相原通信士宛 ― 総統デスラーこと西崎義展のメッセージ

前略

月日が過ぎるのは、早いものです。平成11年2月1日に銃砲刀剣類所持等取締法違反等によって逮捕されて、2年4ヶ月が過ぎました。私が逮捕されてから、ヤマトのゲームソフト等が発売されて、再び「宇宙戦艦ヤマト」という作品が、広く見直されて“ブーム”となり、多くの人々に支持をされていることは本当に嬉しいことです。

昔からのヤマトファンの皆さんに、新たに加わったヤマトファンの人達の中には、お父さん・お母さんが、昔、劇場に来て行列に並んでヤマトを観た!人の息子さん娘さんもいるのではないでしょうか。

ヤマトが劇場で大ヒットを記録した1997年〜8年(昭和52年53年)頃は、ビデオも普及していなくて、レーザーディスク・DVD等は全くない時代でした。お父さんお母さんが、自分達の青春時代に観たヤマトをどのように受け止めたかを語り、息子さんや娘さんが、いまヤマトを見て感じた事を話すなど考えると微笑ましく、親子との間にそのような会話が交わされているのかな。

親子の間柄でなくても、世代を超えて広く話題とされていることを考えると、私も仲間入りがしたくて羨ましく思います。現代、親子の共通した話題も少なく、会話が成立しにくくなっている、といわれる時代に“感情”や“感動”の共有が出来るものがあるとしたら、それは本当に素晴らしいことであると思います。(それを機会に互いに理解し合えることが多くなると本当に良いと思います。)

私も今書きながらふと、“さらば宇宙戦艦ヤマト”のラストシーンとタイトルバックに音楽と沢田研二くんの歌を、自分でも泣きながらつけていたことを想い出して皆さんと感動の共有が出来た作品であったことを思い出して涙がこみあげて、零れそうになりました。

2回の刑事事件で“ヤマトの名を汚した”と言われ“破産宣告”も受け、今は拘留されている“受刑者”であり“被告人”の身ですが、そのような作品を製作したプロデューサーとして、ちょっぴり誇りにさせてください。

 

追伸

 

警視庁の留置場から、東京拘置所に移管されてきたときの私の状況は最悪でした。

昨年(平成11年)東京都済生会中央病院整形外科に平成11年2月22日に入院「検査」、3月2日“執刀”というスケジュールが決定していた「手術日」を目前にして2月1日に逮捕されて、その状態のまま“無治療”で無理を続けた結果、神経は炎症を起こし、腰だけではなく“下肢”“膝下”に至る迄激痛に苦しみ、油汗を流して耐えていたところ、幸いにも拘置所に来られる不定期の整形外科医師が、“硬膜外ブロック注射”を連続施行して頂いたことで、炎症は止まったものの、半年以上の無理が原因となり、まだこの頃は歩けたのですが、ある日、診察に歩いて行った時に、“突然”左足首にプツンと筋が切れるような感じがして、“転倒”(左足首が麻痺を起し)、歩行困難となって、「車椅子」「居房休養」という状態となりました。

しかし結局のところ、東京拘置所には(MRI等の施設がなく)手術等を判断するのに十分な施設、及び手術が行える施設も無いので、抜本的な治療ができないことと、放置することの危険性を書き、その時も「勾留執行停止の申立」をして病院に入院させて欲しい事についてお願いをしましたが実現せずに終わりました。

その後、専門的な治療は受けられぬまま(月1回のブロック注射以上の治療はなく)1年数ヶ月が経過して現在に至っています。

“居房休養”というのは、役務は免除されますが、定期的にある“運動”で戸外にでることが禁止されていますから、“立って歩く”ということがないので(さながら新潟県柏崎市の監禁少女のように)リハビリが制限されて“太陽の光”の下に1年以上出る機会もなく“ひと冬”が過ぎて頑張ってきました。

1年が過ぎて今、痛みは日増しにひどく、体力が衰え、筋力も衰え、という最近の状況は老廃に向かう道をたどり始めている、希望のない日々のくり返しであります。―健康に出獄できることが“希望”です。

 

更に具体的に言えば

神経を圧迫するところから来る痛みは、体を動かす度に四六時中あって、日常生活即ち、起床・洗面・着替え・点呼・三度の食事・食器洗い・用便・風呂・部屋の清掃・車椅子による面会・医務の対応等の立ち振る舞いが1日数十回あって、その都度痛み−時には激痛−を伴いますので“麻痺”や痺れもあって対応できなくなっているのです。

書面を書く為に、片膝立てて、机に向かって座っていることが、1年前とは違って、“1時間”も座っていられない状態が、ここ半年間位特にひどく、痛みは、腰・背中に、痺れは手足にきて腰が安定せず、センターが取れない状態になるのですぐ横になる。

従って「上申書」等“書面”は以前の半分も書けない状態で、手が震えるので、定規を使って書いています。

 横になっていても、以前と違って起きているときと同じように神経を圧迫するのか“痛み”“痺れ”は治まらないが起きているよりは良いので、横になる時間が増える。人間の脳は起きている状態で正常に稼動するので、寝ている時間が多いと起き上がって立てばふらつき、座っても直ぐには“思考能力”が正常に働かない。気力を奮って起き上がり、座る又は寝る事のくり返しと、「日常生活の対応」で、1日1日が終ってゆく。

布団は、24時間敷いたままで、寝たり起きたりが頻繁である為「万年床」でいまでは1日中布団の上に居る生活です。夜中に最低2回以上は寝返りをした時の痛みで目が覚めて眠りが浅く、夜は9時に就寝して朝は6時40分に起床だが、暗い時間から目が覚めているのです。筋力の衰えを少しでも少なくしようと、整形外科医から教えられた「膝の屈伸運動」を毎日立って房内で百回以上行うのですが、半年位前からそれまで出来ていたこの“リハビリ運動”が痛みを伴うようになり、終れば“激痛”が待っていて痺れと共に足腰に広がり(治る迄に時間がかかって)毎日辛いが、(運動場で立って歩くことはさせてもらえないので、禁止されて機会がない以上)この唯一のリハビリを止めれば立つことも出来なくなる恐れがあるので、“痛くても”“辛くても”必ずやる!

他書けばまだ沢山ありますが、以上のような状態で頑張って生きています。

そして、“今”昨年の「勾留執行停止の申立」以後1年以上の間、頑張って公判の対応等も行ってきて“判決”も受けた現在、私の置かれている「環境」と「体の状態」の実情を書きこのままでは肉体的には更に悪化し、老廃していく以外に先が見えない状況であり、心身共に耐える極限の日々を過ごしていることをお伝えして、判決を前に御送りした「上申書」に書きましたように、専門的な施設のある病院において診察・検査を受けて、必要であるべき「手術」等の治療が受けられることを御願い申し上げます。

一口に「腰痛」といっても、人によって較差があって単に老化現象など軽視されがちですが、適切な処置・治療が施行されるか、されないかで、大きな違いが出ることは「私の1年半の結果」が物語っています。

1年−1年半とでは、極端に違う体の現状です。もしかしたら、私の体は既に手術に耐えられる体力が保持されていないのかもしれません。あるいは、ここ迄来た状態では、手術をしても無駄である状態なのかもしれません。

しかし、今ならまだ間に合うかもしれない!

と思いながら――――――続く―――――

 

以上のような上申書を出しましたが、却下されました。ただ私は、頑張っていることを具体的に書知って頂きたかったので、「追伸」としました。

平成13年6月5日

西崎義展こと 西崎弘文

 

 

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