義理よ、 義理!!
 義理チョコに決まってんじゃない。
 別に相沢君の事なんて、好きでも何でもないんだから。
 これは、義理チョコ以外の何ものでもないわ。

 娘が2人もいて何も無いんじゃ可哀想だから、私、毎年お父さんにだけは、手作りチョコあげて
 るんだけど、今年はちょっとした手違いで作りすぎちゃったのよ。
 ま、全部お父さんにあげても良かったんだけど、この頃お父さんのお腹って、厳しいって言うか、
 危険なのよね。
 私のあげたチョコの食べ過ぎが原因で、更にお腹が大きくなったら責任感じちゃうし、ましてや、
 糖尿病になんてなったら酒落にならないじゃない?

 だからよ。 だ・か・ら。

 だから、気にしないで良いの。
 どうせ残り物なんだから。

 ・・・って言えぱ、気がねなく受取ってくれるかな?



題目   『 Giri Giri Valentine −前編−』



 2月14日。
 日本中、甘いチョコレートの香りでいっぱいになるバレンタインデー。
 バレンタインデーには、好きな異性にチョコレートを渡して愛を告白しましょう。
 ・・・なんて習慣のある国、実は日本以外、何処を探したって存在しない。
 某お菓子メーカーが、販売促進のために上げたアドバルーンに、日本国民の多くが上手く乗せられた、
 乗っかった結果、国民的お祭りに発展しただけ。
 だから、今日チョコレートをあげたからと言って、特に神様の御加護が増える訳でも、奇跡が起きるわけ
 でもない。
 それでも、これだけ国内で浸透し、お祭り騒ぎをするのは、きっと、愛を告白する機会や、背中を押して
 くれるきっかけが欲しかった娘が居たから、上手くそれを利用した結果、じゃないかしら。

 私は・・・どうかな?
 確かに私の鞄の中には、一ロサイズのチョコが十二個納まった小箱が忍ぱせてある。
 これは、義理チョコの類でもなけれぱ、残り物でも余り物でもない。
 ましてや、可愛らしい下級生からの贈り物でもない。

 17年近い私の人生の中で、初めてお父さん以外の男性に贈る予定の手作りチョコレート。
 例年の5倍強の材料を使い、吟味に吟味を重ね、更に形の良いものを厳選した、甘くて、美味しくって、
 愛情たっぷりのチョコレート。

 でも、残念ながら私は、このチョコを”愛の告白”の小道具にはしないし、するつもりも無い。
 と、言うか、午後の授業も始まろうかという時間になっても、実は未だに手渡すのを躊躇っていた。
 だつて・・・。

「相沢さん。」
 ・・・ぴくっ。

「を? みっし一じゃないか。 どうしたんだ?」
「はい。 えっと・・・これをお渡ししようと思って・・・食べて頂けますか?」
 ・・・ぴ<っ、ぴくっ。

「これって・・・もしかして、みっし一の手作りチョコか?」
「は、はい・・・一応。 お口に合うかどうかは判りませんが・・・。」

「合うよ、合うに決まってるだろ。 だって、みっし一って、料理上手だもんなぁ。」
「上手だなんて、とんでもない。 私、チョコレートって、初めて作ったものですから・・・。」

「そうだよな。 みっし一って、どちらかと言えぱ、チョコやクッキーってのよりも、煎餅や饅頭って感じだもんな。」
「・・・そんな事言う相沢さんって、人として不出来だと思います。」
 ・・・ぴくっ、ぴくっ、ぴくっ。

 べ・・・別に、相沢君が、誰からチョコ貰ったって何とも思わないわよ。
 思うわけ無いじゃない。 え一思いませんとも!
 こんな光景、何度も何度も見てきたんだから。

 1限目が終わると同時に栞が飛ぴ込んできたし、2限目が終わった時には、真琴ちゃんとあゆちゃん。
 お昼には、倉田先輩に川澄先輩。 それに今は美汐さん。

 その度に、相沢君ってば、しまりの無い顔して節操無くチョコレートを受取るんだもん、みっとも無いったら
 ありゃしない。

「・・・香里。 ねぇ、香里。」
「ん? あぁ、どうしたの名雪。」
 気がつけば、前の席に座る名雪が、身を捩り頬杖をしながら私を見ていた。
 何が楽しいんだか、いつもの様に満面の笑みを零しながら。
 それにしても名雪の笑顔、陽だまりの仔猫みたいに、見る者の心を和ませるというか、癒されるというか、
 今までギスギスしていた私の心までもが融解して行くみたい。

「どうしたの香里。 顔、怖いよ。」
 ほっとけ!
 前言撤回って言うか、絶対撤回。
 萎えかけていた怒りの炎にガソリンをぶちまける名雪は、さしずめ仔猫の皮を覆った小悪魔ってところね。

「もう、祐一にあげたの?」
「え?」
 小鳥のような囁きに機先を制された私は、怒りをぷちまける矛先を失ってしまった。
 そんな私の反応を楽しむかの如く、名雪は笑顔を崩さず、更に私に追い討ちをかけた。

「私に気を使わなくても良いよ。」
「・・・。」
 見透かされている。
 名雪にだけは知られたく無かった私の気持ちが、隠してした私の想いが、名雪に勘付かれている。
 私は言葉も出せず、顔を背けた。

 確かに名雪の言う通り、チョコを渡す事に躊躇いを感じているのは、名雪への気兼ね以外に他ならない。
 栞達とは違って、私は名雪が、どれほど相沢君の事を想っているのかを知っているから。
 だから、”たかがチョコ”'と言えども、私の気持ちを添えて、相沢君に贈る事を躊躇ってしまう。

 名雪を裏切るみたいで、そんな事・・・。

「きっと祐一、喜ぷよ。」
 名雪は、何時の間にか私の机の上で突っ伏し、背けた私の顔を覗き込む様にして私の顔を見上げていた。
 私はその視線から逃れるため、更に顔を背けた。
 とりあえず、今はこの視線ほど妬ましいものは無かったから。

「作って来たんだよね。 手作りチョコレート。」
 名雪は、身体を少しだけ起すと、机の横に掛けてある、私の手提げ鞄を覗き込んだ。

「いい加減にしてよ! 名雪!」
 私は手提げ鞄を取上げると、身体の後ろに隠した。
 急に立ち上がったものだから、椅子は勢い良く倒れ、更に私の金切り声のために、クラス中の視線を一身に
 浴ぴる羽目になった。

「か・・・かおりぃ。」
「どうして私が相沢君に、チョコレートをあげなくっちゃいけないの! そんな理由、何処にも無いじゃない!」
 困惑顔の名雪に、怒声をぷつける。
 ダメだ、って判っていても、もう止められない。

「か・・・香里。 だって・・・。」
 私の顔を見上げる様にしていた名雪の視線が、一瞬下がり、私の手提げ鞄へと向けられた。
 私は、手提げ鞄を持つ手を強めた。

「これは、北川君に上げるチョコよ! 欲しい、欲しいって言ってたから、義理で持って来ただけ! だから、
相沢君のじゃないわ!」
 既に、空いた口を塞げないでいる友人に一瞥をくれると、隣の席の北川君に身体を向けた。
 途中、私を見る相沢君の顔が見えたが、もう、私自身を止める事なんて出来なかった。

「はい、北川君。 北川君のために作ってきた手作りチョコよ。 だから、ホワイトデーには期待してるわ。」
 目を見開き、ムンクの叫ぴ状態になっていた北川君にそう告げると、綺麗にラッピングされた小箱を
 北川君の机の上に置いた。
 これは、相沢君への溢れる想いを込めて作った、愛情たっぷりのチョコレート。
 初めてお父さん以外の人にあげる、形も味も最高の、甘くて美味しいチョコレート。

 私の・・・。 私の・・・。

「香里!」
 流石の名雪も語気を荒立たせた。
 そんな名雪と、驚きのあまり固まったままになった北川君を軽く無視し、相沢君に背を向けた。

「香里、ちょ、ちょっと、何してるの?」
 席に着き、机の中のものをごそごそと鞄の中に入れ始めた私を不審に思ったのか、心配顔の名雪が
 問い掛けてきた。

「帰るの。 先生には、昼食後、急に気分が悪くなったって言って。」
 それだけ吐き捨てると、鞄を手に持ち出ロヘと向かった。

「待ってよ、香里!」
 私の前に立つクラスメートが、さながらモーゼの十戒の様に左右に分かれて私の進む道を作った。
 その中を悠々と私は進んだ。
 背中から、私を呼ぶ声が聞こえたけど、振向く事は出来なかった。
 少なくともこんな顔、名雪や相沢君には見られたくないから。
 勢い良く扉を開け、勢い良く扉を閉めた。
 大きな音がした。 それが、私の心の訣別を意味しているのだと言う事を感じた。
 取り返しのつかない事をしたことに、ようやく気がついた。
 無くしたものの大きさは、生まれて初めて授業をサボった事とは比べ様も無いくらい大きかった。

                                                つづく


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