耕一たちが結婚する三年前に起きた、千鶴と梓の壮絶な姉妹喧嘩、つまり、耕
一の柏木四姉妹への想いの形に変化をもたらせたあの事件からさかのぼること、
数ヶ月。今回の物語は始まる。



 ある年の春、東京で一人暮らしをしている青年、柏木耕一の元に一本の電話が
かかってきた。
「はい、柏木です。あ、あなたは! はい、はい……はあ、そ、そうですか。親
父が……。はい、式、ですか……。ですが、俺が行ってもなんにもなりません。
それよりもあなた方が式を執り行った方がいいと思います。やはり、俺よりもあ
なた方の方が、親父を見送るのにふさわしいですから。え、ですが……わかりま
した。それでは学校の手続きもありますから、あさって、でかまいませんか? 
はい、お願いします。それよりも鶴来屋の方は一体? そうですか、やはりあな
たが……確かにそれが一番いいと思います、がんばってください。では、失礼し
ます」
 電話を切ると、耕一は仏壇にある母の遺影に向かって話しかけた。
「お袋、親父が死んだって。だから俺、隆山に、親父が死んだ所に行ってくるよ。
なんか親父が世話してた従姉妹たちもね、せめて葬式だけでもいいから俺に来て
ほしいって。だから行くよ。親父はどうでもいいけど、従姉妹の女の子たちには
会いたいからね」
 耕一は苦笑したが、その顔はどこか寂しげだった。




『藤田家のたさい』外伝

柏木家の幸せ〜幸せへの前奏曲(プレリュード)〜
第一章 運命の再会


「隆山――、隆山――」   電車のアナウンスが鳴り響いた。  突然の電話から二日後、耕一は隆山駅に立っていた。 「ここに来るのも久しぶりだな……みんな、元気かな」  感慨にふける耕一の脳裏に浮かぶのは従姉妹の女性たちのことばかりで、死ん だ父親のことは大して浮かんでこなかった。 耕一にとって、父親はある意味どうでもよい存在だった。  耕一の父はここ隆山で、ホテルを中心とした企業グループ「鶴来屋」の会長を していた。  元々は彼の兄が会長をしていたのだが、兄夫婦が事故死したため、急遽耕一の 父が会長を継いだのだ。  さらに、彼は兄夫婦の忘れ形見である千鶴たち四姉妹を引き取り、隆山で彼女 たちと共に暮らし始めた。  それは「鶴来屋」を狙う欲深い連中から彼女たちを守るためだった。  だが、隆山に住んだのは耕一の父だけで、耕一とその母親は、父の希望で東京 に住んだままだった。  それ以降耕一とその父親の接触は、耕一の母親の葬儀のときを除けばまったく なく、結果として耕一にとって父親とは「自分と母親を捨てた存在」となってし まっていた。  耕一は目的地である柏木家への行程を徒歩で行くことにした。  久しぶりに来た隆山をゆっくり見たいというのと、道すがら彼女たちのことな どを考えたいと思ったからだ。  隆山に住む、耕一の従姉妹である四人姉妹。  叔父夫婦が亡くなるまではよくいっしょに遊んだが、叔父夫婦が亡くなり自分 の父親に引き取られて以来、まったく会えなくなってしまった女性たち。  元気いっぱいでいつもいっしょに遊んだ梓。  明るくて、笑顔を決して絶やさなかった楓。  自分のことを「お兄ちゃん」と呼び、よく自分になついてくれていた初音。  そして、耕一にとって初恋の人であった千鶴。  耕一にとっての彼女たちは、あくまで「自分と母から父親を奪った存在」では なく、昔のままの、仲のよい従姉妹だった。  耕一は誰に聞かせるともなくつぶやいた。 「早く会いたいな」  従姉妹たちのことを考えていると、耕一の歩く足は自然と速くなっていった。  五時を少し回ろうかという頃、柏木家の屋敷が見えてきた。  屋敷は、企業グループの会長の実家だけあってかなりの邸宅だった。  そのとき、にわかに空が曇り、空は真っ暗になった。 「おいおい、これってまさか……」  その瞬間、空が輝き稲光が鳴り響き、大雨が降ってきた。 「うわ! 早く家に行かないと!!」  耕一は柏木家に向かって走り出した。  耕一が去ったあとには、耕一の影が残っていた。  その影はやがて動き出し空に浮かぶと、小さな黒い雲のような形になった。 「ふっふっふ……は――はっはっはっは――!!」   黒い影から発せられた声は雨の音にかき消され、誰にも聞かれることはなかっ た。 「こんにちは、こんにちは!」  柏木家に着いた耕一は戸を叩いた。  しばらくすると、家の中から怪訝そうな声がした。 「はあい。あの、どちらさまですか?」 「柏木です、柏木耕一です」 「耕一? 本当に?」 「はい、耕一です。そちらの千鶴さんに呼ばれてきました」  耕一がそこまで言うと、扉が開いた。  玄関には少し癖毛のある、かわいらしい女の子が立っていた。  耕一はしばらくその子に見惚れたあと、改めて自己紹介をした。 「あ、あの、俺、柏木耕一です。もしかして君、初音ちゃん?」  耕一の言葉を聞いた少女は、突然耕一に抱きついた。 「やっぱり、やっぱり耕一お兄ちゃんだ! 会いたかった、会いたかったよ……」 「えっ? えっ?」  突然美少女に抱きつかれて、耕一はあせった。 「あ、あの。俺、雨で濡れてるから、体汚れちゃうよ」  気が動転していた耕一には、まぬけなことを言うぐらいしかできなかった。  耕一たちが玄関で騒いでいると、家の中から大きな声がした。 「初音――! 一体何してるんだ? お客さんか?」  声の主が家の奥からやってきた。  ショートカットの気の強そうな女性で、はっと目を見張るほど、整った顔立ち をしていた。  エプロンをしているところを見ると、食事の用意をしているところらしかった。 「一体何を騒いでるん……だ? あんた、もしかして……耕一か?」 「えっと梓か? 久しぶりだな」  耕一はまた懐かしい顔に会えてうれしかったが、相手の女性、梓は一瞬うれし そうな顔をしたあと、思い出したようにそっぽを向いた。 「よ、よく、来たな……」  梓はそっぽを向いていたが、よく見ると頬は紅かった。 「ああ、久しぶり。でも、もうちょっと別の言い方ないのか? 久しぶりの客に その言い方は、ちょっとな」 「あんたにはこれで十分なんだよ……あ――! 何やってんだ、初音!」  耕一の方を向いた梓が大声を出した。  梓の視線の先には、彼女が耕一と話をしている間も、耕一に抱きついていた初 音がいた。 「初音、早く離れろ! こんな奴にいつまでもくっついてると、妊娠するぞ!」 「な……!」  その言葉に初音が固まった。  やがて、初音は下を向いて何かをぶつぶつ言い始めたが、耕一から離れようと はしなかった。 「ちょ、ちょっと待て梓。言うに事欠いて『妊娠する』だと? いくらなんでも 言い過ぎだぞそれは!」 「事実だからいいんだよ!」 「どこが事実だ! 俺はそんなけだものじゃない!」  「う、うるさい! 耕一、とにかく早く初音から離れろ!!」  耕一と梓が大声で言い合っていると、家の奥からさらに人影が現れた。 「梓、いいかげんにしなさい。お客様に失礼でしょ。あら、もしかして耕一さん、 ですか?」  奥から表れたのは二人の女性、おかっぱ頭の少女と、長い黒髪の女性だった。 「久しぶり、楓ちゃん。元気だった?」  耕一は少女の方にあいさつをした。  だが楓と呼ばれた少女はぺこりと頭を下げると、足早に家の奥へ戻っていった。 「梓、俺、楓ちゃんに嫌われてるのか?」 「さあ……」  耕一と梓が不思議そうに顔を見合わせていると、もう一人の女性がゆっくりと 耕一に話しかけた。 「いらっしゃい、耕一さん。お久しぶりです」 「ご、ごぶさたしてます、千鶴さん」  耕一は努めて冷静に話をした。  だが、千鶴を見た瞬間から胸の高まりを抑えることができなかった。  耕一にとって初恋の人である千鶴。  彼女は以前会ったときから美しい女性だったが、今では大人の女性としての魅 力を十二分に漂わせていた。 「本当に、よく来てくださいました」  千鶴はにこやかに微笑んだ。  その笑顔を見ただけで耕一は舞い上がりそうだった。 「…………」  二人の間に沈黙が流れた。  お互いに言いたいことがあっても、うまく言い出せない。そんなもどかしさが あたりを包んだ。  お互い少し顔を赤らめてうつむき会っている様子は、さながらお見合いのよう だった。 「さあ、あいさつもすんだんだ。耕一もさっさと上がりなよ。体も汚れてるんだ。 まずは風呂にでも入ったらどうだ」  二人の雰囲気にいらいらした梓が声をかけた。  その声に千鶴と耕一は、はっと我に返った。 「そ、そうだな。じゃあ、お言葉に甘えて上がらせて、もら、おうかな」 「はい。ですが、その前に一目、おじさまに会ってください」  耕一は黙ってうなずくと、何も言わなくなった父親との再会を果たした。  数時間後、耕一たちは居間で夕食の用意が終わるのを、会話をしながら待って いた。 「そう、親父が死んだあと、大変だったんだ」 「ええ、なにしろ突然のことでしたから。すぐにでも耕一さんに連絡を取らなけ ればいけなかったのに、すいません」  頭を下げた千鶴に、耕一はあわてて手を振った。 「そ、そんな気にしないでよ。千鶴さんが電話してくれたときって親父が死んだ 日の夜だったろ? あれでも、十分早かったんだから」 「ですが」 「ほんとにいいんだって。それよりも千鶴さん。あなたが鶴来屋の会長を継ぐん だよね? 俺、なんの力にもなってあげられないけど、応援だけでもさせてもら うよ、がんばってね」 「は、はい」  千鶴は、少し顔を伏せた。 「本当は、耕一さんが会長を継ぐのがいいと思うんですけど」 「そんなことないって。俺は元々ここの人間じゃない。やっぱり先代、先々代の 会長とのつながりが深い千鶴さんがするべきだよ。確かにいきなり会長をやるっ ていうのは大変だけど。千鶴さんならきっとできるって」  耕一は千鶴の手を握った。 「ね、がんばってみようよ! 俺にできることなら、なんでも言ってくれていい から。お、俺、できる限りの手伝いをしたいんだ。たとえなんにもできなくって も、千鶴さんを励ますことぐらいはできるから。ね!」 「は、はい。よろしくお願いします」  千鶴はわずかに頬を紅く染めて、耕一が握っている自分の手を見た。 「あ、ご、ごめん!」  耕一はあわてて手を離した。 「あ……」  千鶴は少し残念そうな顔をした。 「と、とにかく、またこうして会えたんだからさ。昔みたいに従姉弟同士仲良く しようよ、ね、千鶴さん!」 「はい、ありがとうございます」  そのとき、梓と初音が夕食の用意を終わらせた。 「さあみんな、夕食だよ!」  その声を合図に、全員が食卓に着いた。 「いただきます」  柏木家での夕食が始まった。 「へえ、これってみんな梓が作ったのか? すごいな」  食卓には、梓が作った料理が並んでいた。  その出来映えに耕一が感心すると、梓は得意そうに言った。 「まあね。へへ、あたしにかかればこんな程度の食事、軽いもんさ」 「ほお、そいつはすごいな」  感心する耕一の隣で、初音がおかしそうにしていた。 「何言ってるの、お姉ちゃん。今日の食事ってここ最近で一番豪勢で、手が込ん でるじゃない」 「そ、そんなことあるわけないだろ。あたしはいつだってこれぐらい作ってるさ。 初音、変なこと言うなよな!」 「だーって、この材料って、お兄ちゃんが来ることがわかってすぐに集めたもの でしょ? 普通、こんなにいい材料使わないもん」 「初音、よけいなこと言うな!」  顔を真っ赤にして初音に注意する梓を見て、耕一は微笑んだ。 「そっか、ありがとうな梓」 「えっ。そ、そんな別に……さ、も、もういいだろ、冷めないうちに早く食べろ よ!」 「ああ、遠慮なく食べさせてもらうよ……モグ……うまい!」  料理を食べた瞬間、耕一はそう叫んだ。 「ほんと? おいしい? よかった」  梓は心底ほっとした表情を浮かべた。  そのあとも耕一は、いちいち「おいしい」と言いながら、次々に料理を食べて いった。 「お兄ちゃん、このおみそ汁はわたしが作ったんだよ、どう?」  梓に負けまいと初音が耕一に話しかけた。 「へえ、そうなんだ。どれどれ……あ、これもすっごくおいしい!」  耕一が梓と初音の言うがままに次々に料理を食べているのを黙って見ていた千 鶴が、突然顔を伏せて泣き出した。 「ひどい、耕一さんも梓も初音もひどい! そんなにおいしそうに食べなくても いいじゃないですか! わかってます、どうせ私の料理なんて、食べられたもの じゃないですよね。でも耕一さん、あなたまで、あなたまでそんなに意地悪しな くてもいいじゃないですか! そうですよ、どうせ私は味音痴で家事音痴で嫁の もらい手のない、どうしようもない女ですよ!」  突然よくわからないことを言って泣き出した千鶴に、耕一はとまどった。  とにかく、千鶴が彼女の料理の腕を気にしていることだけはわかったので、耕 一は彼女を励ますことにした。 「あ、あの千鶴さん。今日は梓と初音ちゃんがご飯を作ってくれたけど、明日は 千鶴さんが作ってくれないかな? 俺、千鶴さんの料理も食べてみたいから」 「ば、ばか! 耕一、よけいなこと言うな!」  梓があわてて言ったがすでに時遅く、千鶴は耕一の言葉を聞くと、とてもうれ しそうな顔をした。 「そうですか? じゃあ、明日は私、がんばります! 期待してくださいね!」  耕一は千鶴が元気になったのでとりあえずは安心したが、周りの様子がおかし いことに気づいた。  梓も初音もあからさまに耕一から目をそらせていたのだ。 「なあ、どうしたんだ梓?」 「あたしは知らないからな。あんたが責任取って全部食べろよ」 「ど、どういうことだ?」 「さあな、明日になればわかるさ」  このときの耕一はまだ、千鶴の料理が自分を三日間寝込ませるほどの威力を持 つことを知らなかった。 「あ、そういえばお兄ちゃん」  食事を終えた初音が耕一の方を向いた。 「何?」 「こっちにはいつまでいるの?」 「うん、親父が死んだから、結構大学は休みを取れたし、あと学校行事とかの関 係で、最長、一ヶ月ぐらいは自由になるんだよね」 「一ヶ月も?」 「うん、みんなに会うのも本当に久しぶりだし、迷惑じゃなきゃ、休みの間ここ にいたいんだけど。でも……あんまり俺が長居しちゃまずいかな、やっぱり?  そうだよね、女の子ばっかりの家に若い男がってのもね……」 「そ、そんなことありません!」  千鶴が耕一のそばに詰め寄った。 「私たちは耕一さんのこと迷惑なんて全然思ってません! その、だから、好き なだけいてくださって結構なんですよ!」 「みんな、本当にいいの?」  耕一が周りを見渡すと、梓も楓も初音もうなずいていた。  その様子に、耕一は表情をぱあっと明るくさせた。 「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ。よろしくお願いします!」  耕一は正座をして、うやうやしく礼をした。  千鶴たちもそれにならった。 「うん、よろしくね、お兄ちゃん。でも、本当に大丈夫なの、一ヶ月も学校休ん で?」 「ああ、それは大丈夫。単位もそれなりに取れてるしね。代筆、代弁も頼んであ るから、大丈夫だよ」 「ああー、不良大学生だ!」 「ひどいな、初音ちゃん。そんな言い方ないだろ」 「はーい、ごめんなさい」 「うん、許してあげよう。はははは」  柏木家の夕食はこうして過ぎていった。  夜、耕一は用意された客間に入った。ここが隆山にいる間の耕一の部屋だった。  耕一はバッグから母親の遺影を取り出すと、窓の側に置き、用意された布団に 横になった。 「お袋、隆山に来たよ。会いたかった千鶴さんたちにも会えた。みんなすっごく きれいになってて、しかもいい人ばっかりなんだ。ほんとにあの親父といっしょ に暮らしてたのかな? でもね、楓ちゃんだけはちょっと変わっちゃってたな。 すっごく明るい娘だったのに、今は、どことなく影がある娘になっちゃって……。 でも、楓ちゃんのこと、嫌いじゃないんだ。それから親父にも会った。まだ心の 中で踏ん切りはつかないけど、ここにいる間になんとかするから。もうちょっと 待ってて」  そこまで言うと長旅の疲れか、耕一はものの数分もせずに寝息を立てはじめた。  耕一が眠った頃、柏木家のある真っ暗な部屋で二つの影が会話をしていた。 「――、何か気づいたことはなかった?」 「いえ、別に」 「そう、私の方も気づいたことはなかったわ。今のところは、大丈夫みたいね」 「そう、ですね。ですが……」 「ええ、油断はできないわね。これから何があるかわからないわ。ちょっとの変 化も見逃さないようにしないと」 「はい……でも、本当は何も、起きてほしくない。このまま、無事にすめばいい のに……」 「…………」  しばらく二人は何も話さなかった。 「ほら、そんな顔しないで。まだ絶対に何かあると決まったわけじゃないわ」 「……はい」 「ね、元気出して」 「はい」 「さあ、もう夜も遅いから休みましょう。これから一ヶ月、先は長いわ」 「はい、お休みなさい」 「お休み。あ、そうだわ。あなたに聞いておきたいことがあったの」 「なんですか?」 「耕一さんのこと本当にいいの? 今日だってあなた、一言も口をきいてないで しょ。本当にこれでいいの? 後悔しないの?」 「……はい……これで、いいんです。これで……」 「……そう、なら何も言わないわ。思う通りになさい。お休みなさい、楓」 「はい、お休みなさい、姉さん」  こうして耕一が訪れてから、初めての柏木家の夜は過ぎていった。  耕一が柏木家を訪れてから二十日が過ぎた。  その間、耕一の父の葬式などがあり、かなり忙しかったが、とにかくその二十 日間で彼ら五人はすっかり打ち解け合うことができた。  父親に捨てられた、という考えを心のどこかに持っていた耕一にとって、千鶴 たちと共に過ごすここの生活はとても心安らぐものであった。  それは千鶴たちにとっても同じことだった。  耕一の父が死んでからというもの、柏木家からは笑い声がまったく途絶えた。  それが耕一が来ることがわかっただけで家の雰囲気が変わり、耕一が柏木家を 訪れてからというもの、家の雰囲気は以前よりも明るくなった。  この二十日間で耕一、千鶴、梓、楓、初音にとって、お互いは何物にも代え難 い存在となっていた。  朝、目が覚めた耕一は、着替えをすませ顔を洗うとすぐに食卓へ行った。  食卓ではすでに四姉妹が勢揃いしていた。  耕一が柏木家を訪れてからの、毎朝のパターンであった。 「いただきます」  耕一が席に着くと、すぐに食事が始まった。  食事の時間は柏木家での生活の中で、耕一にとってもっとも楽しい時間だった。  梓の料理の腕もさることながら、大勢で食事をとるということが、一人暮らし である耕一にとって、とても安らぎを感じることだったのだ。  だが、この日の食事だけは少し違った。 「耕一さん、最近顔色が優れないようですけど、体の具合でも悪いんですか。そ れとも何か心配事でも?」  千鶴が耕一にとって、今もっとも聞いてもらいたくないことを尋ねた。  ――参ったな、あんなことを言うわけにはいかないもんな。  聞かれたくないことを聞かれた耕一は、笑ってなんとかその場をごまかそうと した。 「い、いやだな千鶴さん。そ、そんなことあるわけないよ。気のせい、気のせい」  しかし耕一のごまかしは通用しなかった。 「耕一、うそ、はいけないな。毎日毎日あんたの顔色がどんどん悪くなってるの は、みんな知ってるんだ。さ、早く白状した方が身のためだぜ」  梓が耕一をにらみながら言った。  耕一が周りを見渡すと、千鶴と梓だけではなく、初音やなんと日頃耕一のこと を避けている節のある楓までもが耕一をにらみつけていた。  形勢不利を悟った耕一は、苦し紛れの言い訳をした。 「え、えっとその、心配、というほどのものではないんだけど。あの、その…… そう、みんなってどんな奴とつきあってるのかな、とか。はは、みんなすっごい 美人だから、きっともてるんだろうな、そいつらがうらやましいなっと思って。 ほら、俺ってもてないし、女性とつきあうってこと自体、まあしばらくありえな いだろうから……ははは……」  自分でも何を言ってるのかよくわからない言い訳だった。  なぜか耕一は千鶴たちに強く出ることができなかった。  隆山に来てわずか二十日で、彼は千鶴たちの尻に敷かれていた。 「ははは……あれ、みんなどうしたの?」  耕一は反論が来るのを待ったが、千鶴たちの様子はどうもおかしかった。  全員少し下を向いて、何か言っていた。 「そ、そんな、美人だなんて。あたしは、つきあってる奴なんか、絶対いないし。 つきあうんだったら……」 「いやです、耕一さんたら。そんなお世辞を言ったって……でも、おつきあいし てる方なんて私にはいないし……」 「わたし、つきあってる人なんていないよ。だってちゃんと……」  三人がそれぞれ小さな声で反論していた。  楓も、ふるふるとすごい勢いで首を横に振っていた。  怒鳴られると思っていた耕一は、予想外の展開に少し驚いた。  さらに、よく見ると全員、頬を紅く染めていた。 耕一は状況がうまくつかめていなかったが、四人が自分の体の状況以外のこと に気を取られたのを幸いに、急いで食事をすませると食卓をあとにした。 「ふぅ、助かった。みんないきなりあんなこと言うんだもんな」  耕一は廊下に出ると、ほっと胸をなで下ろしながら部屋へ向かおうとした。  が、突然よろけて壁に手をついた。 「あ、あれ? どう、したんだ?」  耕一は立ち上がろうとしたが、うまく立てなかった。 「ほんとにどうしたんだ? ちっ、膝が笑ってる……くそっ」  なんとか立ち上がった耕一は、よろよろと部屋へ向かった。  耕一が立ち去ったあとには、黒い影がうごめいていた。 「復讐の幕は上がった――」  耕一は部屋に着いたとたん、床に座り込んだ。 「突然、どうしたんだ。あの夢を見たあとは――確かに体――が重い――ことは あったけど――ここまで体が動かない――なんて。はぁはぁ――み、みんなの、 言う――通り病気なのか。いや、『病は気から』だ。気を確――かに持つんだ、 そう、たし――確、か、に――」  耕一はそのまま気を失った。 <つづく> 第二章へ 戻る