に、ま〜い

in  ヨ−ロッパ


私たちは、スイス・ジュネ−ブ駅で途方に暮れていました。時刻表を読み間違えてしまい、乗るつもりでいた列車に乗れないことがわかったのです。

『大阪弁の天使』でも書きましたが、気ままなヨ−ロッパ二人旅でしたので、いつもなら時刻表の読み間違いくらい大したハプニングではなかったのですが、このときは違っていました。

私たちはこの日、パリのホテルで4時に旅行代理店のスタッフと待ち合わせをしていたのです。

行きと帰りのエアの予約をしてくれたスタッフで、翌日の帰国のための打ち合わせをするための待ち合わせなのです。このままだとスタッフとの待ち合わせの時間に間に合わない…

しかも、不味い事にまったく理解できないフランス語圏にいるのです。私たちはとりあえずインフォメ−ションを訪ねて、どうしたらいいか相談してみると、待ち合わせに間に合うにはリヨン駅まで行きそこからTGV(日本でいう新幹線みたいなもの)にのるしかないということでした。しかしTGVは座席指定券がないと乗車ができないのです。日本の新幹線のように立って乗ることはできないんです。指定券がとれないと、結局待ち合わせにはまにあいません。

この時点で私はかなり焦っていました。

今となってはスタッフに一本電話をいれておけばいいことだと思い付くのですが、このときはなぜか思いつかなかったんですね。すごいハプニングに遭遇しているような気持ちになってしまっていました。最初に時刻表を読み間違えた時点でかなり動揺していたようです。

リヨンに向う列車の窓から見える風景は、初秋の雨に煙っています。車内に乗客は少なくて私たちの不安な気持ちに拍車をかけました。

さて、いよいよリヨン駅に到着しました。果たしてTGVは座席指定券はとれるのでしょうか…

私は友だちに荷物番を頼み、両替をしてくることにしました。スイスフランしか持っていなかったのです。リヨン駅は大きくて、人も多くて、賑やかです。その人並みをかき分けるように、両替のできるところを探していると、偶然、TGVの座席指定窓口をみつけました。私はとにかく座席を予約してしまおうと、窓口に走りました。こころのなかで「どうか窓口の係りの人が英語が話せる人でありますように」と祈りながら。

窓口で私を迎えてくれたのは、ブロンドの美人で、英語が話せる女性でした。私がどうしても4時までにパリに行きたいというと、カタカタと端末を操作して「大丈夫、座席指定券はとれそうよ。何枚欲しいの?」との返事。私は喜びで一杯になり

満面の笑みを浮かべ、張り切った大声で・・・・・
英語っぽいイントネ−ションの日本語で・・・・・
Vサインを元気よくだしながら・・・・
思わずこう答えてしまったのです。・・・・

「に、ま〜い」

係りの美女は私のVサインで、2枚切符が欲しいということを理解してくれたようですが私は恥ずかしくて周りに日本人がいないかきょろきょろしてしまいました。
そして切符代を払う時になって、私は両替に行く途中だったことを思いだしたのです。

「あ、まだ両替えをしていないんですが」
「いくらくらい持っているの」
「え−とスイスフランで、え−と」
「ちょっと見せてくれる?」
「え、でも、スイスフランだから持ってるの」
「いいから見せて」
「え?」

「私に見せなさい!」

すごい迫力でそういって、私が出したありったけのお金を持って、お姉さんは持ち場をはなれ両替に走ってくれて、息をはずませながら戻ってきてくれて、切符とお釣を私の手に握らせてくれました。「ありがとう」と言いながら窓口を離れる私に彼女はとびきりの笑顔で「Bon voyage」と手をふってくれました。涙がでそうになってしまった。旅先での親切はダイレクトに心にしみました。


大地を滑るように、快適に走るTGVの中で、私達は、ほっと胸をなでおろしました。


そして、パリに近くなるとTGVは空に向うように走ります。

ようやく辿りついたパリは雨がふっていました。
ホテルで無事にスタッフと
打ち合わせをすませてから、
食事をするいでに街に見物に
出かけることにしました。



↑エトワ−ルの凱旋門
1805年のナポレオンの戦勝を記念して建てられたもの。高さ50M、奥行き22M


コンコルド広場↑  
写真の中央のオベリスクは、エジプトから贈られたもの。この広場で処刑がさかんに行われていた昔昔のその頃は荷を引いていた牛の群れが血なまぐさい匂いに本能的に恐れを抱いてこの広場を横切ろうとしなかったそうです。
ホテルに戻ってシャワ−を浴びて、ベットにごろんと横になると窓からパリの夜景が見えます。遠くにライトアップした、歴史的建造物もみえてなかなかの景観です。もっとよく見ようと、起き上がって、窓からベランダにでると涼しい風が吹いてきました
じばらくパリの街を眺めているうち、ヨ−ロッパを旅してきた思い出が次々と甦ってきて、すごく感傷的な気持ちになっていきました。
 

旅に馴染めず、人と会話するのが怖くなってしまったロンドン。

ド−バ−海峡を渡り、辿り着いたブリュッセルの街でジプシ−のひったくりに遭遇したこと。

ケルン大聖堂の大きさに驚いたこと。

ライン上りを楽しみ、大阪弁の天使にあったこと。

コブレンツのライン川沿いの道で、道順を教えてくれた地元のおばさんに折り紙の鶴をあげたら、すごくよろこんでくれたこと。


憧れの都・ウィ−ンを歩けたこと

物凄い雷雨のなか夜行列車で国境を越えたこと

なんて幸せな毎日だったのだろう。貧乏旅行だったけど毎日毎日を、どう過ごして、どう前に進むかばかりを考えていられた。日本での日常なんてすっかり忘れていて、自分と向いあえた。
日本にいたら、できない体験ばかりだった。

私と交替にシャワ−をあびて出てきた友だちに、私はこうつぶやいていました。

「帰りたくないよぉ」


それでも、朝はやってきて、
翌日、朝靄のパリを後にして、帰国の途につきました。

写真の説明です。上から順に・・・
**レマン湖
**左 パリ凱旋門 **右 コンコルド広場オベリスク
**パリのホテルから見た風景