【写真4】葦牙書房のマーク

藤森栄一先生の葦牙書房の本の物語です。

【社名の由来】

杉原荘介の命名による。葦牙書房の葦のマークは杉原荘介デザイン、トレースによる。

【葦牙書房の歴史】

発行日は該当書奥付による。空欄のものは未見につき不明のもの

【写真】杉原商店の所在地(現在の日本橋小舟町8-11)

昭和16年5月   東京市日本橋区小舟町1-1杉原商店2階にて創業。社長は藤森栄一。
昭和16年8月   東京市神田区岩本町3-2に事務所を移転。(柳原土手)
昭和16年8月15日 森本六爾『日本農耕文化の起原』を初版。
昭和16年9月    直良信夫『古代の漁労』を初版。
         肥後和男『文化と伝統』を初版。
昭和16年11月15日 後藤守一『日本の文化』を初版。
         坪井良平『未開民族の文化』を初版。
昭和17年7月    直良信夫『子供の歳事記』を初版。
         篠崎四郎『大和古印』を初版。
         篠崎四郎『拓本と魚拓』を初版。 
昭和17年11月   社長藤森栄一応召にともない、藤森みち子が社長を代行する。
昭和18年2月15日 
森本六爾『日本農耕文化の起原』を再版(1000部)
昭和18年12月10日
大場磐雄『神道考古学論攷』を初版(2000部)
昭和18年12月20日 杉原荘介『原史学序論』を初版。
昭和21年6月    藤森栄一、ボルネオから復員。
昭和21年12月5日 藤森栄一『かもしかみち』を初版。
昭和21年12月25日 杉原荘介『原史学序論』を再版。
昭和22年7月1日  
藤森栄一『かもしかみち』を再版
昭和23年5月30日 
大場磐雄『日本考古学新講』を初版
昭和23年9月30日 
大場磐雄『日本考古学新講』を再版
         尾崎喜八『高原暦日』を初版。
         尾崎喜八『花の復活祭』を初版。
昭和23年12月   土川正男『言語地理学』を初版。あしかび書房最後の出版書となる。
昭和24年     あしかび書房出版業から撤退、古書店となる。 


(写真は当館所蔵書籍より撮影)
森本六爾 著

『日本農耕文化の起原』

昭和16年8月15日初版
昭和18年2月15日再版
(1000部)
発行者 藤森栄一
葦牙書房

処女出版が、私が心血をそそいで編輯改訂した森本六爾先生の『日本農耕文化の起原』だった。内容はむろんのこと、編輯、装幀、自分でいうのだから間違いなし、じつにしゃれた可愛いい本だった。 (『かもしかみち以後』より)

(本館所蔵・神田小宮山書店にて購入)


直良信夫 著

『近畿古代文化叢考』

昭和18年10月10日初版
(2000部)
発行者 藤森栄一
葦牙書房

 

(本館所蔵・神田慶文堂書店にて購入)

 


藤森栄一 著

『かもしかみち』

昭和21年12月5日発行
昭和22年7月1日再版
発行者 藤森みち子

葦牙書房

『かもしかみち』はすごい人気だった。序文には「深山の奥には、今も野獣たちの歩む人知れぬ路がある。ただ、ひたすらに高きへ高きへと、それは人々の知らぬけわしい路である。私の考古学の仕事はちょうどそうしたかもしかみちにも似ている。」という短い文を書いた。この短い文は若い人々の間で一つの流行になって

「かもしかみち」を行こう、とか、その中に出てくる悲しきアマチュア小沢半堂の生き方をとって、「もう半堂になりそうだ」などという言葉が若い学生たちの間ではやった。 (『考古学とともに』より)

(本館所蔵・神田慶文堂書店にて購入)


直良信夫 著

『古代日本の漁労生活』

昭和21年12月30日 発行
昭和23年4月10日 再版
発行者 藤森みち子

あしかび書房

  大学の講師の給料ではとても生活できなかったから、これまで印税をもらわずに書いてきた葦牙書房や、さ・え・ら書房からも、印税を受け取るようになった。
(直良三樹子『見果てぬ夢「明石原人」』より)

(本館所蔵・早稲田岸書店にて購入)


森本六爾 著

『日本農耕文化の起原』
-考古学上より見たる日本原始農業の研究-

昭和21年9月10日発行
昭和22年12月15日3版
発行者 藤森みち子

あしかび書房  

「私は思いきって、疎開して無事だった森本六爾先生の『日本農耕文化の起原』と直良信夫さんの『古代の漁労』の紙型を、中央印刷へほうり込ませた。この企画は成功して、紙は特配、できた新刊は日本出版配給株式会社即日買切ですぐ現金になった。

しかし、昭和十六年に出した初版のような精魂をかたむけたかわいい本とはちがっ、みじめさがあるばかりだった。それでも、当時の仙花紙横行のところへ、この二作は上ザラ紙であった。まがりなりにも「あしかび書房」は出発したのである。

(『考古学とともに』より)

(本館所蔵・NIFTY-Serve会員森川氏より寄贈されたもの)

 


大場磐雄 著

『神道考古学論攷』

昭和18年12月10日発行

葦牙書房(2000部)

 

  栄一先生は本書の刊行に先立つこと昭和17年11月出征された、銃後をまもられるみち子夫人は葦牙書房の経営にあたられた。全面的に応援された杉原荘介先生も昭和18年11月に応召され、文字どおり孤軍奮闘されて本書を出版された。

(本館所蔵・神田巌南堂書店にて購入)


大場磐雄 著

『古代農村の復原』
-登呂遺跡研究-

昭和23年2月15日発行
発行者 藤森みち子

あしかび書房

 

  戦後日本考古学界の復興の先駆けとなった登呂遺跡の発掘を解説したものである。表紙にはその当時には珍しくかわいらしい装丁となっている。しかし、その装丁とは裏腹に本書は数奇な運命を著者と出版した栄一先生にもたらした。

 

すなわち、本書が出版された昭和23年は未だ登呂の調査は継続中であったにもかかわらず、調査担当者の一人である大場氏が発掘調査の結果を発表してしまったからである。これは大場氏のその後の考古学者としての活動の場を狭くしたばかりでなく、出版した栄一先生も学界から抹殺されることとなった (本館所蔵・神田一誠堂書店にて購入)

表紙デザインは 藤森先生の右腕であった覚さんのもの。


大場磐雄 著

『日本考古学新講』

昭和23年5月30日発行
昭和23年9月30日再版

あしかび書房

 

戦後初めて出版された考古学概説書である。著者が國學院大學での講義の教科書として出版したもの。いくつかの大学で教科書に採用されたが、こうした書物の性格上少量の出版にとどまり、栄一先生には利益と呼べるものはもたらさなかった。しかし、紙質、表紙ともにその当時としては第一級であり、さすがにあしかび書房の本であると、自慢できる仕上がりになっている。

そして、この本が事実上の最後の考古学出版書となるのである。ついに、昭和23年の暮れにはあしかび書房は消滅する運命となった。その後栄一先生は、紙屑屋、古本屋と職業を変えられ、出版業へ復帰されることはなかった。 (本館所蔵・早稲田岸書店にて購入)

 


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