第8回 直良信夫 『日本新石器時代貝塚産貝類の研究』
(直良石器文化研究所 昭和7年)

 

直良石器時代文化研究所所報 第七輯
『日本新石器時代貝塚産貝類の研究』
 発行部数13部限定

民史研究資料館所蔵

前掲書の奥付 13部限定発行となっている。

たった一人の研究所の所報について

 この直良石器時代文化研究所は大正十四年に明石市大蔵谷小辻二五四二ノ一に開設された研究所で、所員は直良先生ひとりであった。「所報」第一輯は大正十五年一月一日に発行されている。収録論文は『播磨国明石郡垂水村山田大歳山遺跡の研究』であり、発行部数は30部であったという。(1)そして、この写真の第七輯が最後のものとなった。この「所報」は第一輯から第二輯まではコンニャク版であり、第三輯からは謄写版となった。第一輯の筆跡と第七輯の筆跡は全く別人のものである。私は第一輯は手に取ってみたことはないが、坂詰秀一先生の労作『太平洋戦争と考古学』の35ページに写真が載っており、それとこの第七輯を比べる限りにおいては、第七輯の文字が非常に整っているのに対して、第一輯のものは明らかに別人のものである。直良三樹子さんによれば、直良石器文化研究所開設の際にその開設趣意書を音夫人が清書して謄写版で印刷してから、諸研究者に宛てて送付した(2)というから、この第七輯も音夫人に手によるものかも知れない。そして、第一輯は直良先生ご自身がコンニャク版印刷をされたといい、その当時四月に出産を控えた音夫人も製本に協力したという。直良先生の著作の覆刻に尽力されておられる春成秀爾先生は『近畿古代文化叢考』の覆刻の際に第一輯については併せて収録されたが、その際にこの第七輯についても行方を探索された。しかし、東大、京大にも所蔵されておらず、発見することが出来なかったという(3)今回の発見は縄文時代の研究史のなかでも非常に重要な文献であり、内容の検討再評価が待たれるものである。

直良石器文化研究所所報 (4)
 第一輯 『播磨国明石郡垂水村山田大歳山遺跡の研究』
     (大正15年1月 30部)
 第二輯 『武藏国豊多摩郡武藏野村井之頭池畔遺跡之一括遺物について……石器時代に於ける人類と馬の生活的関係……』
     (大正15年3月 27部)
 第三輯 『中ノ御堂砂丘遺跡』
     (昭和2年6月  15部) 
 第四輯 『銅鐸と石器伴出銅鏃の関係』
     (昭和5年5月  35部)
 第五輯 『山陰道発見の縄紋式土器』
     (昭和5年11月 20部)  
 第六輯 『日本海沿岸に於ける石器伴出銅鏃の研究』
     (昭和6年11月 13部)
 第七輯 『日本新石器時代貝塚産貝類の研究』
(昭和7年3月  13部)

(1)坂詰秀一『太平洋戦争と考古学』吉川弘文館 1997 P37による
(2)直良三樹子『見果てぬ夢「明石原人」』時事新聞社 1995 P80による
(3)春成秀爾先生のご教示による
(4)発行年と発行部数については坂詰秀一『太平洋戦争と考古学』吉川弘文館 1997 P37によるものである。第七輯については今回の発見により発行部数が第六輯と同数の13部であったことが判明した。

参考文献

 


なお、この稿を作製するに当たり資料の閲覧、掲載を許可していただきました民史研究資料館の芝崎孝さんにこの場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。

 


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