勝田フルマラソン完走記


2月11日(水) 
いよいよ勝田マラソンに挑戦する日が来た。背筋に走る悪寒に半ばあきれながら,「もう知らないよ。走って追い出してやる。」そう言い渡した。300kmを達成させてくれた靴を履いて電車に乗り込んだ。電車には「いかにも勝田マラソン」達がたくさん乗っていた。電車の中では「裏庭」という本に熱中した。その中で,服が血を流す場面が出てきた。「そうか,服から血が流れたら,ほっとけばいいのか。今までだってそんなことがあったし,これからもあるだろうから。要は中身なんだ。中身が傷ついていたら,今日走って修復すればいい。」そう思ったら,今までたれ込めていた暗雲が消え去った気がした。筑波山がはっきりと見えた。空は限りなく青い。だんだん見慣れた風景が広がっている。車窓から母校も見えた。屋上でぼんやり那珂川を眺めていたこと。現代国語のH先生のことなど思い出していた。彼は教科書を音読して,自分の話をするだけの授業をしていた名物おじいさん教師だった。受験に関係ない同じ話をくり返すので生徒にはすこぶる評判が悪かった。でも私はなぜか好きだった。
勝田駅には青春が転がっていた。中・高校時代の思い出が目を覚まして待っていた。2kmほどジョギングをしていたら,友人が声をかけてくれた。彼は今日が初マラソンだった。私は自信がなかった。高熱で倒れなければいいなと内心おびえていた。スタートした。リラックスしようとして,ラジオを耳に走った。船木選手の銀メダルを聞いて,「よし。」と気合いが入った。でも,あまりにリラックスしすぎて,最初の5kmが30分以上もかかってしまった。「旭化成の走りを思い出せ!」と自分に言い聞かせ,ピッチをあげた。耳からは西条秀樹の「ヤングマン」が流れてきて,NBAの試合が目に浮かんだ。マイケル・ジョーダンが高熱の時,ふらふらしながらシュートを決めまくったあの試合を思い出していた。中間地点までは約2時間かかったが,自分としてはいいリズムだと思った。バナナもスポーツドリンクもおいしかった。しかし,20km過ぎると様子が急変した。歩き始める人が目立ち始め,自分の足も急に重くなった。歩幅が極端に小さくなった。35kmまでその状態が続いた。しんどかったけど,応援してくれる生徒達の顔,ネットで知り合った仲間達のエール,家族を思い浮かべながら走った。歩きそうになった時,大きな力を与えてくれた。走っている間レモンが食べたくて仕方がなかった。沿道でレモンを見つけた時,レモンをわしづかみしている自分がいた。ボランティアの人たちみんなにお礼が言いたい気持ちでいっぱいだった。
35kmからは地獄の苦しみを味わった。お金を出して,こんな拷問にあうとは。自分で自分がおかしかった。あと7km,12月の31日を思い出していた。前日に雨の中31km走って,18km走ったあの日を。でもつらかった。こともあろうにそんな時,車が明日使えないことを思い出した。明日どうやって学校行こう。歩いていくしかないのか・・・。ショックだった。突然,さだまさしの「ひとりぼっちのダービー」という曲が頭の中で鳴り響いた。その曲は大きな勇気を与えてくれた。あと3km。赤信号がどれだけうれしかったことか。信号が青に変わるまでストレッチする気力もなかった。もうふりしぼっても何も出ないと思ったとき,「あと1km」の看板を見つけた。思わず涙がにじんだ。うれしかった。報われた気がした。最後の1kmはもったいなくてゴールについてほしくないくらいだった。あと,500m。沿道の声援も大きくなった。「やったゴールだ。」2年前は目の前が真っ白になって何もわからなかったけど,今日はうれしさがこみ上げてきた。時間は4時間44分。1回目よりわずかだけど,記録も上回った。ゴールでくつひもをといていると,「私,明日息子が受験なんだ。だから絶対完走したかったんだ。」そういうお母さんランナーの声が聞こえてきた。そうなんだ。みんな自分のためだけじゃない。大切な誰かのために走っている。もっと正確に言うなら,自分の中の「大切なもの」は何なのか確認するために走っている。そしてそれをこれからも大切にしていくために走っている。
ゴールには家族の姿はなかった。「5時間後に来てよ。」ということばを忠実に守ったらしい。家族を待つ間,無料で配られていた甘酒を飲んだ。おいしかった。思わず2杯飲んだ。手も足もびんびんしびれていたから余計においしかった。その後,ロボットになった体を無理矢理動かしてゴールで友人を待った。「35kmに魔物が住むと聞いていたけど,魔物は20kmにいたよ。」彼はさばさば語った。
家についたら,ある子からFAXが届いていた。「先生,フルマラソンご苦労様!ゆっくりお休みください。」と。走って良かった。

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