私立了承学園第458話
「責任のハタシカタ」(作:阿黒)

※滅茶苦茶クソ長いので、覚悟してお読みください。



(1)

「う〜〜〜…」

 こめかみに僅かに残る鈍痛に少し顔を顰めながら、柳川はうっすらと瞼を開いた。
 メガネをかけていないので少しぼやけた視界には、見慣れた自室の天井がある。
 視線を枕元のサイドテーブルに向ける。そこには先日、五月雨堂で衝動買いした、昭和30年代のネジ巻き式の目覚し時計が鎮座している。懐かしい、レトロなデザインについ買ってしまったものだが、少々遅れ気味であることを除けばまだまだ充分実用に値する。
 その針は、8時5分を指していた。
「――って、遅刻!」
 慌てて撥ね起きかけた柳川の上で、誰かが眠そうな声を上げた。
「…ばか。今日は日曜じゃないの」
「…ハイ、デスカラ今日ハ朝食ノ支度モ遅メデ良イ、ト」
「そうか。…そういやそんな事いった憶えがあるな。今日は少々羽目を外してもいいやって…」
 ……奇妙な違和感を感じて、柳川は口を閉ざした。
 体が重い。
 というか、両脇に誰かが覆い被さって、それぞれ自分の腕を枕にしている。
 暖かくて、やわらくて、ふわふわして、少し、良い匂いがした。
 右に目を向けると、少しはにかんだような顔をしたマインが、おどおどと、しかし顔を逸らさずに自分を見つめ返してきた。
「……………」
 ギシリ、と、急に首の間接の油がきれたようなぎこちなさで、柳川は左を向いた。
 そこにあったのは、薄い金色の髪を無造作に流した、見慣れない顔。
 いや、いつもは髪をアップにしてまとめてあるので、一瞬わからなかっただけで。
「…メイフィア?」
「ん〜〜〜?なに〜〜〜〜?」
 全く無防備に眠そうな声で返事をする同僚の手が自分の胸元に置かれて、そのすこしひんやりした手が、自分の肌を掻く。
 それで、自分達が、肌もあらわな格好であることを、唐突に柳川は理解した。というか、二人分の柔らかな触感に自分の身体が挟まれていることに、理解させられたというべきか。
「…ちょっと待ってくださいよ?」
 思わず一本調子の変な口調で、そんなことを呟いてしまう柳川だった。
 えっと。
 あれ?
 ここは俺の部屋で。
 今は朝で。
 俺、素っ裸で。
 マインがいて、メイフィアがいて、やっぱり裸みたいで。
 で、俺と同じベッドの中にいて。
 …………………。
 はい?
 ちょっとまて。
 ちょっとまってくださいよ?いやホント?
「どったの?変な顔して。二日酔い?なんなら解毒の魔法でもかけてあげよっか?」
 そう言って、あっさりメイフィアが起き上がってきた。
 無造作に、豊な胸の膨らみが目の前に放り出される。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!?」
 瞼を閉ざすことも目を逸らすこともできず、吸いつけられるように自分の前で揺れている小さな突起を見つめ、柳川は、声にならない悲鳴を上げた。
「え?あれ?…って、柳川先生?あれ、ここどこ?…あ、マインおはよ…ってそうじゃなくて?」
 その、柳川の視線に唐突に自分の置かれた状況を理解したらしいメイフィアは、キョロキョロと周囲を見回し。
 かあっ、と赤面した。
「い、いやあああっ!!?裕也っ、あなた私に何をしたのっ!!?」
「えっ…」
 泣きそうな顔をして、自分の身体を抱きかかえてイヤイヤと首をふるメイフィアに、柳川は何もできず絶句する。
「…って、やっぱこの状況はナニしたんでしょーね間違いなく」
「あっさり立ち直るなっ!?つーかそんな格好でアグラかくなっ!」
 ポリポリと頭を掻きながら、裸のままベッドの上で行儀悪く足を組んだメイフィアは、つまらなそうに言った。
「一度、こういう状況になったらさっきの台詞言ってみようかと思ってたんだけど…実際にやってみたら、あんまりおもしろいものでもないわねー」
「お、お前なぁ…この状況で、言うべきことはそれだけか…?」
 っていうか、アグラはよしてください。
 今更という気はするが、それでもやはり目のやり場に困って微妙に視線を彷徨わせる柳川だった。
「ん〜〜〜?」
 少し考えて、メイフィアはベッドの脇にあったクズカゴを見つけて中をガサゴソと探り出した。
「…使用済みと思われる丸めたテッシュが1,2,3,4,5、…がんばったわね〜」
「ああああああああああああああ……」
「なーに悲嘆にくれているのよ?」
「やかましいっ!よ、よりにもよってなんでお前なんかとっ!てーかー!!マインっ!!?」
 先程から黙って横になっているマインに、絶望的な視線を向ける。
「……………」
 無言で、こくりと、マインは頷いた。
「いやー。二人いっぺんに相手するなんて結構やるわね柳川センセ〜。っていうかケダモノ?鬼畜外道?」
「ちっが〜〜〜〜〜〜〜う!!」
「そんなこと言われてもー。…まあ、なんていうか、こう、久しぶりに楽しんじゃったというか…腰が充実してるというか…」
「あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ…」
 脱力して、枕に顔を埋めてしまう柳川だった。
「なんで…なんでこんな事に…」
「えっと…昨夜は久しぶりにみんなで飲みにいって…」
 柳川とメイフィアは、まだアルコールの残滓が残る頭を振りふり、今朝、ここに至るまでの経緯を探るため、自分の記憶を辿りだした。

  * * * * * * *

「…だーからっ!あんたたち見てるとあたしゃイライラしてくんのよっ!」
「あうう…メイフィアさん、珍しく悪酔いしてますよー」
「メイフィアが酒に呑まれるなんて、珍しいわね」
 明日は休日ということで突発的に催された飲み会。
 その、ハシゴの三軒目か四軒目かの居酒屋で。
 初めは教職員の大部分が揃っていた一行は、脱落者や別行動によりその時点では大分その数を減じていた。それでもまだデュラル家の主だったメンバーと勇蔵、サラ、ティリアにデュークは残っていた。

  「貴之は、たしか早々に潰れて舞奈が連れ帰ったんだよな?」
  「うんうん。確かそういう命令した憶えあるし。割り勘ってことで結構ハメを外してたっけ」

 メイフィアは烏賊のヌタなんぞをつまんでいる柳川と、並んで座っている一人シラフなままの(ロボットだから当たり前だが)マインに酔眼を向けた。
「だからね。あんたらがアチチあのはもーわかってんのよ、ん?正直にゲロしちまいなお上にも慈悲はあるのよカツ丼食べる――?」
「アチチってお前、昭和50年代の小学生みたいなこと言ってるんじゃねーよ」
 苦々しげな顔をする柳川の盃に、控えめにマインが酒を注ぐ。
 それを一息で飲み干して、こちらも大分酔いが回ってる柳川は口を尖らせた。
「あのな、確かに俺はこいつを気に入ってるさ。
 だがなー、俺はお前みたいに即物的じゃないんだよ。もっとこう、男と女の間柄は、何というかあるだろ?シチュエーションとか雰囲気とか親愛度とかフラグとか、つまり段階を踏んで?あぁおい?」

 思えば、こんな事を言い出している時点でかなり理性のタガが緩んでいたわけだが、そのことには誰も気づかないまま、柳川とメイフィアはなにやら恋愛談義を始めた。

「段階って何よ段階って〜〜?」
「あー、それはだなー。…マイン、なんか、書くもん〜〜〜」
 マインが柳川の鞄からルーズリーフとペンシルを取り出して手渡す。
 柳川はそれをテーブルに広げると、何やら書き込みはじめた。
「――普通は、こーゆー手順というか段階を踏んでいくもんだろ?」
「どれどれ…?」

【第一種接近遭遇】
 遠くから相手の姿を確認、軽く意識する。(ときめきフィーリング)

【第二種接近遭遇】
 相手との軽度な接触を試みる。(自己紹介等)

【第三種接近遭遇】
 簡単な会話、仕事などの共同作業の従事。

【第四種接近遭遇】
 プライベートな時間帯での軽い接触、及び品物の貸し借り(消しゴム、シャーペンの芯程度のもの)

【第五種接近遭遇】
 やや親密さを増し、友人関係と呼べる段階。(買い物に一緒に出かける、休日に集団で遊びにゆく、自分の趣味のCDや本の貸し借りなど)

【第六種接近遭遇】
 友人から一歩進んだ関係。相手をやや強く意識する。(相手が自分以外の異性と接触するのが気になる、できるだけ一緒の時間を作りたがる)
 デートを意識して外出するといった心理的症状の発現。
 後期には恋愛感情が芽生え始める段階。
 電話、メール等での連絡が頻繁に起こる段階でもある。

【第七種接近遭遇】
 告白。恋愛関係での一つの区切り。
 通常、ここで相手の了承を得られず頓挫するケースは非常に多い。

【第八種接近遭遇】
 親密な交際期間(最低1ヶ月)。互いの理解を深め、最終段階へ至る為の準備段階。
 軽い肉体的接触を伴う交流。(交換日記、一緒に登下校する、歩きながら手をつなぐ等)

【第九種接近遭遇】
 一つの慣例儀式の通過。いわゆるファーストキス。

【第十種接近遭遇】
 性交渉。状況によっては第九種接近遭遇から即座に移行するケースも多い。

 第一〜第十接近遭遇までの期間は約半年〜1年未満程度が平均と思われる。

「…と、まあこのよーな段階を経てだな」
「あほくさ」
「一言で切って捨てるかお前っ!?」
「だってさー。今時こんなしちめんどくさいカップルいる?つーかこのIT時代にまだ交換日記?中学生の方がまだ大人な恋愛やってるわよ」
 メイフィアは鼻で笑って用紙を戻した。



  「…アレはシラフで考えてみても、鼻で笑っちゃうわねホント」
  「やかましい」


「まーそーすっとさ。柳川先生とマインって、今、第六種接近遭遇?くらい?」
「にゃにゃにゃ」
「あたしとデュークって…八段階目くらいかな?」
「…こら。あんたらキスも済ませとらんのか?何やってんのデュークあんた不能?」
「デューク…人それぞれだ、気にするな」
「勝手に決めないでください―――――――――っ!!!」
 ひとしきり、そんなネタで笑いあって、それからメイフィアは改めてしげしげと接近遭遇表を読み返した。
「でもさー、この基準でいったら、あたしとあんただって六段階目くらいはいってるわよね」
「え?なんでですかー?」
「…まあ、特に意味もなくおちょくりかけて年中喧嘩してるってのも、二人の時間を作りたがってる内に入る…のかなぁ?」
「そう!実はあたしが柳川センセをおちょくるのは二人で一緒にいたいからなのよん☆」
「その理由、今思いつきましたね?メイフィアさん?」
「お前なぁ…」
 なははは、と笑って、メイフィアは遭遇表に赤ペンでチェックをつけた。
「えーと、1から6まで終了〜っと。なんだ、あたしと柳川センセって、実はラブラブ?」
「うお〜、今明かされる衝撃の事実〜〜〜〜!!」
「勝手な既成事実作るなお前ら!って聞けよこの酔っ払い〜〜〜〜〜!!」
「柳川様…ソレハ店ノ置物ノ狸サンデス…」

 全員、かなりダメ人間になりつつある状態であった。

「まー呑め。ぐーっと呑めや、めいひあ〜〜」
「イビル〜〜〜あんたもちょーっとよっぱらっちっちってない〜〜〜?ってとと、もったいないもったいない」
 コップ酒の受け皿に零れた酒を吸いながら、不意に、ニンマリとした笑いがメイフィアに浮かぶ。
「あ、メイフィアがまた悪だくみ考えてるにゃ」

 さくっ。

「もう♪そんな失礼なこと言っちゃうと、目潰しくらわしちゃるわよ☆」
「うにゃにゃにゃにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
「えーと…と、いうことは今のこれは目潰しじゃないんですね?」
 両眼を抑えて畳の上を転げまわるたまと、ニコニコと右手でVサインを作っているメイフィアとを恐ろしそうに見て、アレイが引き攣った声で呟く。
 が、そんなことには全く構わず、メイフィアは芝居がかった仕草で片膝をつき、両手を柳川の方へ伸ばして、言った。
「あいラビ〜〜〜ン」
「…は?」
「よし、これで告白は済んだ」
「なにチェック入れてやがるお前っ!?」
「えーっと…ツギはなんだけ?」
「手をつなぐ、だよメイフィアさん」
「ティリア、おい、光の勇者っ!」
 思わず喚きかけた柳川の手を、メイフィアが掴んで引き寄せた。更にもう片方の手で顎を掴んでねじ寄せる。
 そして。

 むちゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!
 唇を、押し付けた。

「んんんっ…!!?」
「メ、メイフィア様っ!!?」
「おおっ、一気に二段階突破で連続コンボ!?」

 きゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…

「む、むぐ…」

 むきゅきゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……

「…う〜〜っ!」
 舌が、強引に割って入ってくる。

 …ぎゅきゅうううううううううううううううううううっ!!!
「んむふっ!?」

「おっ、吸い返してる吸い返してるっ!!」
「負けんな、メイフィア!」

 むきゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、きゅ〜〜〜〜〜〜〜っ!!
 ぎゅむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむっ!!

 ちううううううううううううううううううううううううううう……!!!
 ずきゅぅうむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ……!!!

「ん…ん――っ、ん〜〜〜〜〜!!?」
「む…ぐ…」

「どうですか解説の立川さん、両者がっぷりと唇組み合ってますが」
「体力にものをいわせた肺活量ならば柳川…舌先の技巧ならばメイフィアが上…というところか…」
 何と言うか、キスというか壮絶な肺活量比べというか。とりあえず、男と女が唇を重ねているというのに全く色気無い行為を前にして、いつもと変わらない剛毅さの雄蔵である。

「ん…んむぅ…んー…」

 とかなんとかギャラリーが好き勝手なことを言っている間に、どうやら勝負(?)は柳川優勢という状況になっていた。抗う力が徐々に抜けてゆき、当初とは逆に、柳川のほうがのしかかる体勢でメイフィアの唇を奪っている。
 と、半ば霞みがかかったような目をしていたメイフィアが僅かに視線を動かし、…至近距離で、硬直しきっているマインに向いた。

「む、むっひ」(た、タッチ)
「ハ、ハイ?」
 メイフィアに言われるまま、つい、マインは伸ばされたメイフィアの右手にタッチした。
 ロボット故の従順さであったが…
「うぉらあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「ヤッ、柳川様ッ!!?」

 つかむ。抱き寄せる。
 そして、唇を寄せる。

「ん…!ん…んんんんんん―――――――――!!!?」

 酔っ払っているくせに(あるいは、それ故か)律儀にルールを守って柳川はマインにのしかかった。
 …つーか、キス魔?

「ん…んふぅ…んんんっ…」
 それでも、何とか抵抗を試みるマインであったが、最初からこの勝負は見えていた。
 柳川の背に廻された手がその背をかなり力を入れて掻き毟るが、その程度のことではビクともしない。
「ん…ん……んう…」
 徐々に弱々しくなっていく声とともに、指の動きも緩慢になってゆく。
 そして――
「……ん……」
 ぎゅっ、と、逆に腕が背を抱きしめる。

「――ぷふぅ…勝ち…」
 もはや完璧に当初の目的はおろか、自分の行動すら見失っている酔っ払いは、ようやく獲物を解放した。舌と舌の間にかかる唾液の糸を拭き取って、それでようやく、目の前の現実を把握しかける。
「…え?俺…」
「…………」
 解放された途端にことん、と項垂れた緑色の髪を間近にして、柳川の理性が戻りかける。
「よーしおめでとー!なんかわからんがおめでとーーー!!」
 その瞬間、徳利では面倒とばかりに一升瓶を抱えたサラが、その瓶口を柳川の口に突っ込んだ。くきっ、といい音がして、柳川の首が仰け反る。

 ごっごっごっごっごっごっごっごっごっ……

「うむ、いい呑みっぷりだ」
 ほとんど胃に素で流し込まれているのに呑みっぷりも何もないだろうが、顔色一つ変えずに雄蔵が重々しく頷いた。
 …実は多く見積もっても20代前半の筈だが、その若さに似合わず既に落ち着いてしまっているのか、実はやっぱり酔っ払っているのか、いささか不明瞭である。
 が、まあそれはともかくとして。

「…はにゃほにゃひ〜〜〜〜〜〜…」

 こてん。

「アアッ!?柳川様ッ!柳川様〜〜〜〜!!」
「あはははははははははははははははは!!」

 完全に白目を剥いている柳川の頭を自分の膝に乗せて、とにかくマインは柳川の顔を扇いだりネクタイを緩めたりと、少しでも楽なように介抱する。


  「…俺、この辺り完璧に記憶ないんだが…なんでタッチなんか…」
  「いやー。あたしも我ながらこの辺はちょっと謎だわ」


「…メイフィア様。オ話ガアリマス」
「ん〜〜〜?なに〜〜〜〜〜?」
 ほんの少し、常より底冷えのするようなマインの声に、とりあえずメイフィアは向き直った。
 柳川を膝枕しながら、マインが、怒ったように、言う。
「イクラ御酒ガ入ッテイルカラトハイエ、アマリニ悪フザケガ過ギマセンカ?」
「いーじゃなーいキスくらい〜。スキンシップよフレンドリーなスキンシップ〜」
「デスガ、……アンマリデス!少々度ガ過ギテマス!」
「いいじゃん。別に減るもんじゃなし」
「何かガ確実に減ってまスッ!」
「あ、なんか今の感情入ってるっぽいー」
 ヘラヘラ笑って、不意にメイフィアは顔を寄せた。
「あら?ひょっとして、怒ってる?マインちゃん?」
「…怒って…怒っテ、悪いデスかっ!?」
 くい、とコップを傾けて、メイフィアは伺うような目線をした。
「…もしかして、あたしが憎い?横槍いれちゃってさ?それって、嫉妬?」
「…!?」
 絶句して、唇を噛み締める。そんな、人間のような仕草を見せるロボットに、不意にメイフィアは微笑んだ。
「そーなんだ。奪われて、憎むほどに、好きなんでしょ?
 その人が、大事だから、かけがいの無いひとだから、それを失いたくない。だから、怒るし、憎んで、嫉妬する。
 それは、正常な心理よ、マイン。何も憎めないようなヤツが、何かを本当に好きになることなんて、できるもんですか」
 言っている内容はそれなりに立派だが、テーブルの上に顎をのせてかったるそうに喋るメイフィアの姿は、どこからみても、いーかげんそうだった。
「マイン」
「…ハイ」
「なんかね…ちょっと、スッキリした」
 上体を起こし、メイフィアは自分の胸元に手をあてた。
「ここしばらく、なんかこう、ここに――ずっと、たまってた。何だか、もやもやしたものが」
 はあ、と吐息をついて、照れ隠しのようにコップを取る。
「でも、なんかこれで…スッキリした。うん」
 そして、一口、呑む。
「……………」
 しばらくそれを黙って見ていて、それからマインは、口を開きかけた。
 その前に。
「…う〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 口元を抑えながら、ヨロヨロと柳川が身を起こした。慌てて手を貸そうとするマインの手を邪険に振り払い、テーブルに手をつく。
「…吐くかっ?吐くのかっ!?」
「セ、洗面器ッ!?」
 何やらうろたえる周囲は無視して、ぼんやりと、柳川はテーブルに視線を落とした。そこにはぽつねんと、既に忘れ去られた遭遇表が置かれてある。
「えーっと…ファーストキスは済ませた、と」
 くりっ、と赤ペンで丸をつけると、もはやまともな思考能力はカケラも残っていない柳川は、赤い目でじろりと周囲を見回した。理性のタガが外れかけ、内面の鬼が出かかっているのかもしれない。

「おし…あとは性交渉…初夜だけだなっ!!!」
「「「ノリノリだよこの人〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」」」

 メイフィアとマイン以外の全員が、歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。
「つーわけで、勝負だメイフィア!!」
「おーし、来なさいっ!」
 片肌脱ぎになりながら、即座にメイフィアが応じる!
 やっぱりとことん酔っているようだった。
「……ダ、ダメですそんな事ッ!お止めクダさい二人とも…」
 慌てて両者の間に入るマインである。だが。
「だーじょぶだってアンタを仲間外れになんかしないからー。
 …ほら、あたしが抑えてるから下着脱がしちゃいなさい」
「よーしわかった」
「キャーッ!?きゃ―――――っ!!!?」
「…待ちなさいっ!」

 だんっ!!

 コップを強くテーブルの上に叩きつけて、ルミラが立ち上がった。そのまま、マインを二人がかりで剥こうとしているメイフィアと柳川をきつく睨んで、いう。

「戯れもいい加減にしなさい!こんな所でそんなことをしたら、お店の人をはじめいろんな人に迷惑でしょう!貴方達、いい大人なんだからそれくらいの常識はちゃんとわきまえなさい!!」
「は、はあ…」
 没落したとはいえ流石に魔界でも有数の名門貴族の当主である。その気になればその貫禄と威厳はまだまだ大したものであった。
「だから。
 そーいうことは、家に帰ってからやんなさい3Pでも縛りでも後ろでも好きなだけ」

 流石にデュラル家当主。最低限、言うべき事はちゃんと言った。
 最低限のことしか言ってない、という気もするが。

「よし、わかった。じゃあいくぞマイン、メイフィア」
「あ〜。じゃ、みんな〜、今日は泊りになるからね〜〜〜」
「エ?エッ?エエッ…エエエエエエエエエッ!!!?」

 ――こうして、じたばたもがくマインを横抱きにした柳川とメイフィアは、皆の生あったかい視線に見送られ、夜の街に消えていったのだった。

  * * * * * * *
  
「…というわけで今に至ると。…て、こら!いきなり首を吊ろうとするんじゃないっ!」
「お止め下サイ柳川様ッ!?」
「はなせー!死なせろー!いっそ死なせてくれ〜〜〜〜〜〜!!」
 発作的にネクタイを桟にひっかけて自殺を図る柳川の足をマインが懸命に引っ張る。まかり間違うと逆に手助けしてしまいそうな状況ではあるが。ちなみに話し合いの合間に三人とも一応服装は整えている。
「放せマイン!命令だぞ!」
「ソンナ命令ニハ絶対従エマセン!」
 三原則第一条、人命尊重は第二条の命令遵守、第三条の自己保全を越えて全てに優先する最重要プログラムである。相手が誰であれ、人間が明白な生命危機に直面した場合、全力を以ってその回避・撤回に努める。そうでなくてもそんなことを見過ごせるマインではない。
「うりゃ」

 どごおおおおっ!!

「のほっ!?」
 何の前触れもなく放たれたメイフィアの圧縮空気弾が脇腹に炸裂し、軽く一回転して柳川はフローリングの床に叩きつけられた。
「逃げるなコラ。そりゃまあ、あんたはイヤミで皮肉屋でトラブルメーカーの逆噴射暴力ヤクザでいるかいないかの基準で言うと確実にいない方がいいダメダメ人間だけど、それでも死ぬだなんて…」
 ふと口篭もり、メイフィアは柳眉を寄せて考え込んだ。
「……あれ?もしかして止める理由なんて無い?」
「メイフィア様ッ!!!」
「よーし、お前がどういうつもりでいるかよーくわかったぞ…」
 とりあえず、死ぬ気は無くなったらしい柳川は脇腹を抑えつつ、床の上で胡座をかいた。その脇でチョコンと、マインが正座する。
 二人の前に自分だけクッションを敷いて座りながら、メイフィアはふと、自分の腰に手を当てて、呟いた。
「この感じからして…後ろの方までしっかり試してくれちゃったみたいだけど」
「ぐはあああっ!!?」
 髪の毛を掻き毟る柳川に世にも冷たい視線を送り込みながら、それと同じくらい冷たい声でメイフィアは言った。
「あのさ。昨夜のことに対してアンタが心苦しく思うところがあるのなら、他にも色々とセキニンの取り方ってあるでしょ?慰謝料とか慰謝料とか慰謝料とか」
「メイフィア様、下心露骨スギデス」
 わっはっはー、とあさっての方に空疎に笑うメイフィアを、ちょっと眉を顰めた顔でマインが見る。
 が、そんな二人など目に入っていない様子で、柳川は低く掠れた声で呟いた。
「責任…」
「ん?うんうんそうよ責任。
 …まあほら、あたしは別にこーゆーこと別に気にしないし最近はご無沙汰してたけど400年くらい昔は似たようなことはよくやってたしー。つーか若い男ひっぱりこんで精気吸い取ってポイ?」
「メイフィア様…ソレッテ…」
「だからさ。あたしに対してなんか負い目とか感じる必要とかは無いのよウン。こっちも久しぶりに楽しませてもらったことだし。それよかさー、問題なのは…」
「アノ、メイフィア様、ソノ、ポイッテ、ソレモシカシテ犯罪…」
「あ、生きてる生きてる殺してない殺してない、ほんの一月ほど寝込んだくらいで。それに、ほら、もう時効よね?」
「目ヲ逸ラサナイデ下サイ!」
「いや、あのね、だからホントに気をつかってやんなきゃいけないのはアタシじゃなくてアンタ…だから、なんでそのアンタがそんなつっかかって…」
「モシカシテ、一ツ間違エレバ柳川様ガソノヨウナ事ニ!?」
「あ〜〜?それ無いない、エルクゥの精気ってあたしが本気になったって吸い尽くせるもんじゃないって」
「ダカラ、ドウシテ目ヲ逸ラスノデスカ!?」
 ――放っておいたらいつまでも続きそうな二人の口論を前に、柳川は口を挟む間も見出せずに憮然と腕組みしたまま考え込んだ。
 責任。
 とにかく、責任は確かにとらねばならないのだろうが…。
「…こういう時の責任のとり方の定番といえば結婚、なんだろうがな――?」


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