成演歌の名曲となるだろう。

 

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2.氷川きよしさん「箱根八里の半次郎」

2000年の演歌といえば、代表曲の一つに「箱根八里の半次郎」もあげられよう。世界の「北野武」さんが名付け親となった氷川きよしさんのデビュー曲となった この曲は、2000年9月現在で50万枚を越えるヒットになっている。(筆者注・2001年100万枚突破)この曲のヒットのポイントは、なんといっても インパクトの強さである。「やだねったら、やだね」のフレーズ(さびの部分にあたる)は、本年の流行語大賞にもノミネートされておかしくないほどヒット している。その証拠に、NHK歌謡コンサートで、氷川さんが歌唱したとき、「やだねったら、やだね」の部分で、観客が合わせてコールをかけていたことからも うかがえる。
 それに、氷川さんのキャラクタ性にもヒットの理由があるだろう。この歌を、従来の大歌手が歌っても、これほどのヒットになったかどうかは私は疑問だと 思う。やはり、ポップス調の曲想に演歌の雰囲気・歌詞を付けた曲であるこの曲にあった新鮮味を氷川さんが出したことに、この曲がヒットした要因があったよう である。特に、この曲は、若い世代に演歌の魅力を伝えるのに非常に意義のあった曲だと思う。若い世代が演歌の魅力を感じるきっかけになるのは、このような曲に 出会うことによるものだと感じている。曲としては、私の提唱する「ふるさと演歌」であり、全国に名の知れた「箱根」を舞台にした股旅演歌で、情景をとらえるのも 非常に易しく、覚えやすい歌であることもいえると思う。
 さて、氷川きよしさんだが、この曲のヒットで、一躍全国にその名が知られることとなったが、やはり、これに満足せずに演歌界を盛り上げていって欲しいと思う。 特に、この一曲で終わるのでは、演歌の本格的な復権にはつながらないからだ。次のヒット曲が出てからこそ、本当に「氷川きよし」の名前が本当のものになるはずだ。

 

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これからもヒット演歌の秘密、研究いたします