明石原人の研究に新展開

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14 10/06 19:18 時: ◎明石原人は旧人だった−兵庫

 時事通信ニュース速報 

=石器発掘で学会論争に決着=

 兵庫県明石市教育委員会は六日、同市藤江の藤江川添(ふじえかわぞえ)遺跡で、五万−十二万年前の旧石器時代の地層から打製石器を発掘したと発表した。石器が見つかった地層は、近くの海岸で明石原人の骨が見つかった地層と年代がほぼ一致し、東北地方で旧人が七万−八万年前に使っていたとされるほぼ同じ種類の石器が見つかっていることから、同市教委は今回の発見は明石原人が旧人であったことを裏付けるもので、原人か旧人かの論争に一応の決着がついたとしている。

 明石原人の骨は一九三一年、故直良信夫氏が発見したが、東京大空襲で喪失。当初は原人の骨と思われていたが、その後発見された地層を調べた結果、旧人の可能性が高まり、原人か旧人かなどで長らく学会の論争が続いていた。原人と旧人は、同様に狩猟生活をしていたが、脳の大きさや骨格の違いによって区別される。原人は更新世中期に属し、簡単な石器を使用したのに対し、旧人は更新世後期前半に存在し、進んだ技法による打製石器を用いたとされる。

[1997-10-06-19:18]

 

9 10/06 20:43 共: 「明石原人」の石おの発見  明石市の藤江川添遺跡

 共同通信ニュース速報

  兵庫県明石市藤江川添の「藤江川添遺跡」を発掘調査中の市教委は六日、かつて明石原人の骨が出土したと伝えられる地層「西八木層」(十二万―五万年前)から、メノウ製の石おのを発見したと発表した。                          

 近畿最古の石器の発見。また、原人ではなく旧人に近い段階ながら明石に人類が実在したことを裏付け、人類学的には現代に近い人骨という指摘などで存在が疑問視されてきた「明石原人」をめぐる学界の大論争に一応のけりをつける発見。           

 石おのは長さ約八センチ、幅約五センチ、厚さ約三センチ。人がちょうど握れるくらいの大きさで、重さ約百グラム。両面が加工され、透明感のある黄色がかった光を放っている。動物の皮をはいだり、骨を砕いたりするのに使ったとみられる。         

 「明石原人」の骨は一九三一年、故直良信夫さんが明石市の海岸のがけに露出した西八木層から発見。当時は、この地層はかなり古く原人段階とみられていたが、近年の科学的調査で年代がやや新しくなった。                         

 骨は戦時中に焼失し、今は石こう模型が残っているだけ。当時から、古代人の骨かどうかが大きな問題とされ、日本列島にいつから人間が住みだしたかの日本人ルーツ論争の象徴となってきた。  

 国立歴史民族博物館の春成秀爾教授は「同種の石器は東北地方を中心に見つかっているが、近畿では飛び抜けて古い。この地層からもっと石器を発見して、最古の明石人の実像に迫ってほしい」と話している。                         

[1997-10-06-20:43]

8 10/06 21:47 朝: ◇近畿最古の旧石器を発見、「明石原人」論争に波紋◇

 朝日新聞ニュース速報

  兵庫県明石市藤江の藤江川添遺跡の発掘調査をしている明石市教委は六日、同遺跡から、約五万年から約十二万年前のものと見られる旧石器時代のメノウ製のハンドアックス(握斧=にぎりおの)が見つかった、と発表した。同時期の石器は東北や関東地方で見つかっているが、近畿・中国・四国地方では初めて。昭和初めに付近で見つかった人骨がきっかけで、これまで「明石原人」をめぐる論争が続いてきたが、今回の発見について、同市教委は「明石に旧人がいたことをはっきりと示す資料」と話している。 石器が見つかった地層は、五万年から十二万年前の砂礫(されき)層。石器は長さ約八センチ、幅五・三センチ、厚さ三センチで、ていねいに石の両面を加工してあった。ハンドアックスは、世界各地の原人・旧人が使っていたとみられる前・中期の旧石器時代を代表する石器。石の表と裏を加工し、手で握り使っていたと見られる。東北地方ではいくつか見つかっているが、西日本でははっきりした形のものは見つかっていなかった。 今回の発掘現場から約二・五キロ西には、「明石原人」の論議を巻き起こした人間の骨が一九三一年に見つかった西八木海岸がある。八五年の発掘調査では、五万―十二万年前の砂礫層から、人の手で加工された木器が発見され、旧人が存在していた可能性が指摘されていた。

 国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授の話=明石に旧人がいたのを裏付ける発見だ。原人がいたころの十数万年前のものである可能性もあり、今後の調査に期待したい。 [1997-10-06-21:47]

6 10/07 00:10 毎: <石器出土>兵庫の遺跡からにぎりおの1個 明石旧人裏付け

 毎日新聞ニュース速報

  兵庫県明石市教委は6日、同市藤江の「藤江川添遺跡」発掘調査で、旧石器時代前期から中期にあたる約5万〜12万年前の地層から狩猟や獲物の解体に使ったとみられる石器、ハンドアックス(握斧(にぎりおの))1個が出土したと発表した。同時期の石器は東北・関東地方で見つかっているが、近畿・中国・四国地方では初めて。昭和初めに付近で見つかった人骨をきっかけに「明石原人」を巡る論争が続いていたが、今回の発見について、同市教委は「明石に旧人がいたことを裏付ける証拠」と話している。 藤江川添遺跡は縄文後期から江戸期にかけての複合遺跡。握斧は古藤江川の川底の「西八木層」と呼ばれる砂れき層から見つかった。長さ8センチ、幅5・3センチ、厚さ2・9センチで乳白色のメノウ製。表と裏に加工された跡があり、先端部はとがっている。 同遺跡西約2・5キロの西八木海岸では1931年、「明石原人」の論議の元となった人骨の化石が発見された。約50万年前の原人の骨とみられていたが、85年の発掘調査で5〜12万年前の地層から、人の手で加工された木器が見つかり、旧人の可能性が指摘されていた。また、縄文時代以降の骨の可能性が高いとの研究もあり、論争となっていた。握斧は世界各地の原人・旧人が使っていたとみられる前・中期の旧石器時代の石器。原人と旧人はともに狩猟生活をしていたが、骨格の違いによって区別される。原人は約180万年前から約十数万年前までに存在し簡単な石器を用いていたのに対し、旧人は約十数万年前から約4万年前までに、さらに進んだ技法による打製石器を用いていたとされる。

春成秀爾・国立歴史民俗博物館教授は「明石に旧人がいたのを裏付ける発見だ。今まで空白だった近畿と中四国の旧石器時代の研究が今回の発見で広がる可能性がある。今後の調査に期待したい」と話している。握斧は7日から3日間、同市上の丸2の市立文化博物館に展示される。 【横山 裕生】[1997-10-07-00:10]

4 10/07 08:08 共: 一発逆転の大発見  やはり「明石原人」実在

 共同通信ニュース速報

  幻ともいわれた「明石原人」の実在を裏付ける証拠が兵庫県明石市からついに見つかった―。戦前から続く明石原人の論争はこれまで、実在説に不利だっただけに、六日発表された同一地層での石器は一発逆転の大発見といえそうだ。              

 群馬県・岩宿遺跡の発見で、今では列島に旧石器文化があったことは常識。現在、六十万年前の遺跡も見つかっており、愛知県の牛川人や静岡県の浜北人など一、二万年前の人骨も出土する。   

 だが「明石原人」については、実物が空襲で焼失し石こう模型しか残っていないことなどが大きなネックとなり、実在を疑問視する意見が根強く残ってきた。                  

 戦後、この模型を基に長谷部言人・東大名誉教授(故人)が「数十万年前の原人の骨」と鑑定したが、十五年前、東大の遠藤萬里助教授(当時)が「明石原人の骨は、旧石器人より現代人との共通点が多い」というコンピューター解析の結果を発表。列島の原始を探るロマンは一気に失速していた。               

 近年、西八木層の年代がはっきりし、「明石原人」は、北京原人のような「原人」ではなく、ネアンデルタール人など次の段階の「旧人」らしいと年代修正され、日本列島の人類の起源というかつての意味は薄れている。                    

 だが、国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授は「今回の発見は学問的にみて多くの可能性を秘めており、後に悔いを残さないよう徹底して調査すべき」と深い関心を示しており、論議はまた活発化しそうだ。                           

 明石原人 アマチュア研究家の直良信夫氏(故人)が一九三一年、兵庫県明石市の西八木海岸で古代人類と思われる腰骨を発見したが、東京大空襲で焼失。第二次大戦後、長谷部言人・東大名誉教授(同)が残された石こう模型二点と海岸の調査から「ニポナントロプス・アカシエンシス」(明石原人)と命名。その後、模型と写真をめぐり年代論争が続いている。最近、吉岡郁夫・愛知学院大教授が「ネアンデルタール人と同時代」、遠藤萬里・東大名誉教授らは「歴史時代で、恐らく現代日本人」と、新しい年代の可能性を指摘している。                         

 松藤和人同志社大助教授(考古学)の話 現物を見たが、後期旧石器よりは古く形も三万年前以降には見ないものという印象だ。しかし、一点ではあまりに少ないし、出た地層が(明石原人骨が出たとされる)西八木層と同じかどうか地質学的に見極めができていないのでは。石器がほかにも見つかり、地質学的に年代的位置が確定されることが必要。今後の調査に期待したい。         

 愛知学院大の吉岡郁夫教授(人類学)の話 かつて直良信夫氏が砂れき層の中から旧石器らしいメノウの破片を採集しており、今回新たに出てもおかしくない。正式の機関が行った調査で見つかった石器なので、旧人のいた年代に明石地方に人類がいたことを間違いなく証明する資料といえる。厳密に「原人」かどうかは、今後の調査を待ちたい。                       

[1997-10-07-08:08]

3 10/07 10:17 毎: <遺跡発掘>旧石器時代の石器出土 明石に旧人?−−藤江川

 毎日新聞ニュース速報

  兵庫県明石市教委は6日、同市藤江の「藤江川添遺跡」発掘調査で、旧石器時代前期から中期にあたる約5万〜12万年前の地層から狩猟や獲物の解体に使ったとみられる石器、ハンドアックス(握斧(にぎりおの))1個が出土したと発表した。同時期の石器は東北・関東地方で見つかっているが、近畿・中国・四国地方では初めて。昭和初めに付近で見つかった人骨をきっかけに「明石原人」をめぐる論争が続いていたが、今回の発見について、同市教委は「明石に旧人がいたことを裏付ける証拠」と話している。藤江川添遺跡は縄文後期から江戸期にかけての複合遺跡。握斧は古藤江川の川底の「西八木層」と呼ばれる砂れき層から見つかった。長さ8センチ、幅5・3センチ、厚さ2・9センチで乳白色のメノウ製。表と裏に加工された跡があり、先端部はとがっている。同遺跡西約2・5キロの西八木海岸では1931年、「明石原人」の論議の元となった人骨の化石が発見された。約50万年前の原人の骨とみられていたが、85年の発掘調査で5万〜12万年前の地層から、人の手で加工された木器が見つかり、旧人の可能性が指摘されていた。また、縄文時代以降の骨の可能性が高いとの研究もあり、論争となっていた。握斧は世界各地の原人・旧人が使っていたとみられる前・中期の旧石器時代の石器。原人と旧人はともに狩猟生活をしていたが、骨格の違いによって区別される。原人は約180万年前から約十数万年前までに存在し簡単な石器を用いていたのに対し、旧人は約十数万年前から約4万年前までに、さらに進んだ技法による打製石器を用いていたとされる。

 春成秀爾・国立歴史民俗博物館教授は「明石に旧人がいたのを裏付ける発見だ。今まで空白だった近畿と中四国の旧石器時代の研究が今回の発見で広がる可能性がある。今後の調査に期待したい」と話している。握斧は7日から3日間、同市上の丸2の市立文化博物館に展示される。 【横山 裕生】 

[1997-10-07-10:17]

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