方墳講座
その1 方墳とは
方墳とは一体なんでしょうか。簡単にいえば四角な古墳です。最近は、和製ピラミッドとして注目している人もいます。でも、考古学の世界ではその説はさておいて、方墳というのは一体何かということからはじめましょう。
方墳の定義
@
「墳丘の平面形が方形の古墳をいう。」(杉山晋作「方墳」『考古学小辞典』1983)以上のように多くの考古学辞典の方墳の項目を最大公約数的にまとめれば
「平面形が方形である古墳の総称。」であるということになる。方墳の築造時期
現在全国に分布している方墳の築造時期については様々であるが、特徴としていえるのが、古墳時代の初めから終末までまんべんなくつくられている墳形であり、日本全国に分布しているということです。と出現期のものは、福岡県の祇園山古墳や島根県造山3号墳のように弥生時代以来の方形周溝墓の流れをくむものがある。また、中期には大形の前方後円墳の陪塚としてつくられた例もあり、副葬品のみを埋葬したらしいということがわかっている。しかし、方墳という墳形がもっとも注目されるのが、古墳時代終末期に出現した終末期古墳としての方墳である。
終末期方墳
終末期方墳というのは、あれほど隆盛を誇った前方後円墳を中心とした古墳文化がある時期を境にしてぱったりと前方後円墳が築造されなくなる。そして、関東においては埴輪も同時に消滅する。そうした時期に築造されていたのが方墳と円墳であった。これらの方墳は、前期やそのほかの方墳と区別する意味からも終末期方墳と呼ばれている。これは、かつて森浩一先生が提唱した終末期古墳という用語の流れをうけているのです。
終末期方墳の出現の時期
この終末期古墳の出現の年代であるが、一般的に7世紀の前半といわれている。このような年代が明らかになってきたのは、ここ10年来、全国的に前方後円墳の研究が進み、その終末時期についての検討が進んだからである。全国的に埴輪の消滅と同時に前方後円墳が消滅する。そこに、終末期方墳と終末期円墳が登場するのである。
終末期方墳と八角墳
終末期方墳の終末というのはすなわち、古墳の終末ということなのですが、終末期方墳がつくられた時期はわずか100年ほどの間でした。そして、その最終末には八角墳という方形の段の上に八角形の墳丘を持つ古墳が出現してくるのです。代表的なものに天武・持統天皇合葬陵である野口王墓古墳があります。この八角墳は私は終末期方墳の一種であると考えていますが、特異な墳形であるといえます。最近では、即位した大王に限って八角墳を築造したといる説が有力ですが、群馬県にある神保一本杉古墳などのように、地方にも小規模ではありますが八角形の墳丘を持つ古墳があることがわかっており、即位した大王だけに限定するのは無理だと思います。しかし、仮説の域を出ないのですが、石舞台古墳が八角墳であるという可能性も否定できません。以前、貼石出土状況から、上円下方墳であるとする説もあったことですし…。また、従来上円下方墳とされていた古墳についても、全て八角墳である可能性を疑ってみる必要があります。
つづく