つれづれ日記
7月編星野富弘美術館(98.7.26)
「もしかしたら,失うことと,与えられることは,となり同志なのかもしれません。」(星野富弘)
美術館に入ってすぐこのことばと出会った。星野富弘さんの美術館を訪ねるのはこれで2回目。前回は2年前の職員旅行だった。あの時も時が経つのを忘れるぐらい感動したが,今回も感動した。あたり前のことがあたり前でなくなった時,人ははっとする。普段見えなかったものが見えるようになる。それは星野さんならずともみんな同じだと思う。平凡な日常が,特別な一日を作る。その日常を支えてくれている人たちへの感謝の気持ちを,忘れていた・・・。
私が初めて先生になった年,4年生の女の子が富弘さんの詩を教えてくれた。
さっちゃんという詩を書くのも本を読むのも大好きな子だった。15年前の秋の日。彼女は「神様がたった一度だけ このうでを動かしてくださるとしたら・・・」という「ぺんぺん草」の詩を日記に書きつづった。あれ以来,私も星野さんに魅せられて,彼の詩を子どもたちと幾度となく読んできた。富弘美術館に行く道の途中に「杲(ひので)小学校」という小学校があった。おもしろい名前だなと思っていたら,そこが富弘さんの母校だった。せっかく東村に来たのだから,このあたりを歩いてみようと思って受付の人に話を伺うと,マップをくださって,大滝をすすめてくれた。
大滝は名前の通り,大きかった。96mの高さから,たたきつけるように落ちる水には殺意さえ感じた。「すんげえ!」「すんごい!」そんな声しか出なかった。すごいのは滝だけではない。滝に行くまでのつり橋もまたすごいのだ。長さ50m以上傾斜44%。これはこわい。大人でも足がすくむ。でも,三日月のすべり台のようなつり橋をうちの子たちは軽やかにおりていった。娘達は滝をみるだけではあきたらず,小中川の渓流で遊び始めた。その冷たさは雪解け水の冷たさに似ていた。でも,そこで哀しい光景を見てしまった。アウトドア。それはいい。うちもバーベキューは好きだ。でも清流で,洗剤をつかうようなことは間違ってもしない。これからやきそばでも焼くのだろう。向こう岸でおじさんが,鉄板をごしごしと金属たわしとママ***のような洗剤を使って洗っていたのである。「あのう洗剤は使わない方がいいんじゃないでしょうか。」そう大声で叫べばよかったかもしれない。「ああぁぁぁ。」とため息をついていないで。
帰りに,水沼駅を通りかかったら,「駅が温泉」という文字が目に入った。そういうのに目がない私は,さっそく家族に提案。駅=温泉につかって帰ることにした。大人500円幼児300円だった。河童風呂には入りそびれたけれど,サウナも露天風呂もあって,満足満足。富弘美術館だけのつもりが「大滝」「温泉」とおまけがついた。秋の紅葉の時期,ねらいめだ。みなさん,混むからいかないでね!
春樹。杉山春樹。日刊スポーツを読んでいたら,彼の名前がそこにあった。「どこかできいたような・・・。まさか・・・。」そのまさかだった。前,年賀状で「先生,ぼくは甲子園をめざします。」ときっぱりと宣言していた彼のことばがよぎった。彼はいつのまにか,ネット裏にプロのスカウトにスピードガンを持たせる男になっていたのだ。
彼を受け持ったのは,私が初めて前の学校に赴任した年だった。歌がうまくって,「さよなら友よ」をEmiちゃんとハモらせるともうぞくぞくもんだった。彼の描いた自転車と川の風景も,みんなでおふろに入っている宿泊学習の版画の作品も,少年野球で優勝した思い出の版画もみんなすばらしかった。そのうえ,やさしくてひょうきんな彼はつねにクラスの人気者だった。そんな彼がしっかりと夢を追いかけている。それだけでもうれしかった。
雨で一日流れた今日。土浦日大との試合があった。私はほかの用事をキャンセルして,球場へ向かった。バックネット裏に行こうとした時,当時より30cmぐらい空に近づいた彼が現れた。しばらくすると,目線があった。「あっこんにちは。」彼は笑顔であいさつしてくれた。京都で
高校女子駅伝を走った友美さんを応援した時にも出会った昔の顔がそこにあった。「応援にきたよ。落ち着いてやれよ!」そう声かけてバックネット裏にあがった。緊張した。こんなに自分がどきどきしてどうするんだというぐらい。中学校の先生の顔もあった。ジャイアンツの帽子をかぶった人がスピードガンをとりだしている。あの試合開始のサイレンがなって,試合は始まった。春樹君の球は荒れていた。でも速かった。「今の球は140kmだってよ。」隣でラジオを聞いているおじさんが話しかけてきた。春樹君は回を追うごとに落ち着いてきた。5回は三者連続三振を奪い,スコアも4−0。これは楽勝かとおもった時,アクシデントが起こった。相手の鋭い打球が春樹君の胸を直撃したのだ。以前江川投手がピッチャーライナーを腹に見舞ったが,あんな感じだった。一瞬の静寂。春樹大丈夫か・・・。春樹君は胸をおさえ,少しうずくまり加減だったが・・・,ピッチングを再開した。しかし,彼はそれからリズムを崩してしまった。彼の良さは,速球とリズム。彼はフォアボールなどで得点を奪われ,4−4に追いつかれてしまった。私はいてもたってもいられず,竜ヶ崎一高に近いベンチ裏に移動した。今度の席のとなりでは女子高生が涙を浮かべて祈っていた。毎年夏の風物詩となる光景がここにもあった。熱いのは甲子園だけじゃない。予選から負けたチームはそこで夢がついえる。熱いのは予選だって同じなのだ。彼は立ち直った。延長10回。ひやっとした場面があった。でもそこをしのぎ,12回13回と回はすすんでいった。こんなに投げたら次の試合は大丈夫だろうか。彼に勝たせてあげたい。でもその気持ちと相反する気持ちも生まれた。彼をもう休ませてあげたい・・・。闘っている教え子を見て,「がんばれ!」という気持ちと「もうここまでやればいいよ。ご苦労さん。」という気持ちが入り乱れた。延長15回。竜ヶ崎一高は1点をもぎとった。春樹君もベンチもスタンドも沸きに沸いた。「春樹,たのむぞ!」自然と叫んでいた。
春樹君は大粒の涙を流していた。彼だけではない。ナインがその日バッターボックスにたてなかった部員が,スタンドで応援していた部員も,ナインのお母さんも,元担任もみんな涙を流した。「サヨナラ負け」だった。「よくやったぞ。竜一。よくやったぞ,春樹!」そんな叫びも声にならなかった。こうして春樹の夏が終わった。
試合終了後,春樹君には会わなかった。お母さんに「来てよかったです。こんなかっこいい春樹に会えてよかったです。」そう話して球場を後にした。
春樹君,ありがとう。
おみやげ(98.7.21)
「はるね,このおはしりょこうにもっていくんだ。」「私は,学校に持っていく。」二人はそう言ってスキップして歩いていた。何のことはない。名前とかわいい絵の入ったお箸をおみやげに買っただけなのに,娘達は大喜びしている。子どもっていいなあと思う。ちょっとしたことでも喜ぶことができて,幸せがすぐそばに転がっていて。
以前テレビドラマの「金八先生」で,先生がおみやげにかってくれたおまんじゅうを生徒のひとりが「嫌いだから」といってゴミ箱に捨てるシーンがあった。それを金八先生が猛烈に怒る。「捨てるんなら自分の家に捨てなさい。それがマナーだ。」と。おみやげを買うたび,おみやげをもらうたびそのシーンを思い出す。二人の娘達へ・・・どんな小さな贈り物でも,贈ってくれた人の心を大切に思うことができる子であってほしい。
ライン下り(98.7.20)
今日のメインは鬼怒川ライン下り。昨夜,「エアフォースワン」のビデオを見た後,子どものように怪談話をしていたから眠くて仕方がない。でも,ライン下りは眠気覚ましには最適だった。我々の船は先頭の船。シャツ姿の船頭さんは「ハッピ来ているのは正社員,後はアルバイト!」なんて言って笑わせてくれるけど,いかにもベテランという風貌だ。いやあ楽しかった。先生というのはだいたいいい人が多い。だから人の話にはきちんと反応する。それを差し引いてもあまりあるほど,この船頭さんの語り口は見事だった。楽しいジョークの連続で笑っているうちにゴールに着いてしまった。もう少し,激流だともっと楽しかったかもしれない。
2日間の旅が終わった。心残りはバスの中で見た「ロミオとジュリエット」。クライマックスでバスを降りなくてはいけなかったから。いい旅だった。後味のいい旅だった。それはきっとこの職場の持つ「良さ」なんだと思う。昨日感じた初夏の風はいつも職場にもふいている。
戦場ヶ原(98.7.19)
戦場ヶ原。中学2年の時だった。宿泊学習のコース別学習で,男体山コースと戦場ヶ原コースがあって,我らバスケ仲間たちは「戦場ヶ原でのんびり野球でもやろうぜ。」なんて軟弱コースを選んだ。もちろん戦場ヶ原の中で野球なんてできなかったんだけど。今日,職員旅行でその戦場ヶ原を訪ねた。20年以上ぶりだ。「戦場」と言っても,「男体山の大蛇と赤城山の何かの闘いで,血に染まったのが赤沼」だそうだ。たぶん中学の頃もこの説明はあったんだろう。でもすっかり記憶から消え去っていた。歩き始めたら,雲が晴れ,やわらかい日差しが差してきた。職員旅行は観光地をバスで巡ることが多いけど,こんな風に歩くことがメインなのはうれしくてたまらない。白樺林を抜ける風は初夏の風。家族でも歩きたい。竜頭の滝〜戦場ヶ原〜湯滝への散歩道。
はじめての通知票(98.7.18)
娘が初めての通知票をもらってきた。何と防災頭巾に包んで帰ってきたらしい。親としては,「はじめての通知票」ということで特別な思いがあったが,当の本人はなんてことない。涼しい顔をしている。教科ごとにいくつかの項目(指導要録に準じた)に分かれ,◎○△の3段階で評価されていた。自分もつける立場でもあるんだけど,何かぴんとこない。今度は生活面を見てみた。これも指導要録に準じて「責任感」とか「自主性」とか項目に分かれ,十分に到達しているもの(際だっていいもの)に○がついている。これは昔からかわらない。先生の子どもに対する見方がよくわかる部分だ。ああ,うちの子はこういう部分を学校で見せているんだなと。次は肝心の総合所見を読んでみた。しっかりとよいところを拾い上げて書いてくれている。ありがとうございます。でも,全部読み終わったら,何か「こんなもんか」と思ってしまった。きっと私がクラスの子どもたちに渡している通知票も同じように「こんなもんか」と引き出しにしまわれているんだろうな,今頃。
今,通知票は当然のこと,指導要録でも本当のことは書かれなくなった。良い部分をすくいあげ,耳障りのいいことばをならべていることが多い指導要録開示の問題が騒がれたあたりからだ。残るものだから,それでいいと思うが,どこかの場面でホントのことも伝えてあげた方がいい。伝えてもらった方がいい。その方が子どものためになる。親のためにもなる。それがたとえ,一人の人間の一面的な評価にすぎないとしても。人間と人間がぶつかって,ふれあった中から生まれたことばだとしたら。
「北の国から’98時代」(98.7.12)
一夜あけても昨夜の余韻が残っている。軽い頭痛とともに。草太兄ちゃんが亡くなった。草太兄ちゃんは時代に敏感に生きていただけだった。以前の草太兄ちゃんと同じだった。雪子さんに首っ丈になり,不器用な無茶な愛し方しかできなかった青年そのものだった。純君や螢ちゃんのを自分の弟妹のように心配し,愛していた。
合理的に生きるということは近道をすること。「麓郷に集まることはいい。でも歩いて来て欲しい。」そう倉本先生はおっしゃっていた。自動車で出かけて行って,「ここが富良野か。麓郷か。」と記念写真をぱちりと撮る旅行は旅ではない。長い道のりを雪や雨にうたれながら歩いて行くから,そこに住む人や動物,植物達の息づかいが伝わってくるんだと思う。生きることも同じだ。2つの道があった時,わざわざ茨の道を選ぶ人は少ない。でも黒板五郎さんは違う。わざわざ茨の道を選ぶ。それが自分自身の感性にマッチしているからだろうが・・・。自分なんかはいつも楽な近道を選んでしまう。その生活には大きな感動も,体温のぬくもりが感じられるふれあいも得られないのに。
今回の五郎さんは大きかった。大地のような愛がそこにあった。その愛にふれ,螢ちゃんは自然と昔のあどけない螢ちゃんに戻っていった。お父さんの胸にお母さんの写真を発見した純君の表情も良かった。父を包む深くやさしい眼がそこにあった。
草太にいちゃんのテープにふきこまれたスピーチから―――初めて電気が水が黒板家にやってきた場面。螢ちゃんがお母さんが乗った列車を,恋人が乗った列車を,麓郷を去るお兄ちゃんが乗ったトラックを追いかける場面。すべての場面が自分の家で起こった出来事のように愛おしくなつかしく思い出され,涙が止まらなかった。
この感動を心の奥にしまっておきたい。いや,体の隅々にいきわたらせたい。壁にぶちあたっても,絶対生き抜いてやる。そんな思いにさせるドラマだった。生きることは,本当に大切にすべきものを大切にする,そのための闘いなのかもしれない。
今はただ・・・(98.7.11)
今はただ,倉本先生に感謝したい。
そして,家族が,ふたりの娘が限りなくいとおしい。今,寝息をたてて眠っている娘達が・・・。
満願(98.7.10)
ずっとこの日を待っていた。でもこの日が近づくにつれ,時間の速度をゆるめたいような,逃げ出したいようなそんな気持ちに襲われた。8時3分・・・。ごくん。固唾を飲む音。
「あーあーあああああーあ」の音楽にのせて,富良野の風景がぱっと開けた。それは,昔,ずっと昔好きだった人に再会できた瞬間に似ていた。今回も五郎さんが良かった。「人に喜んでもらえるってことは金ではかえない。」そのセリフが良かった。草太にいちゃんが牧場の仕事をいくら誘っても,ゴミ回収にこだわり続ける純君はお父さんと同じ「こだわり」を持ち始めている。純君はどんどんお父さんに似てきている。自分も同じだ。あんな親父にだけは絶対なるまいと思って,青春時代反抗に反抗を続けたのに,最近の自分は親父と同じことを言っていたり,やっていたりする。純君も「お礼のことばが,くじけそうになる気持ちを救う。」と言っていた。そうなのだ。何気ないひとことが自分を支えている。まだ会ったこともない人の何気ないひとことに救われていたりする。
シュウちゃんも螢ちゃんもきれいだった。ふたりの声のか細さと目の潤みだけでも,ひきこまれていった。哀しい恋にやぶれた女性を見事なまでに演じていた螢ちゃんは,まさに子どもの頃の螢ちゃんとは別人だった。
今日の一番の場面は正吉君が五郎さんに結婚の許可を受けようとした場面だ。お父さんの号泣。複雑な気持ちを喜びにかえるかのような号泣。今まで我慢してきたものすべてが流れていくようなそんな号泣だった。純君の「思い切り泣いてください。」のナレーションがまた泣かせる。でもそれ以上に,どんな顔をしていいかわからない螢ちゃんの涙が切なかった。生きるってことは,苦い。ほろ苦い。お父さん,正吉君, 純君のやさしさが沁みれば沁みるほど,螢ちゃんはつらい。
***後編も楽しみだ***
再会(98.7.9)
ひょんなことがあって,以前の職場の仲間達と再会した。会った瞬間に昔の感覚でつきあえるから不思議だ。彼らは仲間であり,同志でもある。しんどい時も一緒に乗り越えてきたし,職場のために言いにくいことも言ってきた。3人で「やさしさ」について話をした。3人とも自分のやり方を弁護するかのように「きびしさに裏打ちさせるやさしさじゃないとやさしさじゃない。」と声をそろえて言った。先生になりたての頃は,子どもに好かれたいから,子どもを甘やかすことが「やさしさ」と勘違いしてしまうことがある。子どもの目にうつる自分を愛していても始まらない。私も子どもたちに嫌われるのが怖かった時があった。子どもや保護者からの評価ばかり優先させてしまうと,同僚との関係がぎくしゃくしてしまう場合だってある。本当に子どもをよくしようと思ったら,教師間の連携,チームワークが必要だと思う。しっかり意見をたたかわせて。
空回り(98.7.8)
こんな一日もある。いくら「雨降って地固まる」といっても、私にも子どもたちにもきつい一日だった。暑さと私の気持ちの空回りがきっと原因。重い。とっても重い。
救いは彼らの立ち直りが早いこと。子どもたちのように切り替えチャンネルが欲しいな。
夜電話があって、友人と話をした。学校や教師に対して批判的な保護者は多い。でも、両者とも子どもを良い方向に導きたい気持ちは同じである。集団の中で子どもを見ているから、配慮の足りない部分は出てくる。互いが正面切ってやりあうのでなく肩を並べて相談できたらいいなと思う。感情的になっている相手には受け入れてもらえないだろうけど。
左利きに朗報(98.7.7)
うちには,な,なんと3人左利きがいる。4分の3だから,75%が左利きだ。えんぴつとおはしだけは右の方がいいだろうと,素人判断であすかは矯正したが,はるなの時には,親も「まっ,いいか。」と思うようになって,そのままにしていた。ところがところが,字を書き始めたら,どうも鏡文字になってしまう。どうしようかと迷っていたら・・・「たけしの万物創世記」で左利きの特集をやっていた。
右脳と左脳の働きが違うことは以前に本を読んだことがある。左脳はことばや知識,右脳は音楽や芸術,立体の把握力に関係があるという。左利きの人の場合,右脳が優位なため,芸術家タイプの人が多いとも言っていた。それを知って,単純な父親はにやにや喜んでしまったが,何よりほっとしたのは,左利きは無理になおさなくていいということだった。「じゃあ,はるはこのままでいいか。」親としてもありがたい情報だった。もちろんこの情報が正しいかどうかははっきりとはわからない。でもちょっと安心した。
さあ,クラシックを聴いて,右脳を刺激しよう。そして,創造性も高めよう。え?単純すぎる?え?今からじゃ遅い?
何気ないひとことが(98.7.6)
何気ないひとことが人をあらわす。フロイトが「言い間違えは偶然じゃない。欲求や願望がそこから読みとれる」というようなことを言ったが,その通りだと思う。何気ないひとことに人の考え,人生観?が反映されているなと思うことが多い。新しい人間関係の中に身を置いているから,そういう何気ないことばにはより敏感になる。今日,うれしいことばに出会った。「やりましょうか。」と私が言ったら「そうだね。やりましょう。」とひとつ返事で返ってきた。笑顔つきで。動かなくちゃいけない時,自分の仕事を後回しにして,さっと手伝える人はなかなかいない。見習わなくっちゃ。
七夕様を信じてる?(98.7.5)
「ねえ,あーちゃん,七夕様を信じている?」「うん,信じているよ。」
うちの娘達は七夕様を神様かなにかのように思っている。願い事をすればきっとかなうと信じている。今日はディズニーランドに出かけた。ディズニーランドに入ると,以前はクリスマスツリーがあった所に,願い事がたくさんつるされていた。ミッキーマウスをかたどった短冊が,色鮮やかに。「彼とこれからもいっしょにいられますように。」「これからも幸せに暮らせますように。」「25m泳げますように。」と。一番笑えたのは,「阪神タイガースが優勝できますように。(現在最下位)」阪神ファンはホントにおもしろい!負けていても何かゆとりを感じる。でもこればかりはいくら七夕様といえども無理だろう。
15周年記念ということで,4シーズンチケットを買ったら,記念のチケットホルダーがついてきた。「これなら車の中でけんかすることなかったね。」とホルダー忘れも帳消しになった。TDLはいつもにも増して混雑していた。パレードをするお姉さん達の顔も,陣取りをしているお父さん達の顔もみな汗で光っていた。「もっといたいよう!」と子どもたちはさわいだけれど,今日は5時頃パークをあとにした。親父はつらいよ!
学校と家庭のずれ(98.7.4)
「学校では元気なんですけどね。」よく耳にすることばだ。子どもは学校では,もっと正確に言えば,先生の前では無意識に違う自分を見せている。評価されたい自分を。元気な自分を演じることだってある。だから先生にには子どもの真の姿がわからないことが多い。シールやがんばり表等で子どもたちをせき立てる時はなおさらである。自分の子が小学校に行くようになって,いろいろわかったことがある。学校の価値観とか先生の価値観に染まったり,ふりまわされる必要はない。それぞれの家庭が自分の家庭の色を大切にしながら,接点を見つけたり,ちがいを明らかにしていけばいい。
評価:多面的に評価するか。あまり評価の目で子どもたちをみないようにするか。どちらかが教師には必要だと思う。いろんなものさしを持ちたいな。
こくられました(98.7.3)
卒業生から手紙があった。すぐに封を切って読んでいくと,「こくられました」ということばが飛び込んできた。こくられた?「こく」=「酷」という連想が頭をよぎり,どんな酷な目にあっているのか,心配で読みすすめていくと・・・わかった。「こく」は「酷」ではなく「告」であった。な,なんと異性から告白された話だった。そういえば,先日も男の子が電話してきて,「**ちゃんが告白されました。」とうれしそうに話していた。
自分も中学校に入って,本格的に異性に興味をもった。でも,中学校1年の終わり頃からずっとあこがれていた女の子がいたが,告白にいたるまで2年近くの月日が必要だった。わすれもしない10月のある日。はじめて好きな子と話をした。ふたりっきりで。その日の記憶は今でも鮮明だ。ちょっとした会話のディテールまで再現できる。彼らも,そんな年になったか。人生で一番感じやすく一番すてきな時代に突入したんだな・・・。ちょっとうらやましい感じがする。「青春時代の真ん中は胸にとけさすことばかり」だとしても。
むかし子どもたちは(98.7.2)
さだまさしさんの歌に,「むかし子供達は」という曲がある。確かに,むかしの子供達は,既製のおもちゃがなくても,自然を遊び道具に変えてしまう発明家だった。少年時代を思い出すと,常に土があった。土のぬくみ,土のてざわり・・・。
今日,初めて「TVチャンピオン」という番組を見た。「プロモデル選手権」で優勝した作品は,買い物をした女の子が,ぬかるみに足をとられ,たまごやねぎを落として泣いているところに,おまわりさんがやさしく声をかけるシーンを造形化したものだった。作者は私と同じ年だった。むかしのこどもたちは,こどもだけでよく遊んでいた。子どもだけでよく買い物にもいった。縦の人間関係がそこに存在したから,大人が必要なかった。まわりの大人達に注意されることもあったし,やさしく声かけてもらったこともあった。人間への信頼感がそこにあった。
今の子どもたちのまわりには土も自然も残っている。でも,今の子たちに自分の郷愁をおしつけたくはない。テレビゲームにはハイパーヨーヨーにはどんな魅力があるのか,そこも知るのも悪くないと思う。高校の頃,「ブロック崩し」,大学の時,「インベーダー」にしっかりはまった私も,子どもだったら,きっとテレビゲームに夢中になるにちがいないから。今の子どもたちに同化しつつ,昔の遊びも伝えられたら,きっと子どもたちがより豊かになる。
がんばれ!今の子どもたち!!局の姿勢(98.7.1)
朝,ラジオを聞いていたら,テレ朝のニュース番組で,「自民党の一党独裁を許していいのでしょうか。」という発言が話題になっていた。「自民党の方々は,かちんかちんときているだろうが,それこそテレ朝の思うつぼ」とラジオのゲストは笑いながらコメントしていた。局の姿勢がニュースキャスターを通して,報道されるわけだろうが,あまりに露骨な気がするけど・・・。
今日の夕方のニュースもそうだった。日本代表の井原選手の生出演とあって,興味深く見ていたら,インタビューする人が「負けたのはFW(特に城選手)と岡田監督のさい配ミズのせい。」といわんばかりで不愉快だった。井原選手は冷静に「FWだってよく守ってくれた。全員で攻め,守っているのだから,FWのせいではない。」と答えていたが,不快に感じたに違いない。井原選手は,カズ選手と北沢選手がはずれた時,かなりショックだったという話をしていた。でも,ジャマイカ戦の前にカズ選手から中山選手に激励の電話があった話を聞いたら,なぜかほっとした。もしかしたら,2002年にドーハ組はひとりも代表に残れないかもしれない。でも,そのつなぎでもいい。ドーハ組が,日本のサッカー界をひっぱっていってほしい。私には今でも井原選手のあのロングシュートの残像が見える。