『藤田家のたさい』外伝

柏木家の幸せ〜月夜に流れる鎮魂曲(レクイエム)〜

第二章 心、蝕む(むしばむ)





  雨月山のとある場所。
 耕一たちは柳川裕也が指定した場所に、六時より少し早く着いた。
 だが耕一たちが着いたときには、その場所にはすでに背広を着て眼鏡をかけた、
品のよい男が一人立っていた。
 男は耕一たちの姿を見ると、冷たい笑みを浮かべた。
「ようこそ、柏木耕一君。やはり来てくれましたね。おやおや、家族全員ですか。
そちらから千鶴さん、梓さん、楓さん、初音さん、ですね。はじめまして、私が
柳川裕也です。以後、お見知り置きを」
 その男、柳川はうやうやしく礼をした。
 耕一が柳川の態度を見てゆっくりと話しだした。
「能書はいい。さっさとけりをつけるぞ。だが、その前に一つ聞きたい。お前は
俺が次郎衛門の生まれ変わりだと知っていたな。なぜそんなことを知っているん
だ? いや、それ以前になぜお前は俺たちの存在を知っていたんだ?」
「簡単です。そういうことを私に教えてくれる方がいた、ただそれだけのことで
すよ。無論、その方から得たのは知識だけじゃないですけどね」
 柳川が言うと、彼の後ろに黒い影が浮かんだ。
 その姿を見た耕一たちは息を呑んだ。
「あなたは、エルクゥの亡霊!」
 楓は思わず叫んだ。
「ふふふふ――久しいな、次郎衛門、エディフェル、リネット、リズエル、アズ
エル――」
 亡霊はゆらゆらと揺らめきながら笑っていた。
「なぜ生きてるの!」
 楓は亡霊を鋭い目つきでにらんだ。
「よかろう、貴様らに会うのもこれが最後だ、教えてやろう――。我らは貴様ら
の親どもに地獄に堕とされたが、その寸前になんとか体の一部を切り離し、次郎
衛門の体から脱出させたのだ――。だが、その大きさはちりのようなものだった
ため、復活にここまで時間がかかった――」
「まさか、本当に復活できるとは……」
 耕一は、完全に滅びない限り自分たちは復活する、と精神世界で亡霊が言って
いたことを思い出した。
「当然だ――。次郎衛門、貴様たちを殺し尽くすまでは、絶対に我らは滅びぬの
だ――。復活した我らは、偶然貴様らに対抗できる存在を見つけた――。それが
この男、柳川裕也だ――。素性はわからぬが、確かにこの男にはエルクゥの血が
流れている――。エルクゥの本能のままに生きていたこやつに、我らは、貴様へ
の復讐のために五百年かけて身につけた我らの力、この世の負の感情を糧(かて)
とする能力を与えた――。そのおかげで、こやつは次郎衛門、貴様以上の力を得
た――。さあ、柳川裕也よ、貴様の邪魔をする次郎衛門たちの息の根を止めるの
だ――!」
「みんな、離れてて!」
 耕一はぐっと構えた。
 だが柳川は、いつまでたっても攻撃を仕掛けてこようとはしなかった。
「どうした――。早く闘わんか――」
 柳川は亡霊を無視して耕一たちを見ていた。
「悪いが、あなたの指図は受けません。私は、私のしたいようにやります」
「貴様、勝手なことは許さぬ――」
「許すも許さないも、あなたは私がいなければ何もできないんですよ。私が知ら
ないとでも思っているんですか? あなたが不死身でないことを。あなたの復活
は、この間が最後なんでしょう? 今回耕一君の殺害に失敗すれば、あなたには
もう次のチャンスはない。だったら、私の好きにさせてください。あなただって
チャンスを、むだにしたくはないでしょう?」
「……わかった――。好きにしろ――」
 柳川は、にこりと笑い耕一の方を向いた。
「ようやくおとなしくなりましたね、亡霊さん。まったく、自分の立場をわきま
えてください。ふむ、ですが私のしたいことも耕一君と闘うことですし……。ま
あいいでしょう、亡霊さんもからかえたことですし。さあ耕一君、始めましょう
か!」
 柳川はぐっと右足を引き耕一をキッとにらみ、臨戦態勢をとった。

「ちょ、ちょっと待て!」
 耕一に話しかけられた柳川は、構えを解いた。
「なんでしょうか。まさかおじけづいた、とか言いませんよね?」
「そうじゃない。お前と亡霊の会話を聞いていて思ったんだが、なぜお前はエル
クゥの本能のままに生きるんだ。もしかすると、お前なら本能を押さえることが
できるんじゃないのか?」
「ん? ふ、ふは、ふはははははは……」
 耕一の言葉に、柳川は大笑いした。
「何がおかしいんだ」
「はははは……これは失礼。あまりにもおかしなことを言うので、つい。そうで
すね、私なら、もしかするとエルクゥの本能を精神力で押さえることも可能かも
しれません」
「なら、なぜ?」
「ここまで話してわかりませんか? 私は、自らの意志で、エルクゥの本能に身
をゆだねているのです」
「なんだと!? どういうことだ!」
「くく、仕方ありませんね、そこまで言うのなら教えてさしあげましょう。私が
なぜエルクゥの本能を受け入れているのかを」
 柳川は、不敵な笑みを浮かべた。



 柳川裕也、彼には父親と呼べる人物がいない。
 彼の母親は異性関係にだらしない女性で、彼を身ごもった当時、彼女は複数の
男性と関係を持っていた。
 そのため柳川の父親はその中の誰か、ということしかわからなかった。
 もちろん、そのような境遇で生まれてきた彼が母親に愛されるはずもなく、彼
は母親からの虐待におびえる少年時代を過ごした。

 小学校に通うようになっても柳川の境遇は好転しなかった。
 母親からの虐待のせいで他人とのコミュニケーションを苦手としていた彼に、
友人はできなかった。
 子供は非常に残酷な面を持つ。
 性格も暗く、自分からなかなか友人の輪に入ろうとしない彼を、クラスメート
は事あるごとにいじめ続けた。
 幼い頃からたえることのみが自分の生きる術であった彼は、ただひたすらいじ
めにたえ続けた。

 そんな彼にとって心の支えであったのは勉強だった。
 勉強には貧富も、親も関係なかった。
 最近、いろいろと弊害が言われている日本の教育制度だが、それでも個人の努
力が報われる制度であることには違いない。
 そのことを自覚していた柳川は努力を続けた。
 彼の存在を認めてくれる親も友人もいない柳川にとって、勉強の世界だけが、
彼の存在を認めてくれる物だったからだ。
 そして、その努力は報われていった。
 奨学金を得、彼は世間一般に一流と呼ばれるある大学に合格したのだ。
 そこでも彼はさらに努力を続けた。
  そのかいもあって、彼は若くして教授の目にとまり、ヨーロッパへ研究者とし
て留学することになった。
 ヨーロッパへ留学した彼は留学先でも将来有望と注目され、幼い頃の彼を知る
者からすれば、当時の彼は信じられないほどの出世ぶりを果たしていた。
 だが、そんな彼もやはり友人だけは作ることができなかった。
 ただひたすら朝から晩まで研究室にこもる毎日だった。

 そんなある日のこと、彼にとって信じられない事件が起こった。
 彼が進めていた研究の成果が、なぜか他人の研究として発表されていたのだ。
 その他人とは、彼をヨーロッパに留学させてくれた教授だった。
  柳川の研究成果がその教授の研究として発表されている。
 理由は簡単だった。
 その教授が柳川の研究を盗んでいたためだ。
  それは確かによくあることかもしれない。
 教授が下の者の研究成果を自分の物として発表することは、確かにいくらでも
あることだ。
 しかし、それとてきちんと相手の許可と、不本意ではあっても同意をとっての
行動だ。
 本当の意味で研究を盗む、ということは立派な犯罪であり、科学者のモラルに
反する。
 当然、許されることではない。
 しかし、そのことを柳川にとって恩人である教授がやった。
 その事実を知った柳川は、途方もない脱力感と敗北感にとらわれた。
 信じていた教授、そして今まで彼を支えてくれていた勉強にさえ裏切られたと
感じたのだ。
 何もかもがむなしくなった彼は大学を辞め、世界中を放浪することにした。

 放浪の旅の途中、彼はある一人の男性に出会った。
 その男も世界中を旅していたのだが、なぜか男を見た瞬間、柳川は言いしれぬ
恐怖にとらわれた。
 この男に近づいてはいけない、と柳川の本能がそう彼に告げた。
 柳川は本能に従って男から離れようとした。
 だが、男がそれを許さなかった。
 男は柳川に笑いかけ、あてのない旅なら二人の方がいいだろう、と柳川にとも
に旅をすることを提案したのだ。
 もちろん、柳川はこんな妙な提案を無視しようとした。
 だが、できなかった。
 男がなぜかしつこく柳川に話しかけたため、元来、他人と積極的にコミュニケ
ーションをとることのできない性格の柳川は、根負けしたのだ。
 結局柳川とその男は二人で世界中を旅することになった。

 旅の途中、男は柳川に様々なことを話した。
 一方、柳川はその間一言も話をしなかった。
 ただ黙って男の話を聞いているそぶりを続けた。
 柳川にとって、他人は興味の対象ではなかったからだ。

 そんな旅が二週間ほど続いたとき、突然柳川は自分の境遇を話し始めた。
 出生から不遇の少年時代、孤独な栄光を掴み始めた研究者時代、そして全てを
失った事件について。
 柳川がこんな事を話した理由は簡単だった。
 内輪の話、それもとびきりの不幸の話をすると全ての人間は自分から離れてい
く。
 今までの経験からそう判断した柳川は、自分の境遇を話したのだ。
 男の存在がいまいましく感じられたため、男が自分から離れるように仕向けた
のだ。

 だが、男は柳川から離れようとしなかった。
 ただ黙って柳川の話を聞き続けた。
 両目から涙をあふれさせながら。

 男が泣いているという事実は、柳川にとって青天の霹靂だった。
 柳川にとって他人とは、利害関係のみで接する存在だった。
 実際今ままで柳川に接してきた人間は皆、柳川を利用しようとした者ばかりで、
真に彼を思って近づいた人間は一人もいなかった。
 他人との関わりを避けたい柳川も、それでいいと思っていた。
 しかし柳川の目の前の男は、なんの利害関係もない柳川のために涙を流した。
 それは柳川の理解の範疇を越えた現象だった。

 柳川の話を聞き終えた男は、ぐいと涙を拭くと、にっこりと微笑み柳川に礼を
言った。
 辛い過去を教えてくれてありがとう、と。
 さらに男はお礼だ、と言って自分の過去を話し始めた。

 男はある東欧の国の出身だった。
 幼くして父親を亡くしていた男は、貧しいながらも優しい母親や弟や妹ととも
に幸せな毎日を送っていた。
 そんな日常が破壊されたのは、男が十三歳の時だった。
 その国で内戦が勃発したのだ。
 戦火は瞬く間に国中に広がり、ついにその魔の手は男の家にもやってきた。
 その運命の日、学校から帰ってきた男が見たものは、原形をとどめていない我
が家と、物言わぬ弟や妹、そして虫の息の母親だった。
 母親の体を泣きじゃくりながら揺さぶる男に、彼女は最後の力を振り絞って、
ゆっくりと話しかけると静かに息を引き取った。

 こうして男は孤児となった。
 しかし男は決して笑顔を失わなかった。
 どんなに辛くても、必死で笑顔を浮かべていた。
 いつも笑顔で生きてほしい――それが、母親の遺言だったから。
 大好きな母親の遺言を胸に、男は今日まで一人で生きてきた。

 話し終えると、男は柳川にハンカチを差し出した。
 怪訝な顔でハンカチを受け取った柳川は、その時初めて自分が涙を流している
ことに気づいた。
 それは、柳川にとって信じられないことだった。
 自分の境遇を憎み、恨むことしか知らなかった彼が、他人の境遇に同情し、我
が事のように悲しんだのだから。
 涙を拭きながら柳川は男にたずねた。
 なぜあのとき自分に話しかけたのか、と。
 男は一言だけ答えた。
 わからない、ただそうするのが一番いいことだと思った、と。

 このとき、二人の間に本当の意味での友情が芽生えた。

 完全にお互いを信頼しあった柳川とその友人は、ともに世界中を旅していった。
 柳川にとって、生まれて初めて心から楽しいと感じられたときだった。

 だが、そんな楽しい旅にも終わりのときが訪れた。
 旅を始めて三年後、今から一年ほど前、柳川とその友人がある国に滞在してい
たときのことだった。
 買い物から帰ってきた柳川がアパートで見たものは、変わり果てた友人の死体
だった。
 友人は無数の銃弾を浴び全身を蜂の巣のようにされ、血の池に沈んでいた。
 つい一時間ほど前まで元気に生きていたはずの友人の死体を抱きながら、柳川
は泣き続けた。
 体中の水分がなくなるのではないかというほど、泣き続けた。
 友人の返り血で体が汚れるなどと考えつくことはできなかった。
 ただひたすら泣き続けた。
 やがて泣き疲れ気持ちが幾分落ち着いた柳川は警察に連絡し、友人の命を奪っ
た犯人を捜してくれるよう頼んだ。

 だが、一ヶ月たっても警察からはなんの連絡もなかった。
 しびれを切らした柳川は、自分自身の手で犯人を捜すことにした。
 一ヶ月後、ついに柳川は犯人を知ることができた。
 また、それと同時に知ってはならない事実までも知ることになった。

 柳川の友人を殺したのは、あるマフィアの人間だった。
 しかし、友人は殺されるべくして殺されたのではなかった。
 人違い。
 柳川の友人は、別のマフィアグループの幹部と間違われて殺されたのだ。
 柳川たちが借りていたアパートの部屋の隣にその幹部の愛人が住んでおり、ま
た、柳川の友人の顔はその幹部の顔といくらか似ていた。
 ただそれだけの理由で、彼は殺されたのだ。
 さらに、警察はその真相を初めから知っていたという事実も柳川は知った。
 そのマフィアが警察内部に手を回してその事件の真相の公表をさせていなかっ
た、警察は自分たちを見捨てていたという事実までも。

 柳川がそれらの事実を知ったとき、彼はそのマフィアの本部施設内にいた。
 彼はマフィアによって、彼らのことを探っている危険人物として拉致されてし
まったのだ。
 マフィアの人間は頭に銃口を突きつけられた柳川に対し、死ぬ前の餞別として
友人の死の真相を教えた。
  そのことを聞いた瞬間、柳川は大声で笑い出した。
 気が狂ったといわんばかりに、彼は笑い続けた。
 やがて、彼の目からは、ぼろぼろと涙が流れ始めた。
 だがそれでも彼は笑うことをやめなかった。
 涙を流しながら、ひたすら笑い続けた。

 友人の理不尽な死の真相。
 自分たちを見捨てていた警察。
 今まで自分が関わった人間たち。
 そして、友人の死に対して何もできなかった自分。
 世に存在するありとあらゆる物がおかしくて、笑わずにはいられなかった。

 狂気の笑いを終え、涙という涙を流し尽くした柳川は、がっくりとうなだれた。
 そして彼は、ゆっくりと顔を上げた。
 その目には、すでに人の心、理性の輝きは存在しなかった。

 数時間後、マフィアの本部内は血の海と化していた。
 そこに、生きている者は誰もいなかった。
 ただ一人、体中に返り血を浴び傷口から血を流す、柳川という一人の鬼を除い
て――。



「こうして私は鬼の血に目覚めました」
「…………」
 耕一には何も言うことができなかった。
「鬼の血に目覚めた私は、これからどう生きるべきか考えました。いや、それ以
前に鬼となった私がこの世で生きていていいのか、とね」
「それで、お前が出した結論が」
 耕一の言葉に柳川はいやらしい笑みを浮かべた。
「殺戮と快楽という、鬼の本能に身をゆだねることでした」
「そうか……」
「忘れられなかったんですよ、あの殺戮の快感や、恐怖におびえ絶望した人間の
顔が。友との語らいをはるかに上回るあの喜びを失ってまで鬼の本能を押さえる
ことなんて、私にはできませんでした。むしろ、人の心を持ち続ける意味さえ、
もう私にはなかったんです」
「…………」
 耕一は何も言わずに柳川をにらみつけた。
「そう結論づけると後は楽でした。いつの間にか、私の考えが鬼の狩猟本能の必
要性を認め、私の心が鬼そのものになっていきました。そして私は狩りをしなが
ら世界中をさまよい続けました。そのころです、亡霊さんに会ったのは」
 柳川は、亡霊を指さした。
「亡霊さんはいろいろなことを教えてくれました。私がエルクゥという存在だと
いうことや、その過去、そして次郎衛門のこと。これは本当に驚くべきことでし
たね、異星人の存在なんて。でも私が一番驚いたのは、私と同じエルクゥが私以
外にいるということでした。なにしろその方は私をはるかに上回る力を持ち、鬼
の狩猟本能を理性で押さえ込んでいる。そしていつか私の邪魔をする、なんて亡
霊さんは言うんですから」
「なるほど、その存在が俺か」
「はい。だから私は自分の体に亡霊さんの力を宿らせることにしたんです。そう
すれば私は最強の力を身につけ、あなたに勝てる、と聞いてね」
 柳川はいやらしい笑みを浮かべた。
「亡霊さんの言葉は正しかった。亡霊さんが乗り移ったことによって、私は以前
よりはるかに強力な力を手に入れることができましたからね。しばらく、世界中
でパワーアップした私の力を試したあと、私は日本に帰ってきました。あなたを
殺すために」
「力を試す……もしかして、最近世界中で起こっている無差別テロの犯人は」
「くくく、全て私です。まあ、街一つを全滅させるようなあのレベルをテロとい
う言葉でくくれるのならば、という条件が付きますがね。あ、確かそういうとき
は、テロ鎮圧のための軍隊も、ついでに壊滅させてましたっけ」
「…………!」
 耕一の目つきがさらに鋭くなった。
「日本に帰ってきた私は、あなたをおびき寄せる意味も含めて久しぶりに小規模
の狩りをしました。くく、これはこれでけっこうおもしろかったです。やはり十
人単位で狩りをすると、どうしても一人ずつの恐怖の表情が見えにくくなります
からね、それらをじっくり見ることのできるこういう狩りも、またいいものです。
まあ、昨日も少しやりましたけど、明日からはまた大規模な狩りもやるつもりで
すがね。……それにしてもあなたを見ていると、不思議に思います。なぜあなた
は本能のままに生きないんですか? 確かにあなたには、美しい奥様が四人もい
らっしゃいます。それはわかりますが、あなたにだってエルクゥの血が流れてい
るんです、奥様方以外の女性のことを考えることだってあるでしょう? 下等な
人間を狩ってみたいと思うことがあるでしょう? なあに、恥ずかしがることは
ありません。それが、エルクゥなんですから」
「貴様といっしょにするな。思うわけないだろう!」
 耕一の怒鳴り声を聞いて、柳川は楽しそうな顔をした。
「そうですか。でも、あなただって鬼なんです。そんなにきれいごとばっかり、
言ってられるんですか?」
「なんだと?」
「人間、何がきっかけで変わるかわからない、ということですよ。そうだ、あな
た方にいい物を見せてさしあげましょう」
 そう言うと、柳川は目を閉じ精神を集中し始めた。
「こ、これは!」
 瞬間、耕一たちの脳裏に柳川からのテレパシーが届いた。

 燃えさかり廃墟となっていく町。
 爆発炎上する戦車。
  血に染まる海。
 踏みつけられる瀕死の女性。
 首をはね飛ばされる男性。
 頭から血を流し、朦朧とした意識の中、母親を呼ぶ子供。
 かたく手を握りあったまま河に浮かぶ、男女の死体。
 飼い犬であろう犬の死体に泣きつきながら、背中を切り裂かれる子供。
 性別も年齢もわからない状態になっている、黒こげの死体。
 人、動物、あらゆる生物の死体で埋め尽くされる河。

 その映像は、昨日見た商店街での惨状とは比べものにならないほどむごたらし
いものだった。
「これは……地獄……」
 頭に流れる映像のあまりのむごさに一瞬言葉を失った耕一には、そうつぶやく
のが精一杯だった。
 柳川はそんな耕一に満足そうな表情を浮かべた。
「さあ、まだまだありますよ」
 柳川はさらにテレパシーを送り続けた。

  夜の路地、地面に座り込み、おびえながら後ずさりする女性とそれに近づく男
性。
 服を引きちぎられ、乱暴に組み伏せられる女性。
 路地に響く、荒い呼吸音と悲痛な叫び。
 頬に乾いた涙の跡を残し、うつろに空を見上げて横たわる女性。
 その女性に爪を振り下ろし、その返り血を浴び笑みを浮かべる……柳川。

「いや――!!」
 初音が頭を抱え、かぶりを振った。
「どうして、どうしてこんなひどい事するの! だめだよ、こんな事しちゃ……
みんな泣いてるじゃない……悲しくて、辛くって……だめだよ、だめだよ……」
 初音の瞳からぽろぽろと涙がこぼれだした。
 千鶴たち三人も、なんとか頭からテレパシーを追い出そうと苦しそうな表情を
浮かべていた。
 耕一は必死な顔をして柳川に怒鳴った。
「き、貴様、何が目的だ!」
 柳川は耕一の怒りなどまったく無視して、ニヤニヤと笑いながら淡々とした口
調で返事をした。
「言ったでしょう、いい物を見せてあげるって。これがそのいい物ですよ」
「ふざけるな! これは全部貴様が今までやった虐殺の光景だろう! こんな物
のどこがいい物だ!!」
「だからいい物なんですよ。私が今までやった狩りの光景を見れば、もしかした
らあなたも狩猟者の本能に目覚めるかもしれない、と思ったんですよ」
「だったら俺だけに見せろ、みんなにまでこんなむごい物を見せるな!」
「そうですか? 私は結構おもしろいんですけどね、彼女たちが苦しむのを見る
のは」
「なんだと、人の心を苦しめておもしろいだ? ふざけるな!」
「ふざけてなんかいませんよ。まあ、一種変態的かもしれませんけどね、くくく」
「くっ……い、いいかげんに、しやがれ――!!」
 耕一の絶叫とともに、千鶴たちを襲っていた柳川のテレパシー映像は、完全に
消し飛んだ。
 そのことによって柳川のテレパシーから解放された千鶴たちは、耕一の指示に
従ってよろよろと彼のそばから離れた。
 柳川は感心したように耕一を見た。
「ほう、これはなかなかに興味深い。あなたにこんなにも強いテレパシー能力が
あるとは」
「黙れ。もういい、はっきりわかった。貴様を説得できないことも、貴様がいっ
たい今まで何をしてきたのかも。もうこれ以上、貴様の話を聞く気はない。あん
な光景を見るつもりもない。貴様は、最低だ」
「いいじゃないですか、しょせん人間なんてクズ以下の下等な生物なんです。そ
んな連中が何千万人苦しもうがどうってことないですよ。だいたい、地球の人口
は多すぎるんです。考えもなしにどんどん人間を増やしていって……。少々減っ
たって、なんの問題もないですよ。いや、むしろ地球という生命体にとっては、
クズである人間の数が減るというのはいい事ですね」
「うるさい。貴様が鬼の力に取り込まれた理由はわかった。同情もする。だが、
だからといって貴様が今までしてきたことは、絶対に許すわけにはいかない! 
人間がクズ以下の下等な生物だと? だから貴様が殺してもいいというのか!」
「そうですよ」
「ざけんな! 貴様が殺してきた人たちにだって、その人その人の人生があった
んだ。夢も希望もあったんだ。それを奪う権利なんて、誰にもない!」
「ふむ」
「それに貴様、ただ殺すだけじゃ飽きたらず、その人の心を踏みにじりながら殺
しているだろう!」
「ほう」
「自分の楽しみのために、親子の絆、恋人同士の絆、女性の操、動物と飼い主の
絆、その人にとって大切な物を踏みにじって、心を傷つけながら、その人を殺し
ていく……」
「そうですよ、いけませんか? いいじゃないですか、どうせ死ぬんですから。
それに心を傷つけるという行為は、私にとって最高に楽しくて興奮することなん
です。あなたも一度やってご覧なさい。この言葉の意味、わかりますよ」
「そんなもの、わかりたくもない! 世の中にはな、どんな理屈を並べても、絶
対やっちゃいけないことがあるんだ。自分の快楽のために、人の心を傷つける、
生きとし生けるものの命を奪う。それだけは、絶対、やっちゃいけないんだよ!!」
 耕一は柳川に飛びかかり、右手で殴りかかった。
 パシッ。
 しかし、その右手はあっさりと柳川に受け止められた。
「はぁ、甘いです、理想論ですね。耕一君、本当にあなたはヘドが出るほどきれ
いな心をお持ちです。ですが、しょせん人間は欲望の生き物。殺人、強姦、本能
の赴くままに命を傷つけることはいくらだって――」
「ごたくはいい!!」
 耕一は柳川に右手を掴まれたまま大きく振りかぶり、左手で殴りかかった。
 パシッ。
 しかし左手もあっさりと柳川に掴まれた。
「ごたく、ですか? まあ、穏やかな世界でぬくぬくと生きてきたあなたからす
れば、そうなるのかもしれませんね。ですが私は事実を言っているに過ぎないん
ですよ。過去の人類の歴史を考えてください、血みどろの歴史をね。私はその歴
史の一ページを作っているに過ぎません。大したことないんですよ」
「貴様がページを作る必要はない! それに血みどろの歴史と言ったって、それ
は歴史の一面に過ぎない。血みどろの歴史があれば、笑顔にあふれた歴史だって
あるんだ。貴様のように、血みどろの歴史だけを強調して無益な血や涙を流させ
る必要なんて、どこにもない!」
 耕一は柳川に両手を掴まれたまま、彼をにらみ続けた。
「わからない人ですね。じゃあもう一つの方は、どうですか? 人の心を傷つけ
る、という方は。これはいくらだって起こることでしょうし、誰だってすること
でしょう? この事までいちいち気にして私を責めるのは、少しおかしくありま
せんか?」
「ぐぐぐぐ」
 耕一は掴まれたままの左手に力を込めて、柳川の手を押し始めた。
「ああ、俺だって人の心を傷つけたことはある」
 耕一はさらに左手に力を込めた。
「俺は臆病だ。だから昔、みんなの気持ちを知りながらその気持ちに応えようと
しなかった。そしてみんなの心を傷つけた。そうだ、人は生きている限り、どん
なに嫌でも他人の心を傷つける生き物だ。だが柳川、貴様は人の心を傷つけるこ
とを楽しんでいる」
「正解、その通りです」
「そんな奴を、許せるか――!!」
 徐々に移動した耕一の左手が柳川の顔面に達しようとしたとき、柳川は耕一の
両手をかたく握りしめた。
「何!?」
「ふん、きれいすぎるんですよ、あなたは!」
 ドカッ。
 柳川は耕一の両手を引っ張り自分の方へ引き寄せ、耕一の顔面に膝蹴りをたた
き込んだ。
「ぐはっ」
 後方に吹っ飛んだ耕一は、体をひねり地面に着地した。
「はっきり言います。あなたが何を言っても、世の中は勝者にのみ、生きる権利
と他人を支配する権利を与え、歴史の担い手とするんです。そして勝つのは、力
のある者。正しい者ではない」
「…………」
 耕一は何も言わずに血の混じったつばを吐き、柳川をにらみつけた。
 柳川も耕一をにらみ返した。
「覚えておいてください。今は……私が勝者で、歴史を紡ぐ者です」
 耕一と柳川は、向かい合って対峙した。

 二人の鬼は互いにぴくりとも動かなかった。
 千鶴たちは、耕一の邪魔にならないように、少し離れた場所から二人を見てい
た。
「千鶴お姉ちゃん、耕一お兄ちゃん、勝つよね」
 初音が不安げに千鶴にたずねた。
「わからないわ。耕一さんも柳川も、すでに私たちでは想像もできないほどの力
を持っているもの」
「お兄ちゃん、死なないで」
 初音はぎゅっと千鶴の手を握った。

「たあ――っ!」
「…………」
 二人は同時に飛び出した。
「どおおぉぉりゃああ――!」
「…………」
 二人の常識を越えたスピードでの闘いが始まった。
 初めは二人ともまったく互角に戦っていたが、徐々に耕一が柳川を圧倒し始め
た。
 そして、
「たあっ!」
 バキッ。
 ついに耕一の右の拳が柳川の顔面をとらえ、柳川は吹っ飛んだ。
「ど、どうだ!」
 だが、柳川は立ち上がり服をはたくと、にっこりと笑った。
「何がおかしい!」
「いやはや、大した力だ。さすが次郎衛門の生まれ変わりです。じゃあ、そろそ
ろ私も本気を出しましょうか」
 柳川の両手の爪が伸びた。
「さあ、反撃です」
「ちっ」
「そう、その目です。熱い正義の心、とでも言うんですか。友もよく似た目をし
ていましたね。だから……気に入らないんですよ!!」

 爪を伸ばし、本気を出した柳川の力は圧倒的だった。
 柳川のスピードは耕一をはるかに上回り、耕一の体は爪に切り裂かれてずたず
たになった。
「ぐあっ」
 ぽたっぽたっと耕一の足下に血が滴れ落ちた。
 満身創痍になった耕一を見て、柳川は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「おやおや、やはりあなたには私のような闘い方は、できないんですね」
「な、なんだと……」
「くくく、あなたに宿る次郎衛門の鬼の力。普通では絶対に制御できないほどの
すさまじいその力を制御するために、おそらくあなたは戦闘において最も大切な
変身の能力を封印しているはず。そう、亡霊さんは予想していたんです。そして
あなたの様子を見ている限り、その予想は当たりのようですね」
「くっ」
「残念でしたね、知っているでしょう? エルクゥの男にとって、爪を伸ばした
り変身したりするのはなにも攻撃そのもののためだけじゃない、自分の力そのも
のをアップさせることにもなるって。なのにあなたは変身はおろか、爪を伸ばす
ことすらできない。これではあなたが」
 ズバッ。
 柳川の爪が再び耕一の体を切り裂いた。
「ぐぐっ」
 耕一は痛みで倒れそうになるのを必死でこらえた。
 柳川はそんな耕一を見て残酷な笑みを浮かべた。
「私に勝つことはできない。ですけど、それじゃあ」
 ズバッ。
 柳川はさらに耕一を切り裂いた。
「おもしろくないんですよ、私としても。やはりあなたには、もう少し力を出し
ていただかないと」
 ズバッ、ズババッ。
 そう言いながら柳川は耕一に体を切り裂き続けた。
 耕一は急所をかばうので精一杯だった。
「どうすればいいんですか。あなたがもっと力を出すには。教えてください。ほ
ら、早――」
 ドカーン。
 突然、柳川の体が吹き飛び、地面にめり込んだ。
「え? あ、千鶴さん、梓!」
 柳川を蹴飛ばして彼の体を吹き飛ばしたのは、千鶴と梓だった。
 柳川を蹴飛ばした二人は、耕一のそばに降り立った。
 耕一は二人に怒鳴った。
「な、何やってんだ、二人とも。に、逃げろ、早く、逃げろ!」
 だが二人は耕一の方を見ずに一言だけ答えた。
「嫌です」
「あたしも嫌だ」
「ふ、ふざけるのもいいかげんにしてくれ! 約束しただろ、危なくなったら逃
げてくれるって。あいつの力は半端じゃないんだ。二人がかなう相手じゃない。
なんでもいいから、さっさと逃げろ!!」
 耕一は必死で怒鳴ったが、やはり二人は耕一の方を見ようとはしなかった。
「耕一さん」
「な、なんだよ、千鶴さん」
「ここで私たちが逃げたら、あなたは柳川を倒せるんですか?」
「そ、それは……」
 耕一は悔しそうに下を向いた。
「少なくてもあなた一人じゃ、あの男を倒せない。ですが、三人なら倒せる可能
性が少しは上がります」
「だけど、それじゃ千鶴さんたちがけがをするから」
「いいんです」
「だ、だめだ!」
「いいんです!」
「…………」
 耕一は千鶴の迫力に黙ってしまった。
「耕一さん。あなたが私たちのことを大切に思ってくれるように、私たちにとっ
てもあなたは大切な人なんです。あなたが私たちのために命を懸けてくれると言
うのなら、私たちだって、あなたのために命を懸けます。お互いに大切な物を与
えあう、それが夫婦というものじゃないんですか?」
「だけど……」
「耕一、細かいことは言いっこなしだ! あたしたち三人で闘えば勝てる確率が
上がるって言うんなら、それに賭けるしかないだろう。それとも耕一はこのまま
一人で闘って、あたしたちを未亡人にするつもりか? それにここであたしたち
が逃げたって、どうせあんたがあいつを倒せなきゃ、あたしたちだってあいつに
殺されるんだ。違うか?」
「くっ……」
「いやいや、不意打ちとは感心できませんね」
「…………!」
 耕一たちは一斉に声のした方を見た。
 そこには体をはたきながら柳川が立っていた。
「まあ、ですが、これも愛する耕一君を想うがこその行動、と考えれば納得もい
きますがね。仕方ありません、この事には目をつぶりましょう」
 柳川は三人を冷たい目で見つめた。
「これからは三対一というわけですね? いいでしょう、受けて立ちますよ!」
 その声に反応して、千鶴と梓が柳川に飛びかかった。
「たあ――っ」
「てぇ――いっ」
「くそっ」
 耕一も二人に少し遅れて柳川に飛びかかった。

 三人のすさまじい攻撃が始まったが、柳川は涼しい顔をしてそれらを全てよけ
ていた。
「ほう、すさまじい攻撃ですね。ですが、三人いてもこの程度ですか。やはり攻
撃とは、これぐらいはしていただかないと」
 柳川の爪がきらりと光った。
 次の瞬間、
 ズバッ。
 耕一の右肩が切り裂かれた。
「おや? まあ、いいでしょう」
 再び柳川の爪が光った。
 ズバッ。
 今度は耕一の左肩が切り裂かれた。
「ん? これはいったい……そうか」
 耕一たちの攻撃をよけながら柳川はニヤリと笑い、両手を目の前でクロスさせ
た。
「はあ!」
 ドン!
 気合いとともに柳川が両手を広げると、その衝撃で耕一たちの体がはじかれた。
 耕一たちは肩で息をしながら、三人とも互いに離れて着地した。
「くそっ三対一でこのざまか」
 耕一が悔しそうにつぶやいた。
「いやいや、確かにあなた方の攻撃は私に当たりませんでしたが、それでも耕一
君、あなたはやはり大したものです」
「なんだと?」
「だって、あんな状況でもやはりあなたは千鶴さんと梓さんをかばっていたじゃ
ないですか。私が気づかないと思っているんですか? 私が彼女たちを切り裂こ
うとすると、必ずあなたが彼女たちをかばっていたことに」
「ちっ、ばれてたか」
「私に攻撃を加えながら、私の攻撃目標を正確に見極めて、その行動の邪魔をす
る。先ほどよりもあなたの戦闘能力は確実に上がっていますよ。これはどういう
ことでしょうか?」
「……さあな」
 耕一はわずかに柳川から視線をそらした。
「とぼけたってむだです。とにかくこれではっきりしました、あなたの力を上げ
る方法が」
「まさか……」
「気づきましたか。そうです、あなたの力を上げるには」
 シュン、と柳川の体が消えた。
「しまった!」
 耕一が叫んだとき、柳川は千鶴のそばに立ち、拳を振り上げていた。
「この人たちを傷つければいい!」
 柳川の拳が千鶴に向かって振り下ろされた。
 バキッ。
「きゃ――!」
「千鶴さん!」
 耕一は叫ぶと同時に千鶴のそばに現れ、彼女を抱きかかえていた。
「千鶴さん、しっかりして、千鶴さん」
「ううう……」
 千鶴は苦しそうにうめいていた。
「貴様、よくも……」
 耕一は柳川をにらみつけた。
 反対に柳川はにこにこしていた。
「ビンゴ、ですね」
「ビンゴ……?」
「彼女を一発殴っただけで、あなたのスピードははるかに上がった。あそこから
ここまで、一瞬で移動したんですからね。やはりあなたを強くする方法はこれで
良かったようです。ですが、これじゃまだまだ足りないようですね。次、いって
みましょう」
「は!」
 耕一が気づいたとき、柳川はすでに消えていた。
 そのスピードは、先ほどよりもはるかに速かった。
「きゃ――!」
「梓!」
 耕一が梓の方を見たとき、すでに梓は柳川に殴り倒されていた。
「貴様!」
 バキャッ。
 次の瞬間、柳川を蹴り倒した耕一は梓の体を抱きかかえていた。
「梓。おい、梓、しっかりしろ!」
「うう、うう……」
 梓も千鶴同様、苦しそうにうめいていた。
 耕一はすでに立ち上がっていた柳川に向かって、低い声を出した。
「柳川。貴様、一度ならず二度までも……」
 怒りの表情を見せる耕一に対して、柳川はにこにことしていた。
「おお、ますますあなたの力が上がってますね。いい傾向です。あともう一息と
いう感じですね。さあ、次は、と……」
 柳川は再び千鶴の方を見た。
 そこには、千鶴に「隠れていろ」と言われたにもかかわらず、姉たちの危機に
思わず飛び出し、倒れた千鶴を介抱している楓と初音がいた。
「二人まとめて、ですね」
「やめろ!」
 耕一が右手で柳川に殴りかかった。
 バシィッ。
 柳川はその拳を受け止めた。
「そうそう、その調子です。いいパンチですよ、耕一君。でも――」
 バカッ。
 ズザザザッ。
 柳川の右のパンチが耕一の体を吹き飛ばし、耕一は派手に地面に倒れた。
「まだまだです。そんなものじゃ、私に傷一つつけられない。さあ、もっと力を
出してください、耕一君。彼女たちが死んでしまう前にね」
 柳川はゆっくりと楓たちの方へ歩き出した。
 起きあがった耕一は片膝をつきながら、悔しそうに唇をかんだ。
「くそっ……なんでだよ……なんで俺はあいつみたいに鬼の力が使えないんだ。
肝心なときに封印なんかかかってて、みんなを助けられないなんて……情けない
にもほどがあるぞ、俺……解けろ、封印なんか解けろー!」
 耕一は全身に力を入れたが、何も変化は起こらなかった。
「く、なんで何も起こらないんだよ……このままじゃみんなが危ないっていうの
に、なんで封印、解けないんだよ……ちくしょう……ち、くしょう――――!!」
 耕一は空を見上げ、大声で叫んだ。
 その瞬間、耕一の中の何かがはじけた。



<つづく>


第三章へ