灯台にのぼり、辺りを見渡すと、白一色だった。時々強い風が吹き上げると 一瞬海面が揺れて見えた。空も白くて、真っ白な世界だった。 丸いビ−玉のような瞳の持ち主が、海面から首をもたげて 霧の向こうで、私をみているんじゃないかって ・・・そんな気がした。 |
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〜銚子〜 |
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R256を利根川に沿って走る。銚子の賑やかな駅前を左折すると、正面に利根川の河口が見えてくる。川を渡った向こうは波崎漁港、茨城県だ。 その時に、泊まった民宿があったのが、この黒生だった。 最初「黒生」ってビ−ルの名前みたいだけど、なんて読むんだろうと思っていたらもと観光バスガイドの母が「くろばえ」だと教えてくれたのだった |
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この黒生の先には海鹿島(アシカ)というのがあるんだけど、明治30年頃までは本当にアシカの生息地だったらしい。 現在も銚子にはイルカウォッチングができるポイントがあるし、アシカがいたとしても不思議じゃないかな。 なんでアシカはいなくなっちゃったんだろう、環境破壊かしら・・・ |
そして、このあたりは海の展望がすごくよくて感動する。窓をあけると、海を渡って来た風が、胸の中に直接吹いてくるみたいな爽やかさそこを過ぎると、犬吠崎の灯台が正面にみえてくる。今日の灯台は春光にぽかぽかひなたぼっこしているみたい。 でも、写真は、使い捨てカメラで撮ったので、ちょっと不鮮明になってしまった。 |
灯台を横目に、その まま通り過ぎる。 しばらく走ると猫の 額程の平らな土地に きっちりと民家が 立ち並ぶ外川の町に 入る。 外川のあたりの風景は、 気持ちが和む風景だ。 日本独特の漁村の 風景が残っている |
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外川漁港は昔は銚子漁港以上に賑わっていたこともあったらしいが、 今はその面影はない。 私たちは、どんどんその先へ進む、目的地はこの先にある、名洗港にある海に面した公園。主人は昨夜、台所に立ち、何やらお菓子を作っていた。私がどうするのかと尋ねると、明日のドライブに持っていって海を見ながら食べるんだい、と言っていたのでじゃ、この公園で食べようということになったのだ 公園のベンチで海を見ながら、持参してきた、お茶とお菓子を広げる。主人がせっせと作っていたのは、小麦まんじゅうだった。全国的にこの名で通るのかはわからないけど、小麦粉を練って作った生地の中にあんこを入れて丸くまとめて蒸かしたもの。あとは緑茶。 このベンチからだと、入江を挟んで前方に東洋のド−バ−と言われた海岸絶壁の屏風が浦がみえる。はじめてこの風景を見た時は壮大な風景にびっくりした。こんな身近にこんな風景のところがあったなんて・・・ 静かに横たわる海と、雄大な屏風が浦と、おまんじゅうを食べてほのぼのする 私たちが共演する春の1日・・・ |
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次に、犬吠崎まで戻って、銚子電鉄犬吠崎駅、駅内にある「後藤純男美術館」に行く。美術館と言っても、かわいい駅の駅内にある小さな美術館だ。 ここには後藤純男の絵が展示してある 後藤純男の絵を知ったのは、まだ学生の頃。新聞の日曜版に絵が紹介されていて、母親がそれを見つけて私に見せながら「この人、ママと同郷なんだよん」と言った。 母の手の上にあるその絵は日本画だった。お寺の門が描かれていて、渋い色合い。だけど、なんだか気高くて神々しい印象だった。母の手から、新聞を受け取って見ると、雨の後の風景と書いてあった |
それが最初の出合いだった。機会があったら直に見てみたいと、思っていた。願いが叶っていざその絵を目の前にして、私は深呼吸した。雨の日に京都のお寺に行って、庭園の樹木が雨を吸って放つあの匂いを思い出したのだ。そして絵を見ていると気持ちが落ち着いてきた。次々に目の前に広がる、後藤純男の絵を直にみて、圧倒されて引き込まれそうになった。
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そこから帰路につく。 途中、東庄町というところでいちご狩りをした。町に入ると、道路沿いに、「いちご販売所」と「いちご狩りができます」という看板が点々と続いている。どこでいちご狩りをしようか迷っていたんだけど主人が、妙ないちごのオブジェの店を見つけてそこに入ることにする。販売所に入ると、いちご狩りのビニ−ルハウスまでの地図を渡された。そこまで車を飛ばし着いたビニ−ルハウスのいちごは、土で育てられているのじゃなくて水耕栽培とういうやつ。いちごのなっている位置が高いので、車椅子でも入れるそうだ。 |
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酸っぱいのが苦手な 主人だが、ここの いちごはそんなに 酸っぱくなくて、 いちご狩り 初体験の主人は、 子供のように目を輝かせ ていちごを頬張った 満腹で、ビニ−ル ハウスを後にして、 あとは家に帰るだけ ビ−ルが楽しみだなぁ |
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