江戸時代の郵便局


 我が家の自慢的なものになってしまいますが、私の先祖は江戸時代に備後国尾道で、飛脚問屋をやっておりました。その当時の資料が一部ですが、残っています。そこで、このたび、こちらで紹介させていただきたいと思います。なお、画像を鮮明にするために、重いページになってしまったことをお詫び申し上げます。

飛脚問屋で使用した印鑑

「金銀不要・尾道・三東」
(脇本家所蔵)

その当時の郵便台帳に押印したもの


飛脚問屋で使用した印鑑

「早序(その当時の速達)」
(脇本家所蔵)


 

その当時の広告
「広島の飛脚問屋田中屋」(脇本家蔵)

 その当時の飛脚制度は継飛脚といい、リレー式に郵便物を渡していきました。上の文書によれば1ヶ月に11回郵便物集荷の日があったことがわかります。なお、この広告は三好屋のものではなく、広島にあった田中屋のものです。田中屋は三好屋が取引のあった広島の飛脚問屋です。右側にある「定飛脚出所」が飛脚問屋の正式名称であり、三好屋にもそのように記されていた看板が現存しています。その看板は、広島藩の儒者の頼春水(頼山陽の父)の筆であるといわれています。

 右の写真が、その看板です。右側の人物は私の亡くなった祖父で、以前に新聞の取材をうけたときに撮影してもらったものです。


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なお、こちらの古文書資料の画像の使用は個人的な使用に限って認めるものとします。
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