泣けて来るくらい、なつかしい・・・顔出し看板
大多喜駅で下車。城下町らしく駅舎は天守閣風・・・でもなんか銭湯風にも見える(笑)

大多喜はその昔、松平氏2万石の城下町でした。徳川四天王の1人、本多忠勝が城主をしてていたこともあります。写真の川は夷隅川でUの字を描いて流れています。その夷隅川の左岸の上に大多喜城がたっています。そして、今私が歩いている川沿いの道は「メキシコ通り」と名付けられていて慶長14年(1609)にドン・ロドリゴ一行が日本での任務を終えて帰路についたときの乗った船が岩和田村の沖合で遭難しました。そのとき村人は総出で遭難者を救助しました。当時、外国人は処刑という掟にもかかわらず本多忠朝は一行を手厚くもてなしをしたあと江戸に送りましたがこれを受けた徳川家康もあたたかく迎え入れ、それどころか新しい船を与えてやって本国に帰しました。それがきっかけで、スペイン・メキシコと日本は通商の道が開かれたそうです。

昭和50年にメキシコの大統領が大多喜を訪れたのを記念して「メキシコ通り」と名付けられたそうです

くねくねと曲がった緑のトンネルを抜けると見えて来る天守閣風県立総南博物館。
城は天保13年(1842年)に火災にあい焼失、再建されないまま明治4年に廃城された。昭和50年に県立総南博物館が本丸跡に建てられて、当時はこんな感じだったのかなぁと偲ばれる。

今日は、時間がなかったのでお城風博物館を見学して、車を停めてある大原まで、再びいすみ鉄道に乗って戻りました。あとはお土産の海産物を買って帰路につきました。

いすみ鉄道に乗ると、肩の力が抜けて「ほ〜っ」とする感じ。ゆっくりとした時間の流れって、そこにあるのがわかっているのに自分から遠ざけていたんだなぁと思ってしまった。