『大好きな浩之ちゃんと、ずっと一緒に居られます様に。』

神様に、何度も、何度もお願いした、私の願い。
小さい時から変らない、私の願い。

高校2年生の始業式の朝、私の小さな願いは、神様に漸く届いた。
久しぶりに、浩之ちゃんと同じクラスになった。

私は、夢でも見ているんじゃないかと、何度も頬を抓ってみたりもした。
でも大丈夫。 夢じゃ無いみたい。

人生がバラ色にも感じた。

別に変化を望んだ訳でも、『ただの幼馴染』と言う、暖昧にして微妙な関係を嫌った訳でもない。
ただ、ただ、大好きな浩之ちゃんと一緒に居たい、一緒に登校して、いっぱい同じ時問を共有して、沢山思い出を
作って、お話しながら一緒に帰りたかった・・・ただ、それだけ。

私は、胸がドキドキして寝つけないほど喜んだ。
でも、浩之ちゃんは、私ほど喜んではくれていなかった。

気がつくと、浩之ちゃんの周りには、私じゃない、他の女の子がいる事が増えた。
困っている人を見ると放っておけない・・・浩之ちゃん、小さい頃から変らないよね。

でも、それは何時もの事。
浩之ちゃんが、何かに一生懸命になっている時や夢中になってる時・・・何時も私は放っておかれるんだよね。
でも、いいの。
嵐が過ぎ去るのをじっと耐える仔犬の様に、浩之ちゃんが私に振向いてくれるまで、私はじっと待つ事にしている。
浩之ちゃんの邪魔にならないように、遠くから浩之ちゃんを見詰め、ただその時が来るのをじっと待っている。
だって、そうしていれば、いつかは私に振向いてくれるから。
いつもそうだったから。

・・・でも、今度ばかりはいつもと違ってた。
下級生の女の子。
4月の途中に現れて、沢山の思い出を浩之ちゃんの心に残したまま、消えて行った緑の髪の女の子。
純真無垢で、何にでも一生懸命で、真っ直ぐな女の子・・・マルチちゃん。
マルチちゃんが居なくなってから、浩之ちゃん・・・いっぱい泣いていた。
あの子のために、いっぱい泣いていた。

いっぱい、いっぱい泣いた後、浩之ちゃんは、私の所に帰って来てくれた。
でも、何時もとちょっとだけ様子が違う。


私を見てくれなくなった。
私が側にいても、浩之ちゃんは遠くを見るようになった。
浩之ちゃんの前から居なくなったマルチちゃん。
でも、浩之ちゃんの心の中には、何時までも、何時までも、マルチちゃんが生き続けていた。
マルチちゃんの残像を追い求める浩之ちゃんを、私は癒してあげる事が出来なかった。

浩之ちゃんの心に空いた大きな穴を、私は埋めてあげる事が出来なかった。
私がどんなに頑張ったって、私はマルチちゃんの替わりにはなれないから・・・。

私は、マルチちゃんに嫉妬した。
そんな自分が嫌な女だと思った。
でも、マルチちゃんを嫌いにはなれなかった。
マルチちゃんを嫌いになれない自分が、惨めだった。

『ただの幼馴染』と言う、暖昧で微妙な関係を、自ら望んで続けていた事を悔いた。

悔い改める術も無く、悲しい瞳を宿した浩之ちゃんを見詰めるだけの日々が、無益に過ぎていった。




     題目        『  さようなら・・・私の初恋 (前編)  』




トン、トン、トン・・・・・。
トン、トン、トン・・・・・。
まな板と、包丁で奏でられる軽快なリズム。
次々に、ジャガイモや人参、ピーマンや玉ねぎが一口大に切り揃えられていく。

ジャ〜〜〜。
ジャ〜〜〜。

熱く熱したフライパンにお肉を入れて、表面だけ焦げ目をいれる。
それから、フライパンの火を止めて、お鍋に野菜とお肉を入れて軽く妙めてっと・・・・・。

  「あ、マルチちゃん、その時にはお肉の油、出来るだけ入れないようにね。」
  「はい、判りましたぁ。」

玉ねぎがしんなりしたら、お水を入れて・・・。
これ・・・くらいかな。

  「え? お水の分量? う〜〜ん・・・判んないよ・・・いつも適当に入れてるから・・・煮込むから、お水は多目
  で良いよ。」
  「はい、じゃあ・・・これ位ですね。」



大学に入って暫くした時、浩之ちゃんから『すぐに来てくれ。』って、電話があった。
急いで浩之ちゃんの家に行った時、いつか見た笑顔が浩之ちゃんの隣りにいた。
久しぶりに見た、浩之ちゃんの優しい笑顔。
マルチちゃんに向けられる、優しい笑顔。
私には向けられない、優しい笑顔。
・・・胸が痛かった。

浩之ちゃんから、マルチちゃんに料理を教えてやって欲しいと頼まれた。
マルチちゃんからもお願いされた。
ずるいよ、浩之ちゃん、マルチちゃん・・・。
私が、二人から頼まれたら、『いや!』って言えない事くらい知ってるくせに。

私に、そんな酷な事を頼む浩之ちゃんが・・・憎い。
憎いけど・・・・好き。
まだ・・・・好き。
・・・・・好き。



  「ルーは、甘口と中辛を、2対3くらいの割合で入れてね。  後で、味見をしながら調節すれば良いから適当
  で良いよ。」
  「・・・あ、そうか、マルチちゃん、味見出来ないんだね。」
 
  「・・・すいません、その様な機能は・・・。」
  「あ、心配しないでマルチちゃん・・・・適当で充分だから・・・。」



結局、マルチちゃんに料理を教えてあげることにした。
私の20年分のレシピ、教えてあげることにした。
移り気な料理の好みを捉えるコツも、教えてあげることにした。
だって、私の大好きな浩之ちゃんに、間接的にだけど美味しい料理を食べて欲しいから。
だって、私の大好きな浩之ちゃんにしてあげられる、最後の仕事だと思ったから。
私の20年間の想い・・・マルチちゃんに受け継いで貰おうと思ったから。
だから、マルチちゃんには覚悟するように言った。
ちょっと引きつった顔が可愛かった。




  「あ、そうそう・・・ホントはね、この時ローリエの葉を入れると良いんだよ。  でもね、浩之ちゃんたら、
  『葉っぱなんて入れるな!』だって。  香辛料なのに、道に落ちてる葉っぱと思ったんだよ、きっと・・・
  可笑しいよね。」

  「それからね、ここからが隠し味。  人参と、ジャガイモと、リンゴを摩り下ろすんだよ。  そうすると、
  味にコクと深みが出てね。  浩之ちゃん、この味好きなんだよ。   後はね・・・・・・・・。」




マルチちゃんと、お料理をするのはとっても楽しい。
マルチちゃんの一生懸命な顔、真剣な眼差し。
覚束なかった包丁さばきも、今ではだいぶ上達した。
お魚だって下ろせる様になった。
大根のかつらむきだって出来る。
リンゴのウサギさんだって、耳がぴんとはねて可愛く作れる。
言わなくても、お魚や、お野菜に隠し包丁を入れるようになった。

マルチちゃんと、お料理をするのはとても楽しい。
私の言う事をよく聞いて、メキメキ上達していく。
私が見ていなくても、大抵の物は作れる様になった。
私が居なくても、浩之ちゃんを喜ばせる料理を作れる様になった。
私が居なくても・・・・・。

マルチちゃんと、お料理をするのは楽しい?
・・・ホントに楽しい?
私は、ただマルチちゃんのする事を、側で見ているだけ・・・何もしていない。
マルチちゃんが、一生懸命浩之ちゃんの為に作る料理を見ているだけ。

マルチちゃんと、お料理を作るのは・・・・・。
・・・悲しい。
浩之ちゃんは、マルチちゃんの料理を喜んで食べる。
私の味だ、って言って食べてくれる。
私の味がマルチちゃんに伝わったって事はとっても嬉しい。

でもね、浩之ちゃん。
それ、私が作ったんじゃないんだよ。
それでも・・・良いのかな?



あれから毎日の様に、浩之ちゃんの家に来ている。
マルチちゃんと一緒にお掃除をしたり、お買い物に行ったり、一緒にお料理を作ったりしている。
浩之ちゃんの帰りを待って、浩之ちゃんと一緒にご飯を食べる。
休日は、3人でお出かけしたり、家でゴロゴロしたりもする。
以前とは比べものになら無い程、浩之ちゃんの家にいる事が増えた。
浩之ちゃんと過ごす事が増えた。
浩之ちゃんを忘れようとしてるのに。
浩之ちゃんから離れられない。

浩之ちゃん・・・ちょっとずるいよ。
私が浩之ちゃんに追い着こうって頑張ってた時には、私から逃げていたくせに。
私が浩之ちゃんから離れようと思っていると、私の手を取るような真似をして。

浩之ちゃん、あんまりだよ。
私が、浩之ちゃんの事、好きだってこと知ってるくせに。
これじゃ、浩之ちゃんの事嫌いになんてなれないよ。
・・・嫌いになんて・・・なれないよ。

・・・嫌いだよ・・・浩之ちゃん。




そんな時、私は矢鳥君に会った。
高校2年生以来・・・だったかな。
私が挨拶をする前に、彼は・・・矢島君は思いがけない事を言った。

  『神岸さん・・・俺と付き合ってくれ。』

それだけ言った。











   『・・・俺と付き合ってくれ。』

そう言ったくれた、矢島君の隣りに私はいる。
別に、居心地が良い訳でもないし、矢島君の事が特別好きと言う訳でもない。
ここに居て欲しいと言われたから。
ここには私の居場所が有ったから。
だから、私はここにいる。

今日も、矢島君とデート。
何時もの様に、昼前に待ち合わせをして、他愛も無い話をしながらウインドーションピング。
それから、少し遅めの昼食をとった後、この夏一番話題のアクション映画を見に行った。
13年ぶりの続編。
前作と、前々作は、浩之ちゃんの家でビデオを見た。
ワクワク、ドキドキしながら見た事を覚えている。



あの日、矢島君から、ずっと好きだったと言われた。
高校に入ってから、ずっと好きだったと言われた。
私だけの事を想っていてくれた。
女子の中では、結構人気が有ったのに、私が彼を受容れなかった時でさえ、彼は他の女の子を受容れなかった。
私だけを見詰めていてくれた。
私だけを好きでいてくれた。
私だけを愛していてくれた。
私だけを・・・。
思わず、『こくっ。』っと頷いていた。



夕暮れが迫る公園のベンチ。
見てきたばかりの映画で、二人は盛り上がった。
身振り手振りを交える矢島君。
そんな姿が可笑しくて、思わず御腹を抱えて笑ってしまった。
一生懸命な矢島君。
私に好かれたいと思って、私を楽しませてくれる。
そんな姿が可笑しくて、涙が出る程嬉しかった。


・・・これで良い。
・・・これで良いの。
浩之ちゃんとの事は、もう終ったから。
浩之ちゃんとの事は、もう終わりにしたいから。

浩之ちゃんは、今でも好き。
マルチちゃんだって好き。
でも、浩之ちゃんは、マルチちゃんを選んだ。
私じゃなく、マルチちゃんを選んだ。
浩之ちゃんの隣りには、マルチちゃんがいる。
私が居た場所に、マルチちゃんがいる。
私の場所は、もう、そこには・・・ない。



気がついたら、周りは薄暗くなっていた。
公園の外灯が、ぽつり、ぽつりと点いている。
急に、矢島君が真剣な目をする。
肩を抱かれた。
耳元で、『好きだよ。』って囁かれた。
私は・・・まだ、判らない。

矢島君の事は嫌いじゃない。
でも、まだ自信を持って『好き』とは言えない。
でも、『好き』になりたい。
一生懸命な矢島君の為にも。
浩之ちゃんを忘れる為にも。
だから、「こくっ。」と頷いてみせた。


矢島君の顔が大きく見える。
真剣な眼差しが、胸に痛い。
矢島君、キス・・・したいんだよね。
いいよ・・・キスぐらい。
だって、私は、矢島君の・・・彼女・・・なんだから。
私は・・・大丈夫・・・だよ。

私は、そっと、目を閉じた。
最後に浩之ちゃんの顔が浮かんだ。
さようなら・・・。

さようなら・・・浩之ちゃん。

さようなら、私の初恋・・・。

・・・・・。

・・・。

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