ヤマトファンからのメッセージ

 

K.H さんからのメッセージです。

かつて少年だった私も2児の親となり日々の糧を求めて何かに追われるように時をすごしている。 今、改めてヤマトを思うとき、ヤマトはいまだ私の根底の部分に深く根ざしており再び飛翔のときを待ち眠っているように思う。このところ松本先生のサイドでいろいろとヤマトを掘り起こす作業が進められ、あの雄姿を拝む機会にも何度となく恵まれた。 それはそれで非常に感動的な事件ではあった。ただ、残念なことはそのどれを見ても西崎というヤマトの代名詞でもあったプリントがなされていないことだ。 はっきり言って松本先生だけではヤマトは作れない、同じように西崎さんだけでもヤマトは作れない、少なくとも私はそう思っている。いま、松本ワールドというブラックホールに飲み込まれんとするヤマトに接するたびに不安な気持ちになってくる。何年か前に公開された映画と呼ぶにはあまりにも無責任な作りだった999の新作のラストにヤマトが飛んでいたのを覚えている。あまりにもミスマッチなその姿に、ヤマトがとても安っぽいものに見えた。ヤマトの敵は絶対に機械化人やプロメシュームであってはならないと思う。西崎さんの進めていた2520はスケールこそ壮大だが完全に松本カラーが抜け落ちた以上あれをヤマトだとは認めたくない。復活篇でやたらと便利になったヤマトも真田さんに血の通わない船だと一喝されてしまうのではないかとはらはらした。 唯一、私と同じように年齢を重ねた古代艦長に再会できることについては少なからぬ期待をもっていた。 思えば、幼かったあの日、私が、衝撃に震えたのはヤマトが決して強くなかったからだろう。 ぼろぼろになるヤマトが好きだった。重たいヤマトが好きだった。とてつもなく静寂で広大な宇宙が好きだった。そこに西崎さんがこだわりつづけた重厚な音楽が乗っかってヤマトは飛んでいたように思う。 これからヤマトは一体どこへ行くのだろう。松本先生も西崎さんもヤマトを愛する気持ちは一緒のはず。どうか、誰のヤマトということではなく宇宙でただ一隻の大戦艦として再びヤマトが飛翔せんことを祈るばかりである。 私は30歳を過ぎた今も懐かしく空を見上げることがある。そんな時、ふと見上げた夜空に再びあの日のヤマトがとんでいたら私はどんなにか勇気付けられることだろう。 そして、それを指差しあれがヤマトだと二人の息子たちに胸を張って教えてやろう。

 

T.T さんからのメッセージです。

はじめてメールを送らせていただきます。わたしは、小学4年生の頃から、再放送で『ヤマト』に熱中した者であり、以後、完結編に至るまで、そして『YAMATO2510』へと続く、一連のシリーズまで魅せられ続けたファンです。……他のメッセージを寄せられている方と同じですね。少し前の『週刊新潮』で、著作権をめぐる争いに関する記事を読んでショックを受けました。確かに、西崎プロデューサーはトラブルを起こし、現在は弱い立場にあります。しかし、『宇宙戦艦ヤマト』に関していうなら、プロデューサーの作品ではないか、と考えるのです。事実、わたしは『ヤマト』を見続けてきましたが、時折、作品に織り込まれたプロデューサーの言葉に、大いに感動したものでした。事実関係は、部外者ですからわかりかねますし、裁判で決着がつくことでしょうが、一ファンとして、これまで『ヤマト』を見続けてきた者として、同作品は西崎氏の作品であると、素直に感じております。こうした思いを伝えたからといって、どうなるわけでもありませんが、思春期を『ヤマト』を見て育った世代の中には、西崎氏の言葉に励まされた者がいることを、知っていただければ幸いに思います。そして再び、人々に感動を与えてくれる作品を発表してもらえれば、と。

Y.Sさんからのメッセージです。

はじめまして、僕は去年の深夜枠の映画放送がきっかけでヤマトを好きになりました。僕は高校1年という年齢ですがヤマトを心より愛しています(ヤマトより沖田艦長や島のほうが好きですね)。今はは牢屋にいますが1日も早く出所してヤマト復活編と2520の続きを作ってください。現在は松本零士氏が西崎プロデューサーの代打でヤマトの舵を担っていますが、松本零士のヤマトではなく西崎義展プロデューサーのヤマトになってくれることを一日も早く願っています。余談ですが小さいころに「さらば宇宙戦艦ヤマト −愛の戦士たち−」を見てトイレに行けなかったことを今でも覚えています(笑)最後に一ヤマトファンとして西崎プロデューサーにエール送ります!!
西崎プロデューサーFIGHT!!負けるな!西崎プロデューサー!!

A.U さんからのメッセージです。

西崎プロデューサー、お元気ですか。 著作権が松本氏に移ってから随分経ちますね・・・ この前、その松本氏の新ヤマトを読みました。・・もちろん立ち読みですが。 ・・ほとんど999とハーロックの世界でした・・ ヤマトである必然性がまったくありませんでした・・・ 現在あるヤマト関連のサイト(松本氏公認?)を見てみると、ほとんどの人が 松本派ですが、ヤマト=松本氏に疑問を感じる人もいます。 私は昭和41年生まれで、パート1のTVシリーズをリアルタイムで見てました。 当時、私の住んでる地域では「猿の軍団」と放送時間が重なっていたので、 交互に見てました・・・ 完全に?好きになったのは、再放送からですが・・ 徳間書店のロマンアルバムを、何度も何度も読み返しました。 ・・その頃からヤマト=松本零士という風潮があったように思います。 やっぱり漫画の影響でしょうか・・? 私は、当時から松本氏はスタッフの一人だと思ってます。現在も、ですが・・   YAMATO2520・VOL.3、とても面白かったです。 正直、それ以前の2520は作画面で不満が残りました・・ でもVOL.3は、素晴らしかったです。 オープニングの戦闘シーンも、壮大な音楽とマッチして、何度見ても飽きません。 第17代ヤマトもカッコ良かったです。個人的には18代より好きです・・・ 第7艦隊旗艦ブルーノア、こっちの活躍も楽しみです。   西崎プロデューサー、なるべく早く復帰してくださいね。 とりあえず、ヤマトの権利を取り戻しましょう。私も応援します。 松本氏の新ヤマトなどは、勝手にやってもらって構いません。 でも旧ヤマトシリーズは、断固死守しましょう。  

ー相原よりー 若い世代のヤマトファンからの貴重なメッセージを頂きました。Y.S氏の承諾を得ましたので氏のコメントを紹介します。

初めまして、ヤマトのHPを持っているY,Sと申します。僕は、いわゆるヤマト世代の人間ではありません。「完結編」が公開された83年3月の時点では1歳でしかありませんでした。その僕が、ヤマトという作品に出会ったのは、とても幼い日のことだったと記憶しています。ちょうど、パート1のガミラス本星の戦いのシーンでした。その印象が今でも強烈に残っています。それから数年経って、その作品が「宇宙戦艦ヤマト」という作品であることを知り、TV版以外はすべて制覇しました。しかし、制覇した、とは言っても、ビデオ化されているもののみですから、パート1劇場版のスターシアが死んでいたバージョンや完結編の初期公開バージョンなどは見たことはありません。そんな僕がヤマトのHPを開設したのは中学3年生の時でした。インターネットという場を通じて、未だたくさんいるヤマトファンに出会えたのがとても嬉しかったのです。そして、その頃一番期待して待っていたのが、そう「復活編」です。「ヤマトとしてはどんな駄作でも良い。スクリーンを飛ぶ生きてヤマトを見られればそれで良い」そう思って。世間ではヤマトは松本作品だと言われていますが、実は西崎Pの作品であることを僕は知っています。「新たなる」以降は商業に走っている、とよく言われますがすべての作品が大好きです。

今のアニメよりも、いろんな点に置いて凌駕していると思います。ウエスト・ケープが倒産したときはショックでした。そして、その後の二度に渡る西崎Pの逮捕もショックでした。ヤマトの版権が松本氏に移り、著作権表示が「松本零士」と表示されるのに未だに違和感を感じます。そして、松本氏がヤマトを飛ばす、と言い本当にヤマトを再び飛ばすのは間違いないでしょう。しかし、ヤマトは松本氏の作品ではないのです。氏の最近の映像作品を見る限りでは不安でたまりません。西崎Pだったらきっと凄い作品になるのにな、と。その上、松本氏はヤマトを999やハーロックとリンクさせるつもりでいるのです。すなわち、ヤマトという作品に999が飛び、アルカディア号が飛び、ハーロックやメーテルが出現する、という可能性があるわけです。僕は、ヤマトは『ヤマト』という作品で作って貰いたいのです。それでも、松本新ヤマトを見るのでしょう。でも、本心はやはり西崎Pに飛ばして貰いたい。西崎Pの「こだわり」がヤマトという作品には必要なのです。長々と書いてしまいましたが、それだけヤマトが好きなのです。本当はもっともっと書きたいのですが、とりあえずここまでにしておきます。

こんな若いヤマトファンもいることを忘れないで下さい。それでは。

 

Y.N氏からのコメントです。

ホームページの若いヤマトファンの方の書かれているように、私も最近のヤマト関連の画像や写真にC:松本零士・東北新社と書かれているのはどうしても、「何か違う」と思っている一人です。ヤマトの版権が法律上は松本&東北新社が移っているとはいえ、最近の昔ヤマトに関わっていた人たちの発言にはあまりに酷すぎるものがあります。戦後まもなく、戦争中に使っていた教科書の一部に墨を塗らせて使用させたと言うことがありましたが、彼らの言動はそれに近い。松本氏の漫画を繰り返し読んでくれば分かるように、テレビ・映画のヤマトと、そのほかの松本氏の漫画・テレビ作品には明らかなスタンス・視点の違いがあります。それはやはり、西崎氏をはじめとするオフィス・アカデミーの面々の参加があったからでしょう。それを無視し、無かったかのようにする風潮にはやはりどこか疚しいものを感じざるを得ない。

間違いは間違いであり、西崎氏の二度の失敗はやはりしかるべき処で裁かれなくては為りませんが、西崎氏の作ったヤマト像まで無かったものにしようとする風潮は問題があると言わざるを得ないでしょう。それにしても、ヤマト復活編のアクエリアスの海から飛翔する大和の姿、YAMATO2520での宇宙の謎に挑もうとする18代YAMATOクルーたちの活躍というプロットがWCC社の倒産、西崎氏の逮捕という結果によってとん挫する事に相成ったのは誠に残念の限りです。それでもヤマトに関する商品・グッズの入手状況が5年前に比べると比べものにならぬ位改善されたことは良かった。5年前音楽集のCD化などを日本コロムビアに再三要請してきて、95年初頭に軒並み再販された時の喜びを今も昨日のことのように思い出します。ヤマト以外でも西崎氏の活躍する道は今後残されているのかもしれませんが、是非現在の版権者と上手く渡り合ってヤマトに関わっていって欲しいと考えています。

 

T.N氏からのコメントです。

ヤマト劇場版が、公開された年には、私は生まれておらず、初めてヤマトを見たのは3歳のとき(だと思う・・・)でした。その時は、おぼろげにしか覚えていただけでしたが、その時からその艦に対しあこがれを持ちはじめていたと言っても過言ではなく、小学4年頃になってヤマトの再放送が開始したときは、すっかし有頂天になったものです。だから、「復活編」の制作が開始されたと言うことを聞いたときすっかし喜んだだけに、西崎氏の逮捕はショックだったし、松本氏のヤマトの世界観を理解するのにも時間がかかりました。(それだけヤマトの印象は、強烈だったということなもかもしれませんけどネ。)他のヤマト関連のホームページを見て回り自分なりに出た結論をあえて言うなら、ヤマトの航海は、いまだにつづいているとゆうことです。それぞれの心のなかで、それぞれの心の中の、「未知の世界」にむけて・・・・・。

 

H.K氏からのコメントです。

月並みかも知れませんが言わせてください。

私の人生はヤマト抜きでは語れない。当時の私は小学校4年生でした。夕方5時30分からやっていたヤマトを毎日何気なく見ていました。そして迎えた最終回。私の人生で初めての感動を味わったのです。当時の私はそれをどのように表していいか分からず、多摩川の河原に犬の散歩を日課にしている祖母と一緒に行き、ただただ一心不乱に走りました。そして祖母に当時800円だったヤマトのハードカバーの小説(?)3巻をおねだりして買って貰いました。そしてその夏に公開した、さらば宇宙戦艦ヤマトの映画を生まれて初めて一人で見に行きました。感動しました。小学生にはちょっとつらい内容でしたが、でも、感動しました。彗星帝国のどうしようもない強さに、満身創痍となりながらも敢然と立ち向かっていくヤマト。忘れられません。

現在、私は32歳。いまだにアニメを見ています。ヤマトから始まったアニメ遍歴の中でいろいろな素晴らしい作品に合うことが出来ました。作りや内容ではヤマトを凌駕している作品もあります。正直言って私の心の中では、一瞬他の作品ベストになったりします。ですが、暫くするとやはりヤマトが私の心の中ではベスト作品に戻っているのです。何故でしょう。やはり青春(と、言うには幼すぎるような気もしますが)の一時をヤマトと共に過ごしたからなのでしょうか。さらば宇宙戦艦ヤマト以降の劇場版もすべて劇場にて観ました。残念ながら記憶に鮮明に残っているのはヤマトよ永遠に位までですが・・・。クラッシャージョウと幻魔大戦との同時公開の時ヤマトを観に行ったのは、ヤマトファンとしてのささやかな誇りです(ウェスト・ケープ・コーポレーションから、ヤマトファンの力を見せてやりましょうとの手紙も貰いましたし)。

西崎プロデューサーのことを悪く言う人間がいますが(事実多くの松本零士ファンとの交流の中で一度ならず非難されているのを耳にし、そのたびに私は下記のようなことを言ってきました)私は、西崎プロデューサーがヤマトに傾けた情熱というモノをいつまでも信じたいですし、それを疑う気持ちはありません。ただ、みんなに死ぬまで夢を与え続けなくてはいけない人として、西崎プロデューサーがしたことは確かに裏切りにも似ています。ですが、人間誰しもどうしようもないときがあります。若輩者の私が言うのも口はばったいですが、その人間的な弱さや悲しみを知らずに、人の弱さや悲しみを分かることが出来るのでしょうか?西崎プロデューサーがしたことは確かに誉められることではありません。でもそのことだけでその人格や存在を全否定することだけは間違っていると思います。きっと我々のような普通のサラーリーマンの社会とは違った流れの速い世界での苦労というのは私などには計り知れないモノがあると思います。まだまだ、西崎プロデューサーには頑張って貰わなくてはなりません。罪滅ぼしとでも言うのでしょうか。ですが、これらのネガティブな出来事も、きっと、これからの作品に活かされて行くはずです。また、そうでなければ、今まで多くの松本ファンに非難されながらも西崎プロデューサーを信じてきた自分が悲しくなります。

頑張ってください。世間が何と言おうと、ヤマトを作った西崎プロデューサーの情熱や思いを否定できる人はいないはずです。私はそう思います。

 

S氏からのコメントです。

西崎さん

私はヤマト放映時からのファンです。

私の人生の中でこれほど影響を与えたものはないといって良いほどヤマトは私とともに有ります。そう、今でもです。西崎さんの熱意、伝わっていました。製作側と視聴者側がこんなに接近した作品はヤマトが最初でしょう。そんなヤマトが好きだということに私は誇りを持っていましたし、今でもそうです。こうしてインターネットでヤマトファンが多くいることを知り、その人達と接することが出来、今までに無かったヤマトに対する充実感があります。そんな中であなたの逮捕…悲しかったです。版権が松本氏に移ったことで正直ホッとしました。あなたが事を起こすたびに必ず「ヤマトの」と言われ、私達がどんなに辛い思いをしていたか…

こう言う形でメールが送られているのですから、私以外の方で同じ事をおっしゃる方がいらっしゃったかもしれません。でも、正直な思いなのです。松本氏がヤマトを作りたいと言っていることに対し、私はそれでも良いと思う1人です。作ることに対する思いは、どんな人であれ持っているものですし、今ではヤマトファンから製作側に入った方が大勢いらっしゃる。もしそう言う方々が集まって作ってくれるヤマトならPART1のころに近い作品が出来るかもしれません。(これはあくまでも個人の希望です)いろんな意見があるのは知っています。それでも良いと思うのは、自分の中に確たるヤマトへの思いが有るからだと思います。松本氏が作ったヤマトを見ても、揺るぐことの無いものがあるから…。ただ、マンガを見ていたものとしては、松本ワールドのヤマトも決して悪くは無いと思っております。だから、版権が松本氏に移ったことを好意的に受け止められたのかもしれません。まったく関係の無い第三者に移るより、ずっと良いです。

あなたのした事は犯罪です。そして、あなたを信じていた多くのファンを、傷つけたのも事実です。最近のあなたの顔にはPART1を作っていた頃の輝きが無かった。

HPで雄弁をふるっておられますが、なぜ、こんな事になる前に思い返すことが出来なかったのですか?これほどの情熱をまだ持っているのなら、なぜ道を踏み外すよな事をされたのですか!!34歳の、あなたから見ればまだ一人前ではないかもしれない私が、こんな事を申しあげるのは失礼かもしれません。でも、どうしても伝えたかった。この悔しさを。正義と愛の何たるかを訴えていたあなたが…どうして…インターネットで知り合ったヤマトファンの方々は、素敵な方々でした。あなたが私達に植えた小さな種が、時を越えてめぐり合い、HPの中で大きな森を作っています。皆、ヤマトを愛しています。周りでいろんなことを言われてきても、それでもヤマトが好きでしょうがない人達です。わかりますか?あなたのされた事が。こんな素晴らしい事をしたと言うのに、それを裏切るような行為が…。

説教地味た話をしてすみません。失礼と思いつつこんな事をした私は子供かもしれませんね。でも、ヤマトの事となれば、25年前のあの頃の自分が蘇るのです。いえ、ヤマトだけじゃない。トリトンも、ワンサ君も…。どんなに楽しかったか…。いつか自分の子供に見せてやりたいと思っているくらいです。その時は、あなたのことを話したいと思います。だから、明日の判決を受けた後、私が胸を張って子供達にあなたのことが伝えられる様頑張って下さい。あなたが私達に伝えた事を次の世代に伝えることが、私達のするべき事なのですから…。

 

I氏からのコメントです。

私も、前々から訴えたかったことがあります。それは、松本氏が、あたかも原作者であり、製作者であるような捉え方をしているメディアが多いと言うことです。私は、そう言ったメディアに問いたい。「宇宙戦艦ヤマト」は誰が企画して、製作の陣頭指揮に立ったのか?この作品は、西崎氏が考え出し、スタッフを捜し、製作したのではないのでしょうか?そしてストーリーの性格上、魅力的な女性、マニアックなメカを必要とし、松本氏に声をかけたのではなかったのでしょうか?

 それをあたかも、自分が「製作」したかのようにビデオのオープニングで「監督 松本零士」と表示するのはおかしいのではないでしょうか?更に言うなら「2」「III」では、「私は、ヤマトが何処へ行くのかわからない」とかいうコメントを繰り返していました。なのにもかかわらず、自分の著作権表示をしてビデオを売り、その利益を得るというのは作り手として意に反することではないのでしょうか?確かに、あれだけのSF設定を行ったことは認めますが、製作の総指揮にあたった方をないがしろにし、ビデオやLDのスタッフクレジットに自分の名前を先頭に持って来るというのは、不思議なことです。アニメーションに携わることが出来た恩のある方の事を忘れてしまっています。(YAMATO2520の著作権まで表示しているのもげせません)「宇宙戦艦ヤマト」に関しては松本氏のオリジナルでないことを、広く一般の方に理解していただきたいと思います。「宇宙戦艦ヤマト」の全ての作品は西崎氏の生き様であり、心の鏡なのですから。以上です。

 

T.W 氏からのコメントです

私はTVシリーズ第1作でヤマトファンとなり、近年の西崎さんの3回に渡る新聞記事(W.C.C.倒産を含む)に大ショックを受けながらも、現在もヤマトファンを続けています。イヤ!今まで以上に強い気持ちで続ける様になりました。思い返せば数年前、VE社のGさんから砂町の倉庫整理を頼まれた頃、数回程、西崎さんとお会い出来たのが最後となってしまいました。あの時の元気一杯だった西崎さんからして、今ではもう夢のように思います。丁度その頃、倉庫内で東京ディズニーランドを上回る1000万坪と言う巨大レジャーランド構想の完成予想地図を見つけたのですが、あまりにも構想が巨大でボツになってホコリをかぶっていました。その中には、ヤマトのモニュメントもあったのを、西崎さんは覚えているのでしょうか?「完結編」が終わってから、ヤマトと言う作品はヤマトファン一人一人の中にまで生きている状態になったと思います。私はそんなヤマトだからこそ、そして日本のアニメーションブームを築き上げた世界的にも歴史に残るヤマトだからこそ、当時のブームで終わらせるのでなく、永遠に語り残したいと真剣に想いました。

私にも長年かけて集めたヤマトコレクションのグッズや資料を大切に保管しているのですが、将来はヤマトの博物館を作って歴史あるヤマトを、いつでも誰でも見られるようにしようと計画中です。幸いこの通信において協力してくれる友人達と共に、将来のヤマト博物館のために、経費をかけずに保管できる場所を確保できるようにもなりました。巨大レジャーランド構想の中には、ヤマト作品の展示場もあったはずです。私共はそのボツになった夢を、まだ数年かかる事でしょうが、博物館だけでも実現させたい思っています。西崎さんのメッセージを見て、私共の方はコレクションのレベルではありますが、この世に記録として残すと言う事では同様な考えを持っていると感じました。

現在では、ヤマトを作ってくれたスタッフの方々はバラバラになってしまいましたが、私はこのヤマトを築き上げてくれたスタッフ一人一人にとても感謝しています。ヤマト博物館のコレクション管理上で、もしもお役に立てるのでしたら、ぜひとも協力したいと思っております。最後にまた、以前の様なお元気な西崎さんに、もう一度会える事を祈っております。 T.W

 

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