なぜか似ているお墓たち

森本六爾先生のお墓と杉原荘介先生のお墓


「瓜二つな二人のお墓」

 そういえば、このお墓誰かのお墓によく似ているなあ。・・・・・・そうだ。多磨霊園にあった杉原荘介先生のお墓とそっくりだ。でも、どうしてだろう。花崗岩を用いている点も同じである。少し杉原先生のお墓の方が上等のような気がしたが。確か、森本先生のお墓は藤澤一夫先生のデザインで浜田耕作先生の題字だったと思いますが、杉原先生のそれについては、どうなのでしょうか。

   

 左側 森本六爾夫妻のお墓 奈良県桜井市粟殿極楽寺共同墓地
 右側 杉原荘介先生のお墓 東京都多磨霊園

   

左側 森本六爾夫妻のお墓 奈良県桜井市粟殿極楽寺共同墓地
右側 杉原荘介先生のお墓 東京都多磨霊園


森本六爾先生のお墓建立のいきさつについて

「森本さんの三回忌にあたる昭和十三年一月二二日、東京考古学会によって、大和粟殿の極楽寺墓地にすばらしい石造の墓塔が造立されている。森本さんご夫妻の墓塔は、遺族によってではなく、学界の有志たちによって造られている。このことは、森本さんの学績の偉大さを具体的に反映されるもので、しかも塔形は藤澤一夫さんのデザイン、碑面に刻みこまれた文字は全て森本さんを最も理解し、かつ庇護を惜しまれなかった京都帝国大学総長濱田耕作先生のご直筆に成っている。こういうベストメンバーによる墓塔の敬呈こそ、森本さんにとって至上の喜悦だったに違いないだろう。」(浅田芳郎『考古学の殉教者』より)

 森本先生のお墓は、鞍馬寺の本堂をモデルにして藤澤一夫先生がデザインされて静岡の池上年さんの工房でつくられたものです。しかし、杉原先生のお墓のデザインについて、森本先生のお墓をモデルにしてデザインしたという確証は今のところありません。しかし、森本先生に大変傾倒されておられた杉原先生のことですから、密かにその雰囲気をまねたものなのかも知れません。杉原先生は、出征前に何度も森本先生のお墓参りをされておられます。

 その後、私が森本先生のお墓建立のいきさつについて藤澤一夫先生にご教示をいただいたところによれば、杉原先生のお墓のデザインについては、藤澤先生のものではないということが明らかになりました。従って、杉原先生のお墓のデザインについては杉原先生が森本先生のお墓に似せるようにして作られたかも知れないという可能性がより高まったわけです。


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