3.初鯉

人生には、思い出に残る出会いが幾つかあります。

特に、その後の人生にまで大きく影響を与えた出会いには、より鮮明な思い出となって、心の奥にいつまでも残っています。

 30年程前、私の学生時代最後の秋は、その後の人生に影響を与えた出会いを三つも経験してしまいました。

 その一つが、今尚飽く事無き魔力で私を虜にしている野鯉で、二つ目が、その世界を更に広げてくれた今は亡き小西氏の名著『淡水大魚釣り』であったのです。

 私は、海の無い岐阜の片田舎に生まれ育った為、子供の頃から親しんだ釣りは、川や池の小鮒釣りでした。野鯉は、とても子供には釣れない大物として、常に羨望の彼方にありました。

 時折、釣りキチの父親が釣ってきた野鯉の姿を見て、憧憬の念を抱きながらも、短気な父親が野鯉釣りに子供がついてくるのを好まなかった為、野鯉釣りを始めたのはずっと後の事でした。

 それは、学生時代最後の夏休みの事でした。暑い夏の昼下がり、いつものように近くの揖斐川へ水浴びに出かけ、川岸の叢で休んでいました。すると、5m程沖の深場から岸辺の浅場へ、何か大きな黒い物体が上がって来るのを見つけました.水中を透かして見ると、それは鯉でした。そのまま息を殺してじっと見ていますと、一匹また一匹と後から後から野鯉が続き、岸辺で群れをなしているのです。私は、日の落ちる迄その場を動けず、野鯉の群れにじっと見とれていました。

 翌日から、私はリール竿を両手に、その川岸に立つようになりました。手持ちの3m程の投げ竿にスピニングリールをセットして、市販の吸込み仕掛けにネリエサを付け、沖の深みを狙って投げ込みました。

 しかし、いわゆる野鯉のポイントと呼ばれるカーブの内側の流れの緩い最深部を狙って、毎日エサを投げ込んだにも拘わらず、野鯉はさっぱり良い返事を送っては来ませんでした。

 夏休みが過ぎても私は諦めきれず、毎週そのポイントへ通っていましたが、9月中旬を過ぎた頃、100m程上流で鯉が跳ねるのを目撃しました。

 そのポイントは、20m程沖まで水深僅か50cm程の浅い泥底で、その先が段になって1m程落ち込んでいる所で、当時はとても野鯉の釣れそうなポイントには思えませんでした。

 しかし、最初に群れを見たポイントでは、1ヶ月半も通っているのにアタリ一つ無く、藁にも縋る思いで上流へ1本の竿を移す事にしました。ところが、エサを打ち込んで元の場所へ戻るか戻らない内に、もうアタリが来たのです。

 リンリン…と激しく鈴が鳴ったかと思うと、穂先がグングン締め込まれて、今にも川の中に引きずり込まれそうになっているのです。あわてて、今来た道を吹っ飛んで戻り竿に飛びつくと、鮒やウグイとは問題にならない強い手応えが返ってきて、思わず足がガクガクと震えるのを感じました。

 あとは無我夢中で、気が付いた時は、折り畳み式の三角タ゛モに入った野鯉が、草の上でまぶしく黄金色に輝いていました。

 子供の頃から夢にまで見た、生まれて初めて釣り上げた野鯉は50cmにも満たない47cmの小型でしたが、当時の私には燦然と輝く垂涎の大物に見え、暫くは手足が震えてエサが打ち込めない程でした。

 翌週の日曜日は、そのポイントで3匹掛けて2匹ばらしました。1匹目は最初のひとのしで道糸を切られ、2匹目は手元まで寄せながらもう一息の所で針が外れてしまいました。

 その晩、私は悔しくて眠れませんでした。

翌日、授業が終わると早速本屋へ行きました。野鯉釣りの仕掛けを書いた本を探す為でした。その時出会ったのが、小西氏の名著『淡水大魚釣り』であったのです。

 その夜は、一気にこの本を読んでしまいました。そこには、それまで見た事もない大魚と、それを釣る為の、独特ではあるが合理的なシステムが展開されていました。

 少し長めのバネのような弾力性を持った軟調のリール竿と、指圧ブレーキで投射音を調節できるスタードラッグ付きの両軸受けリール。1m間隔で並べた竿による1点投餌。ラセンを用いない吸い込み仕掛けにY字型ハリス。その他、次から次へと繰り広げられるその内容は、斬新さと説得力を持って、一晩で私を虜にしてしまいました。

 翌日、なけなしの金をはたいて、軟調の竿2本と両軸受けリール2個をセットで仕入れました。しかし、学生の私が高価な外国製のリールなど買える訳も無く、国産のオリムピック『ファイター150』という名のサーフリールだったように思いますが、それに道糸6号を150m程巻きました。そして休日を待ちきれず、暗くなるまでの僅かな時間、竿を振りに出掛けた程です。

 初めて手にする両軸受けリールと軟調磯竿の組合せは、とても新鮮で現代的なものに思え、直ぐにも大鯉がドンドン釣れるような気がしたものです。

 しかし、当時の国産リールの水準はひどいもので、常にバックラッシュの恐怖と、戦慄の糸噛みに悩まされながらの釣りでした。

 それでも、野鯉を掛けてからの遣り取りは、スピニングリールの時とは雲泥の差で、その後1ヶ月程の間に20匹を掛け、バラシタのはタモ入れに失敗して吸い込み針が網の目に掛かって逃げられた1匹だけでした。

 あれから、もう30年の歳月がたちましたが、野鯉への思いは募るばかりで、休日になるのが待ちきれず、前夜から竿を出さずにはいられない今日この頃です。

 鯉に恋して30年、愛に昇格する日は来るのでしょうか?