銚子を最初に訪れた時、犬吠崎の灯台は深い霧に包まれていた。
灯台にのぼり、辺りを見渡すと、白一色だった。時々強い風が吹き上げると
一瞬海面が揺れて見えた。空も白くて、真っ白な世界だった。

私はアシモフの霧笛を思い出していた。白くて厚い霧の向こうに
丸いビ−玉のような瞳の持ち主が、海面から首をもたげて
霧の向こうで、私をみているんじゃないかって
・・・そんな気がした。

潮風に吹かれて
〜銚子〜

R256を利根川に沿って走る。銚子の賑やかな駅前を左折すると、正面に利根川の河口が見えてくる。川を渡った向こうは波崎漁港、茨城県だ。
いつもここに来ると、ここが「川」なのか「海」なのかで悩む。川なんだろうなぁ・・・でも、漁港って言ってるしなぁ?

そのまま海にそって走ると、すぐに銚子漁港に着く。今日は、鴎の数が凄い!!魚の水揚げをしている船に群がって、魚のおこぼれを狙っているようだ。魚をトラックに積み換えるとき、道路にこぼれ落ちてしまうと抜け目のない何羽かがそれに飛びつく。仁義なき闘いのご様子。

がんばれ鴎。

コンビニに寄って買い物して、出てくると、ちょうど駐車スペ−スで仁義なき闘いが始まったところで、あまりの鴎の多さに恐怖を感じた。まるでヒチコックの「鳥」の世界だ。
私も主人公になったつもりで叫んでみる
「きゃ−−−!!」

その漁港ちかくにパチンコ店があって、主人と「いちばん海に近いパチンコ屋かもね」と話す。店内は、賑わっていた。お客は漁師さん中心かな?

そのまま海沿いを走っていると、右手に石が小高く積まれた塚が見えてくる
車はその塚をぐるっと廻り混むように、カ−ブをこなすので、塚がよく見える。塚の上には慰霊碑が立っている。これは慶長19年(1916年)10月25日におきた突風で1000人以上が遭難したその死者を埋葬したところ。この川口付近は歌にうたわれるくらい、有名な海の難所だったらしい。

この辺りの風景はまさに海辺の町といった風景だ。漁を終えた船と、鴎と、堤防のさきのテトラポットが次々と視界に飛び込んでくる
早朝から漁にたずさわっている人にとっては、お昼前という時間はひと仕事終えた、けだるい時間が流れているという雰囲気。

このあたりで車はいったん海から離れる。次に海が見えてくるのは、黒生漁港のあたり。黒生と、ハワイは、私の中ではひそかに繋がっている。

ハワイに行く時に飛行機から銚子を見下ろして、感激したことがあった。帰国後、今度は銚子からハワイ行きの飛行機を見上げてみたくなって、ハワイ旅行の直後に銚子に泊まりがけで、来た事があった。

夜、8時ごろ、防波堤に出てみると遥か上空に飛行機が瞬いていた。海風に吹かれながら、夜空をずっと見上げていた。あの飛行機がハワイに行くのかなぁって思いながら。そして、神秘的な、夜の海に畏怖の念と、感動を同時に感じていた。

その時に、泊まった民宿があったのが、この黒生だった。

最初「黒生」ってビ−ルの名前みたいだけど、なんて読むんだろうと思っていたらもと観光バスガイドの母が「くろばえ」だと教えてくれたのだった

この黒生の先には海鹿島(アシカ)というのがあるんだけど、明治30年頃までは本当にアシカの生息地だったらしい。
現在も銚子にはイルカウォッチングができるポイントがあるし、アシカがいたとしても不思議じゃないかな。
なんでアシカはいなくなっちゃったんだろう、環境破壊かしら・・・

そして、このあたりは海の展望がすごくよくて感動する。窓をあけると、海を渡って来た風が、胸の中に直接吹いてくるみたいな爽やかさそこを過ぎると、犬吠崎の灯台が正面にみえてくる。今日の灯台は春光にぽかぽかひなたぼっこしているみたい。

でも、写真は、使い捨てカメラで撮ったので、ちょっと不鮮明になってしまった。

灯台を横目に、その
まま通り過ぎる。
しばらく走ると猫の
額程の平らな土地に
きっちりと民家が
立ち並ぶ外川の町に
入る。

外川のあたりの風景は、
気持ちが和む風景だ。
日本独特の漁村の
風景が残っている
外川漁港は昔は銚子漁港以上に賑わっていたこともあったらしいが、
今はその面影はない。

私たちは、どんどんその先へ進む、目的地はこの先にある、名洗港にある海に面した公園。主人は昨夜、台所に立ち、何やらお菓子を作っていた。私がどうするのかと尋ねると、明日のドライブに持っていって海を見ながら食べるんだい、と言っていたのでじゃ、この公園で食べようということになったのだ

公園のベンチで海を見ながら、持参してきた、お茶とお菓子を広げる。主人がせっせと作っていたのは、小麦まんじゅうだった。全国的にこの名で通るのかはわからないけど、小麦粉を練って作った生地の中にあんこを入れて丸くまとめて蒸かしたもの。あとは緑茶。

このベンチからだと、入江を挟んで前方に東洋のド−バ−と言われた海岸絶壁の屏風が浦がみえる。はじめてこの風景を見た時は壮大な風景にびっくりした。こんな身近にこんな風景のところがあったなんて・・・

静かに横たわる海と、雄大な屏風が浦と、おまんじゅうを食べてほのぼのする
私たちが共演する春の1日・・・

次に、犬吠崎まで戻って、銚子電鉄犬吠崎駅、駅内にある「後藤純男美術館」に行く。美術館と言っても、かわいい駅の駅内にある小さな美術館だ。
ここには後藤純男の絵が展示してある

後藤純男の絵を知ったのは、まだ学生の頃。新聞の日曜版に絵が紹介されていて、母親がそれを見つけて私に見せながら「この人、ママと同郷なんだよん」と言った。
母の手の上にあるその絵は日本画だった。お寺の門が描かれていて、渋い色合い。だけど、なんだか気高くて神々しい印象だった。母の手から、新聞を受け取って見ると、雨の後の風景と書いてあった

それが最初の出合いだった。機会があったら直に見てみたいと、思っていた。願いが叶っていざその絵を目の前にして、私は深呼吸した。雨の日に京都のお寺に行って、庭園の樹木が雨を吸って放つあの匂いを思い出したのだ。そして絵を見ていると気持ちが落ち着いてきた。次々に目の前に広がる、後藤純男の絵を直にみて、圧倒されて引き込まれそうになった。

犬吠崎の駅は御覧のとおりスペイン風、いやイタリアか?廃車になった車両のレストランがすごくかわいい。テラスは枕木を利用して作られていて、ガ−デニングを趣味とする人が欲しがりそうだ。
私たちは、そのデッキでコ−ヒ−を飲み、テイクアウトで究極のカレ−パンというのを買ったテラスでコ−ヒ−を頂いていると、このかわいい駅を通勤通学で利用している人がたくさんいて、朝は、やっぱり忙しいんだろうけどなんだかそれが想像しにくい。毎日の朝のドラマがここにもあるんだよね。

ここから、外川に行き、大好きな食堂でお昼を食べる今日のドライブはこの食堂でランチを食べるために来たと言ってもいい!
そのお気に入りの食堂で久々に舌鼓を打つ。
前回、ここに来た時は、閉まっていて腹ぺこで半泣きだったから嬉しさひとしおである

その食堂を後にした、車内では、なぜあんなに魚の煮物がうまいのかという会話で盛り上がり、来た道を銚子に戻る

途中、君が浜で車を止めて、主人は昼寝、私は海岸を散歩した。
海を見ながら、海岸を歩く。
海を見ながら、いろいろな事をゆっくり考える。
過去のことや、未来のこと。
こうして、ひとりきりになる時間がもてるのも、とってもいい。

その後、銚子漁港にある「ウォッセ21」という水産物販売センタ−でさつま揚げの1000円セットを買う。このさつま揚げが絶品なのだ。熱々に焼いて、生姜醤油にちょっと付けて食べる、でビ−ルをゴクゴク、プハ−とするのがたまらない・・・。

そこから帰路につく。

途中、東庄町というところでいちご狩りをした。町に入ると、道路沿いに、「いちご販売所」と「いちご狩りができます」という看板が点々と続いている。どこでいちご狩りをしようか迷っていたんだけど主人が、妙ないちごのオブジェの店を見つけてそこに入ることにする。販売所に入ると、いちご狩りのビニ−ルハウスまでの地図を渡された。そこまで車を飛ばし着いたビニ−ルハウスのいちごは、土で育てられているのじゃなくて水耕栽培とういうやつ。いちごのなっている位置が高いので、車椅子でも入れるそうだ。
酸っぱいのが苦手な
主人だが、ここの
いちごはそんなに
酸っぱくなくて、
いちご狩り
初体験の主人は、
子供のように目を輝かせ
ていちごを頬張った

満腹で、ビニ−ル
ハウスを後にして、
あとは家に帰るだけ
ビ−ルが楽しみだなぁ