数年前、耕一の体を乗っ取ることによって彼の前世である次郎衛門への復讐を
果たし、さらにその力を使って地球人を滅亡させようとしたエルクゥの亡霊は、
千鶴たち四姉妹と耕一たちの両親の活躍によって滅ぼされた。
 それから数年、世の中は平和そのもののように思われた。
 だが、本当にそうなのだろうか?
 復讐のためだけに五百年間、魂を生きながらえさせてきた彼らが、本当に滅ん
だのだろうか?



 ここは、雨月山。
 五百年前、エルクゥのすみかがあった場所。
 エルクゥが次郎衛門によって全滅させられた場所。

 そこに小さな黒い塊があった。
 初め、目に見えないほどだったその塊は少しずつ成長を続け、やがて直径20
センチほどの大きさの、雲のようなものになった。
 成長を遂げた雲は空中に浮かび、ゆらゆらと不気味に蠢き(うごめき)だした。
「ようやく、ようやくここまで成長することができた――。長かった――。だが、
我らは滅びぬ――。たとえちり一つになろうとも、必ずよみがえる――。必ず、
次郎衛門と裏切り者どもに復讐を果たすのだ――。だが、曲がりなりにも次郎衛
門の力に目覚めた奴に、もはや精神攻撃は効かぬ、物理攻撃を仕掛けるしか――。
しかし悔しいが、もはや我らに奴と闘う体はない――。ぬ――! この気配、こ
の力、血と殺戮を求める本能――。やはりいたのか――。奴ら以外にエルクゥの
血を持つものが――。これでようやく復讐が果たせる――。次郎衛門よ、これが
貴様の最期だ――。は――はっはっはっはっは――――!!」
 雨月山に、雲から発せられた不気味な声が響いた。

  しばらくすると、雲は揺らめきながら空に登っていった。
 空中で雲は徐々に大きくなり、雨雲へと変化した。

 やがて、
 ぽつ……ぽつ、ぽつぽつ……。
 ざ――――。
 隆山一帯を覆うくらいの大きさにまでなった雨雲から、雨が降り始めた。

 雨を降らしながら、雨雲はさらに大きくなっていった。
 その雨雲はやがて日本中を覆い尽くし、日本国民が太陽を見ることができたの
は、それから三日後のことだった。




『藤田家のたさい』外伝

柏木家の幸せ〜月夜に流れる鎮魂曲(レクイエム)〜

第一章 闇鬼、蠢く(うごめく)




 数ヶ月後。

 とある日の夜、耕一たち五人は居間でテレビの歌番組を見ながら、夕食後のひ
とときをすごしていた。
 番組中に出ていたアイドル歌手を見ながら耕一が何気なくつぶやいた。
「へぇ、この娘か、最近すごい人気の娘って。ふーん、なんで人気なのかはよく
わからないけど、かわいい娘だってのは確――」
 バキャッ。
 最後まで言い終わらないうちに、突然、派手な音とともに耕一の頭がテーブル
にめり込んだ。
「やらしい顔して鼻の下のばすな、このスケベ!」
 耕一の後ろで彼をにらみつけていた梓は、耕一の頭の上でまっぷたつに割れて
いたお盆を取ると、彼の隣に座った。
 だが、すでに別の世界に意識が飛んでいる耕一に、その言葉が聞こえるはずは
なかった。

 それから一分たったが、耕一はテーブルに顔をめり込ませたまま、ぴくりとも
動かなかった。
「お兄ちゃん、大丈夫かな?」
 梓の向かいに座っていた初音が心配そうに耕一を見た。
「気絶してるだけだろ、大丈夫だってすぐ起きるよ」
  梓は耕一の方をまったく見ずに、懸命に割れたお盆を接着剤で直そうとしてい
た。
 さらに一分後、まだ耕一がテーブルから顔を上げないので、初音が深刻そうな
顔をし始めた。
「お兄ちゃん、ほんっとに大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫」
 なおも梓は耕一の方を見ようとしなかった。
 その自信たっぷりの態度に初音もしぶしぶ納得した。
「うん……」
 だが、さらに数分たっても、耕一はテーブルから顔を上げなかった。
「ねえ、梓お姉ちゃん。お兄ちゃん、けいれんしてない?」
「え? ……あ、本当!」
 梓が初音に言われて耕一を見ると、耕一はぴくぴくとけいれんを始めており、
さらに皮膚の色も変わり始めていた。
「やばい、早く助けなきゃ! 初音、手伝って!」
「うん!」
 ベリベリッ。
 あわてて梓と初音はテーブルに埋まっていた耕一の顔を引き抜いた。
 顔を引き上げられた耕一は、えづくように激しく呼吸を繰り返した。
「……げ、えほ、げほ……はぁ、はぁ、あー苦しかった。それに頭もじんじんす
る」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 初音が耕一の背中をさすりながら話しかけた。
「あ、ありがとう、初音ちゃん。まあ、生きてるから大丈夫、だよ」
 耕一はえづきながら、梓をにらんだ。
「それにしても……こら、梓。なんでいきなり殴られなきゃならないんだ、死ぬ
かと思ったぞ! それにまたテーブルとお盆がだめになったじゃないか。もう少
し手加減しろ」
「う、うるさい、アイドルなんて見てデレーっとしてるあんたが悪いんだ!」
 梓は顔を真っ赤にして怒鳴った。
 耕一はそんな梓をジト目でにらみながら言い返した。
「ちょっと待て、梓。なんだその理由は。もしかして、アイドルをかわいいって
言ったぐらいで俺は殴られたのか? いいかげんにしろよ、俺はデレっとなんて
してないぞ。まったく、かわいい娘を見るたびに俺が浮気する、みたいに言いや
がって。いくらなんでもそんなわけないだろ」
「さあ、それはどうでしょうか?」
「楓ちゃん?」
 耕一と梓の痴話喧嘩に、耕一の向かいに座っていた楓が参加した。
「楓ちゃん、それってどういう意味?」
 耕一がたずねると、楓は咳払いを一つしたあと、ポケットから手帳を取り出し
て読み上げた。
「鶴来屋総務課の浅井さん、兼田さん、近藤さん、樋口さん」
「へ?」
「経理の大塚さん、勢田さん、滝口さん、芳野さん」
「いったい……?」
「広報の飯田さん、刈谷さん」
「ちょ……待ってよ、楓ちゃん!」
 耕一が声を出すと、楓は手帳を読むのを中断して耕一を冷たい目で見つめた。
「どうしたんですか、耕一さん? まだまだ続きますよ、あと三十人ほど」
「続きも何も、その人たちっていったい誰?」
「覚えてないんですか?」
「うん」
「全然?」
「全然」
 まったくわけがわからない、といった様子の耕一を見て、楓は顔をそらせて耕
一にばれないように安堵の表情を浮かべたあと、再び耕一を冷たい目で見た。
「仕方ありませんね、では教えてあげます。この人たちはみなさん、耕一さんの
浮気疑惑が持ち上がったときの相手です」
「うわき?」
「はい」
「浮気って……うーん……」
 耕一は目を閉じて腕を組み、必死で記憶を呼び起こした。
 しばらくすると耕一は全身を使って大きくため息をついた。
「思い出しましたか、耕一さん」
 千鶴譲りの冷たい笑みを浮かべて、楓が耕一に話しかけた。
 そんな楓に、耕一は困ったような表情を浮かべた。
「うん、思い出しはしたけどね……」
「したけど?」
「その人たちについての疑いは全部晴れたんじゃなかったっけ? たまたま会社
でその人たちと数分間話をしただけで、全部誤解だったって……え、もしかして、
俺は油断できないって言いたいの?」
「わかってるじゃないですか、耕一さん」
 楓はうんうんとうなずいた。
 よく見ると、千鶴も初音も梓もうなずいていた。
 とたんに耕一は情けない顔をした。
「そ、そんなあ、俺はみんな以外の女性のことなんてこれっぽっちも考えてない
のに。俺ってそんなに信用ない……ん?」
 このとき、耕一は梓が下を向いてくすくす笑っているのに気づいた。
 周りを見ると、千鶴も初音も笑いをこらえているのがわかった。
 さらに楓を見ると、やはり彼女も笑いをこらえていた。
「……ちょっとみんな、もしかして……」
 耕一はジト目で周りをにらんだ。
 その声をきっかけにして、耕一以外の全員が笑い出した。
「やっぱり冗談だったのか!」
 耕一は思わず大声を出した。
「ごめんなさい、耕一さん。あんまりひまだったので、つい耕一さんをからかっ
てみたくなって」
 楓は笑いながら、ちろりと舌を出して謝った。
「ごめんなさい、耕一さん」
 楓に続いて千鶴たちも謝った。
 その様子を見て、耕一はあきらめたように肩を落とした。
「まったく。たち悪いよな、そんなひまつぶしなんて……俺はみんなのことがこ
の世で一番好きなんだから、浮気なんて絶対するわけないだろ」
「はい、耕一さんを信じてるからこそできる悪ふざけです」
 楓が輝くような笑顔を見せた。
 その笑顔に、耕一はほっと胸をなで下ろした。
「なんだ、信じてくれてるんだ、よかった。そうだよな、俺の気持ちはみんなに
きちんと伝わってるんだよ。うんうん……ん?」
 耕一は安堵の表情を見せたが、ふいに不思議そうな顔をして額に指を当てた。
「あれ、単純に、喜んでいいんだっけ? なんか俺、忘れてないか? うーん、
なんか怒らなくちゃいけなかったことが……」
「ありません!!」
「……はい」
 きれいに声をそろえた千鶴たちに、耕一は素直に従わざるをえなかった。

 なにはともあれ、柏木家の平和なひとときだった。



「はっ……!」
 そんなとき、突然五人の心に何かが語りかけた。
「これは、テレパシー! 相手は……エルクゥ?」
「な……誰だ!」
 耕一の叫びに「何か」が答えた。
『はじめまして、柏木耕一君、千鶴さん、梓さん、楓さん、初音さん。私の名は、
柳川裕也。しがない科学者ですよ』
「柳川、裕也……テレパシーを使う科学者が、俺になんの用だ!」
『まあ、そういきり立たないでください。話をする前に、まずはあなたに私から
のちょっとしたプレゼントを受け取ってほしいんです』
「プレゼント?」
『そうです。まずは、テレビのこのチャンネルをつけてください。今、ニュース
をやっているんですが、それを見ていただきたいんです』
 耕一はテレビのそばに座っている梓を見た。
 梓はうなずくと、頭に浮かんだ数字のチャンネルをつけた。
 五人が見守る中、テレビではニュースキャスターが淡々とニュースを読み上げ
ていた。



『次は、この数日隆山で起きている連続通り魔事件についてです。事件の被害者
はすでに男女合わせて五人に上っていますが、現在の所犯人に関する有力な目撃
情報などは得られておらず、警察は付近の住民に夜間の外出を控えるように呼び
かけています。この事件の特徴は、全ての被害者が喉元を鋭い五本の刃物で切り
裂かれているという点と、被害者のうち女性は暴行を受けた痕があるという点で
す。これらのことから、警察は犯人は同一犯でしかも男性であると見て捜査を続
けています――』



 しばらくの間、誰も何も言わなかった。
 部屋の中には抑揚のないニュースキャスターの声だけが響いていた。
 重苦しい沈黙を破るように、柳川裕也が五人に語りかけた。
『私からのプレゼント、お気に召しましたか? 柏木耕一君』
「…………」
 しかし、耕一は何も答えなかった。
『どうしたんですか、返事をしてください』
「…………」
 やはり耕一は何も答えなかった。
『ふぅ、仕方ありませんね。とりあえず私からの用件だけは伝えておきましょう。
耕一君、このプレゼントはあなたに警告の意味で贈りました。わかりますよね、
私をこのままにしておくと大変なことになって、さらにあなたの大切な奥様方も
危ない、ということは』
 柳川が「奥様方」と言った瞬間、耕一の体がぴくりと動いた。
『だから、わかりますよね、あなたが何をすべきか。そう、私と闘わなければな
らないということに――』
「待ってくれ!」
 今まで黙っていた耕一が大声を出した。
『どうしました?』
「わ、悪いが、いきなりそんなことを言われて、ハイそうですか、と信じること
はできない」
『この期におよんで何を言っているんです? さっきのニュースを見たでしょう。
あなたは奥様方までもあんな風にするつもりですか?』
「そんなことさせるものか!! で、でも……」
『でも?』
「お前がエルクゥだというのはテレパシーの感じでなんとなくわかる。でも、本
当にあの事件はお前がやったのか? エルクゥの仕業だとはわかるが、その犯人
がお前だという証拠はどこにもない。もし何かのまちがいで、なんの関係もない
奴を傷つけたりしたら……」
『……くくく、まさかそんなことを言うとは思いませんでした。そうですね、確
かに、私が犯人だという証拠はないかもしれません。ですがね、ちょっと考えれ
ばわかりませんか?』
「何をだ?」
『私たち以外にエルクゥなんてこの世にいるんですか?』
「そ、それは……」
『エルクゥがやった殺人。あなた方五人が犯人でないとするならば、必然的に私
が犯人だと言えませんか?』
「だ、だが……」
『ちっわからない人だ。そうまでして私と闘いたくないんですか? いいでしょ
う、なら私が犯人だという決定的な証拠をお見せします。しばらく待っていてく
ださい』
 そう言うと、柳川からのテレパシーは唐突に終わった。
「お、おい! 柳川、柳川! 返事をしろ!」
 耕一が柳川に呼びかけた瞬間、
 ドゴ――ン!!
 柏木家から2キロほど離れた商店街の方から、大きな爆発音が響いてきた。
「な、なんだ、いったい!?」
 驚いた耕一たちが、庭に出て商店街のある方向を見ていると、テレビから臨時
ニュースを告げる音が出、それと同時にニュースキャスターがその臨時ニュース
を読み上げた。

『臨時ニュースです。今、原因不明の爆発事故が起こったとの情報が入りました』
「…………!」
 耕一たちは一斉にテレビの方を向いた。
 ニュースキャスターは緊迫した表情でニュースを読み続けていた。
『――の商店街で、原因などはわかっていませんが、少なくとも被害者は数十人
に上ると見られ――』

「まさか、あの野郎!」
 ドヒュン!
 キャスターがニュースを読み終わらないうちに、耕一は家から飛び出していた。
 商店街の方に耕一が飛んでいったのを呆然と見ていた千鶴たちは、はっと我に
返ると自分たちも耕一の後を追って夜の空に向かって飛び出した。



「なんてことだ……」
 耕一が商店街に着くと、そこは大パニックになっていた。
 事故が起こって間もないというのに、すでに大勢の野次馬と何人かのカメラマ
ンが集まっていた。
 さらにその人たちを整理する警官たちや駆けつけた救急隊員とで、あたりの混
雑はさらに酷くなっていた。
 人混みをかき分けて、耕一は事故の現場にたどり着いた。
 爆発事故の中心は小さなビルで、その窓ガラスは全て破壊されており、さらに
壁の至る所に亀裂が入っていた。
 すでに救助活動は始まっており、次々にビルの中からけが人が担架で運び出さ
れていた。
 耕一はきょろきょろとあたりを見回した。
 怪しい奴を捜すためだ。
「ちっ」
 軽く舌打ちすると、耕一は群がる野次馬をかき分けるように走り出した。

「ちくしょうっ!」
 バキッ。
 しばらく走り回ったがまったく柳川の手がかりがつかめなかった耕一は、商店
街から少し離れた人気のないビルの影で、悔しそうに壁に拳をめり込ませた。
「どこに行きやがった、あの野郎」
「耕一さん」
「…………!」
 突然背後からかけられた声に、耕一は後ずさりすると一瞬で臨戦態勢を整えた。
「誰だ! ……あ、楓ちゃん」
 耕一の背後には、楓、千鶴、梓、初音の四人が耕一を心配そうに見つめていた。
 心配そうな四人を見て、耕一はふっと寂しそうに笑みを浮かべた。
「やられたよ、完璧に。俺が心の迷いを見せたばっかりに、大勢の人が傷ついて
しまった……ちくしょう! あの野郎、絶対に許せねぇ!!」
 バキメキ!
 耕一は再び拳を壁にめり込ませた。
「耕一さん」
 楓がゆっくりと耕一の腕に手を添え、彼の拳を自分の胸に持っていった。
「耕一さんは悪くありません。悪いのはみんなあの柳川と名乗る男」
「でも、俺の判断が甘かったばかりに」
「そう思うんでしたら、次に何をしなければならないかを考えるべきじゃないで
すか? ここでくさっていても、何も変わりませんよ」
「……ああ、そうだね」
 耕一はすっと拳を下に下ろした。
 そのとき、
『くっくっくっ』
「柳川!」
 再び柳川のテレパシーが五人に語りかけた。
「柳川、貴様よくも!」
 怒りで顔を真っ赤にした耕一が大声を出した。
『耕一君、これで信じていただけましたか? 私が通り魔事件の犯人だと。それ
とも、もう二つ三つビルを吹き飛ばさないと、信じていただけませんか?』
「ふざけんな! どこにいるんだ、出てこい、今すぐお前をぶっ飛ばしてやる!!」
『残念ですが、もう手遅れです、私はもう商店街にはいません。言っておきます
が探してもむだですよ、そう簡単に見つかるような所にはいませんから』
「なんだと、隠れてないで出てこい!」
『そうですか、うれしいですね。ようやく私と闘う気になってくれたんですね』
「ああ、望み通りお前と闘ってやる! もう絶対に誰も傷つけさせないぞ!」
『傷つける、それはあなたが悪いんですよ、私の言うことを素直に信じてくれな
いから。あなたがすぐに私の言うことを信じてくれていたら、被害者は通り魔事
件の五人だけですんだんですから。せっかく私の邪魔をすると予想されるあなた
を殺すために、テレパシーを使ってあなたとコンタクトを取ったというのに……。
ま、とりあえずあなたがその気になってくれて私もうれしいです』
「いいから出てこい、すぐに決着をつけてやる!」
『まあまあ、そうあわてないでください。とにかく決着は、明日つけましょう』
「なんで今日じゃないんだ!」
『あなたに奥様方と過ごす、最後の夜を楽しませてあげようと思いましてね。私
は優しい人間ですから』
「ふざけるな。最後の夜になるのは、お前の方だ!」
『くくく、まあいいでしょう。とにかく明日の午後六時、この場所に来てくださ
い、そこに私はいますから』
 五人の頭に雨月山のとある場所が浮かんだ。
『安心してください、その時間まで私は一切の狩りをしません。それからもう一
つ、来るのはなにも耕一君だけでなくて結構ですよ。奥様方が耕一君といっしょ
に来てくださってもいっこうに構いません。次郎衛門の魂を受け継ぐ耕一君、そ
して皇族四姉妹の魂を受け継ぐ千鶴さん、梓さん、楓さん、初音さん、どうせ全
員、私には邪魔な存在ですから。遅かれ早かれ……。それでは、また明日、お会
いしましょう』

 柳川裕也からのテレパシーが終わった。
 耕一は悔しそうにぎりっと歯をかむと、とぼとぼと家に向かって歩き出した。
 千鶴たちもゆっくりとそのあとを追っていった。

 はるか上空で、そんな五人を冷たい目で見つめる人影があった。
 その人間はわずかに唇の端をいやらしくゆがめると、いずこともなく飛び去っ
ていった。



 家に帰った五人はしばらくの間、一言もかわさずに居間でぼうっと座っていた。
 やがて何も言わずに耕一が立ち上がった。
 そんな耕一に千鶴が話しかけた。
「耕一さん、やはり闘うんですか?」
「ああ。あの野郎、罪もない人を平気で殺して、みんなまでも殺そうと考えてや
がった。俺はあんな奴、絶対許せない!」
「ですが危険なんですよ! わかってるんですか?」
 立ち上がった楓が悲痛な表情で耕一を見つめた。
「楓ちゃん……」
「はっきり言って、あの柳川裕也という男と闘うのはあまりにも危険すぎます。
それをわかってるんですか?」
「危険なのはわかっているけど、どうしてそこまで?」
「考えてもみてください。いくらあの男がエルクゥだと言っても、あくまで普通
のエルクゥなんです。私たちのように強力なエルクゥの魂を受け継いでいるわけ
ではありません。にもかかわらず、あの男はテレパシー能力の弱い梓姉さんにま
ではっきりとしたテレパシーを送っていました。こんなこと、エルクゥの中でも
強力な力を持つ者でなければ絶対にできないんです。それに一瞬でビルをあそこ
まで破壊したあの攻撃力。私たちの前世を知っていることも含めて、どう考えて
もあの男は何か特殊な力を得ています。普通のエルクゥの力をはるかにアップさ
せる何か。そんな物を手に入れているエルクゥを相手にしたら、いくら耕一さん
だって勝てるかどうか……」
 耕一は楓のそばに行くと、そっと彼女の肩に手を置いた。
「だけど、やるしかないだろ? このままじゃ被害者は増える一方なんだ。それ
にみんなだって危ない。だったら今、やるしかない」
 楓はしばらく下を向いたあと、顔を上げ、じっと耕一を見つめた。
「わかりました。なら、私もついていきます」
 耕一は何も言わず、首を横に振った。
「なぜです? なぜいけないんですか?」
「わかってくれよ。危険なんだろ? だったら俺一人で行くのがベストなんだ。
みんなを危険な目にあわせるわけにはいかない」
「そんな……」
「みんなは鬼の力があるから普通の人よりは強い。でもそんなみんなだって、俺
からすれば、やっぱりか弱くて大切な、命を懸けて守るべき存在なんだよ。俺が
次郎衛門から受け継いだ力って、こんな時のためにあるんじゃないのかな、みん
なを守るために。だったら俺は、その力を使ってみんなを守りたい。いや、たと
えどんな奴が相手でも、俺はみんなを守らなくちゃいけないんだ」
 楓は辛そうに下を向いて黙った。
 耕一の言い分はもっともだったからだ。
 いくら自分たちが普通の人間より強いとはいっても、次郎衛門の力を受け継ぐ
耕一よりははるかに弱い。
 耕一はエルクゥの中でも最強の存在である。
 そんな耕一でも勝てるかどうかわからない相手との闘いの場に自分たちがいて
は、邪魔になる可能性が高い。
 悔しかったが、それが現実だった。
「ありがとう、楓ちゃん」
 耕一は楓の態度を納得したものだと受け取った。
 そのとき初音が耕一に近づいた。
「耕一お兄ちゃん……」
「ん? 何、初音ちゃん?」
 耕一が初音の方を振り向いた瞬間、
 パシ――ン!!
 柏木家の居間に乾いた音が響いた。
 初音が、初めて人を殴った瞬間だった。
「いいかげんにしてよ、耕一お兄ちゃん」
「初音ちゃん……」
 殴られた耕一だけでなく、千鶴たちも皆、呆然としていた。
「そんなかっこいいこと言ってれば、わたしたちが納得するとでも思ったの? 
お兄ちゃんは何かあったら、いっつもわたしたちをかばって、自分だけが傷つこ
うとする。ふざけないでよ!」
「でもね、初音ちゃん――」
「わたしだって、お兄ちゃんを守りたいんだよ。お兄ちゃんの助けになりたいん
だよ。そりゃ、わたしが行っても闘いそのものの役には立たないかもしれない。
でも、それでも何かの役には絶対立ってみせる。それにお兄ちゃんの言い方、ま
るで死にに行くみたいじゃない。どうしてそんなふうに言うの? どうして言っ
てくれないの? 『みんなは、俺のそばで俺を見守っていてくれ。どんなことが
あっても俺は勝つ!』って」
「…………」
 耕一は言葉を失った。
「わたしも連れていってよ。ここでお兄ちゃんが無事に帰ってくるのを待ってる
なんてそんなの嫌だよ。わたしはどんなときでも、いつもお兄ちゃんといっしょ
にいたい。楽しいときも、辛いときも、いつもいっしょにいたい。だから、最後
までいっしょに――」
 突然耕一は初音をぎゅっと抱きしめた。
「お、お兄ちゃん……」
 驚く初音を無視して、耕一はしばらくの間初音の体を抱きしめ続けると、やが
てゆっくりと口を開いた。
「ごめんね初音ちゃん、心配させるような事言って。でも俺は死ぬつもりなんて
全然ないよ。ただこの闘いは危険だから、万が一のことを考えただけだったんだ。
だけど、みんなにとっては最良の選択じゃなかったみたいだ。わかったよ、いっ
しょに行こう」
「ほんと?」
「ああ。たぶん、これがみんなにとって一番いいことだと思うから。もちろん、
俺にとってもね」
「耕一お兄ちゃん……」
 耕一は初音を離すと、彼女の瞳をじっと見つめた。
「でも約束してね、初音ちゃん。それでも危険なことには変わりないんだ。だか
ら、危なくなったら、絶対に逃げてくれ、いいね」
「……うん」
 初音はこくんとうなずくと、耕一の胸に顔を埋めて泣き出した。
「ごめんなさい、お兄ちゃんごめんなさい、わがまま言って。お兄ちゃんがわた
したちのことをとっても大切に考えてくれてるのはわかってるんだけど、でも、
でも……」
「うん、確かにわがままだ。でも、俺を心配してくれてのわがままだから、許し
てあげるよ。みんなもそれでいい? 危なくなったら絶対逃げてくれる?」
 耕一は初音の髪を優しくなでながら千鶴たちを見渡した。
 彼女たちはこくりとうなずいた。
「わかりました」
「いいよ」
「はい。ですが、耕一さんも一つ約束してください」
「何?」
「必ず、耕一さんも生き残るって、柳川裕也に勝つって」
「ああ! 俺は死にに行くんじゃない、みんなを守るために、奴を倒しに行くん
だ」
 耕一は千鶴ににっこりと笑いかけた。

 そのあとすぐ、翌日の闘いに備えて耕一たちは眠りについた。



『耕一、柏木耕一』
 その夜、耕一は夢を見ていた。
 夢の中で、耕一は濃い青色の空間に立っていた。
 耕一の周りには何もなく、また誰もいなかった。
 しかし確かに耕一に語りかける「何か」が存在していた。
 耕一はしばらくあたりを見回したあと、大声を出した。
「誰だ、俺の名前を呼ぶのは!」
『俺だ』
 その声とともに、一人の人物が耕一の目の前に現れた。
 その人物は、耕一にとって初めて会った男だったが、耕一にはそれが誰だかす
ぐにわかった。
 屈強な体格に精悍な顔つきをした男。
 それは、
「あんたは……次郎、衛門」
 耕一たち柏木家の祖先、全ての悲劇の幕を開け、幸せへの礎を築いた人物、次
郎衛門だった。

 耕一と次郎衛門は向かい合って立った。
 やがて耕一が話しだした。
「はじめまして、次郎衛門」
『ああ、はじめまして、耕一』
「いったいなんの用なんだ? と、言ってもだいたいの見当はつくがな。わざわ
ざあんたが俺の夢の中まで入ってくるなんて、ただごとじゃない。柳川裕也のこ
とだな?」
 次郎衛門はゆっくりとうなずいた。
「じゃあ、聞かせてもらおうか。あんたがわざわざ俺の夢の中にやってきてまで
も伝えたい事って」
『はっきり言おう。今のお前では、柳川裕也に勝てん』
「何!? どういうことだ! 俺は、エルクゥ最強である、あんたの力を受け継い
でいるんじゃないのか!?」
 次郎衛門はうなずいた。
「じゃあ、なんで! 楓ちゃんの言うとおり、柳川裕也とはそれほどまでに強い
のか?」
『確かにそれもある。今の柳川裕也は普通のエルクゥでは考えられないほどすさ
まじい力を手に入れている。正直言って、全盛期の俺ですらあの男を倒すのは難
しい。そんな奴に、今のお前が勝つことは不可能だ』
「そんな……ん? 今のお前……どういうことだ?」
『今のお前は、俺の力の全てを身につけていない』
「え……?」
『俺の力の全てを身につけていないお前では、柳川裕也を倒すことはできない』
「力の全て……じゃあ、あんたの力の全てとやらを身につけられたら、俺は柳川
裕也に勝てるのか?」
 次郎衛門はわずかにうなずいた。
『可能性は、ある』
 耕一は次郎衛門の肩をつかんだ。
「た、頼む、教えてくれ次郎衛門! あんたの力の全てを身につけるには、どう
すればいいんだ! 教えてくれ。俺は必ず生き残るってみんなと約束したんだ。
だから、絶対に負けるわけにはいかないんだ!」
 耕一は真剣な表情で次郎衛門を見た。
 だが、次郎衛門は静かに首を横に振った。
『俺の口からはこれ以上言うことはできない。お前が自分で気づかねばならん事
だ』
「自分でって言っても……」
『ただ一つ言えることは、俺にあってお前にないもの。それを見つけることだ』
「なんだよ、それ。それを見つけたら、俺はあんたの力の全てを身につけられる
のか?」
 今度は次郎衛門もしっかりとうなずいた。
『そうだ。俺にあってお前にないもの。それを心の中に見つけたとき、きっとお
前は俺の力を身につけられる』
「心の中?」
『そうだ、考えろ、耕一。俺にあってお前にない物を! そして守るのだ、お前
の愛する者を! 決して、決して失ってはならん!!』
 次郎衛門の体は徐々に消え始めた。
「待ってくれ、あいつとの闘いは今日なんだ、考えているひまなんてない! 頼
む、教えてくれ、次郎衛門――――!!」



 がばっ。
 「ゆ、め……いったい、あれは……」
 目を覚ました耕一は、肩で息をしながら額の汗を拭った。
 耕一がゆっくりと周りを見渡すと、まだ時計は二時を指したばかりで、あたり
は真っ暗だった。
「なんだって言うんだ、次郎衛門。あんたの力の全てって。本当にそれがなけれ
ば、俺は柳川裕也に勝つことはできないのか?」
 耕一はちらと隣を見た。
 そこでは、千鶴が耕一の着ているシャツをぎゅっと握りしめたまま眠っていた。
 一見、すやすやと穏やかに眠っているようだが、よく見ると言い様のない不安
がその表情には表れていた。
「俺はみんなを守らなくちゃいけないんだ。みんなの心も、命も。だから、絶対
に負けるわけにはいかない。絶対に死ぬわけにはいかないんだ」
 耕一は拳をぐっと握りしめた。
「みんなの笑顔、それが俺にとってこの世で一番大切な物なんだ。絶対に、守っ
てみせる!」
 耕一は千鶴の頬にそっと口づけをした。
 耕一の唇が頬に触れた瞬間、千鶴の顔から不安の色が消えた。
 その様子を見て穏やかな笑みを浮かべると、耕一は再びベッドに横になった。
 次郎衛門が夢に現れることはもうなかった。



 翌日、会社を休んだ耕一は必死で考えていた。
 夢の中で語られた、次郎衛門の言葉の意味を。
「なんなんだ、俺になくて次郎衛門にある物とは。次郎衛門はそれがなければ柳
川裕也に俺が勝つことはできないと言っていた。俺は死にたくない。これからも
みんなといっしょに生きていたい。なんなんだ、何が俺に足りない、みんなを守
るために何が足りないんだ!」
 ダン!
 耕一は思わず机を叩いた。
 その音に千鶴たちははっとして耕一を見た。
 彼女たちもそれぞれ会社と学校を休んで、闘いに備えていた。
 だがこれといって何かすることがあるはずもなかった。
 ただ、耕一が真剣に考えているのを邪魔しないこと。
 それぐらいしか彼女たちにすることはなかった。
「こ、耕一お兄ちゃん……」
 おずおずと初音が話しかけた。
 その声に耕一は我に返り、初音に笑いかけた。
「あ、は、初音ちゃん。何?」
「やっぱり怖いの? 柳川裕也と闘うのが」
 耕一は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに寂しげな笑みを浮かべた。
「確かに怖いという感情がないことはない。でも、そういうことじゃないんだ」
 耕一は初音たちに夢の内容を語った。
 皆、しんとしてその話を聞いていた。

「そんなことがあったの」
 耕一はこくりとうなずいた。
「ああ、だからって俺は奴と戦うのをやめるわけにはいかない。この闘いには、
俺とみんなの未来がかかってるんだ!」
「耕一お兄ちゃん……」
「だから、初音ちゃん、千鶴さん、梓、楓ちゃん。俺を応援してね、絶対に俺が
勝てるように!」
「まかして!」
 初音たち四人の声がきれいに重なった。
 耕一は照れたような笑顔を浮かべた。
「みんな、ありがとう……へへ、やっぱり俺って日本一の果報者だよな!」
「いまごろわかったの、お兄ちゃん。わたしたち、結婚して何年目?」
「何言ってんだよ、初音。耕一のばかは今に始まったわけじゃないだろ?」
「あ、そうか。昔っからだ!」
「梓、初音ちゃん……どうでもいいけど、それ言い過ぎ」
 柏木家の居間に笑い声が響いた。

 ボーン、ボーン……。
  居間に備え付けられている柱時計が五回鳴り、五時を知らせた。
 その音に、五人は身をこわばらせた。
 五人は互いに目を合わせるとうなずきあった。
「時間だ。みんな……行くぞ!」
 彼らは雨月山へと出発した。



<つづく>

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