北の国から 

第3日目 

いよいよ最終日。みんな疲れが見え始め,なかなか起きられない。子どもたちも「コケココッコー,朝ですよ。」といういつもの元気がない。今日のプランは2つあった。1つは定山渓で温泉につかり,札幌でゆったりするコース。もうひとつは富良野コース。夜8時45分のフライトまでどう使うか決めることもなく,朝食を迎えた。時間的に遅くなってしまったので,富良野コースはなくなったかにみえた。
「あなたが決めて。」決定権を預けられた私は,「よし,富良野にする。」とあっさり決めた。札幌でさえ,最高気温がマイナス10度。富良野は積雪のニュース,マイナス10度以下は必至だった。もし,交通機関がストップしたら?の危惧もあったが,「北海道はそんなやわじゃないだろう。」と判断した。富良野に行っても,麓郷に行く時間はない。でも,「北時計」なら行ける。それに列車の旅をしたかった。
荷物をホテルから送り,身軽になった我々は駅に向かった。時々,雪の煙が舞い上がった。昨日買っておいた道内時刻表でお得なS切符を発見し,早速利用した。特急の自由席を利用できる往復割引切符だ。旭川までは早かった。砂川,深川,滝川と川のつく地名が続く。「車窓風景をもっと楽しみなよ。」私以外の3人はクールだった。「真っ白でずっと同じじゃない。」・・・。
旭川でオレンジカードを購入すると,くじがひけた。2人の娘がくじをひき,2人ともふくろうのキーホルダーがあたった。きっとはずれなしのくじなのだろう。2人は喜んで,自分のリュックにつけた。小さなことでも喜ぶことのできる「子ども」というものに,憧れすらおぼえた。それ以後,ふくろうも彼女達の遊び友達になった。
富良野線は結構混んでいた。地元の人が多く乗り込んでいた。美瑛で列車が切り離された。ラベンダーの季節はきっと混雑するのだろう。美瑛にモーツァルトの曲ばっかり流す喫茶店があるらしいので帰り寄ってみることにした。
富良野に着いた。ああ,あのほたちゃんがボーイフレンドと別れるシーンがよみがえる。駅でマップをもらい,北時計の位置を確認する。ちょっと歩いて行くには時間がないのでタクシーを利用する。ラッキーなことに女性運転手だった。気さくな方で,いろんな話をしてくれた。「これでも雪が少ないんですよ。」言っていた。1月に入って,やっと例年の雪が降ってきたという。間もなくして,ゆっくり時を刻む
「北時計」に着いた。
「北時計」は「北の国から秘密」で宮沢りえふんするシュウさんが自分の過去を純君に語る場面で使われた喫茶店だ。この喫茶店には,一度訪ねたことがあった。今日で2回目だった。スパゲッティーを注文し,ノートを開いた。自分が手にしたノートはちょうど100冊目のノートだった。北時計を訪れた人の思いがこのノートに綴られている。心が風邪をひいた人,ボーイフレンドとスキーに来た人,北海道をバイクでまわっているライダー,Jリーガー等々。そこに何の変哲もないうちの家族も書き込みをした。子どもたちは大好きなポケモンの絵を書いて,「もっと書きたい」と駄々をこねる。その店には「北の国から」の写真集が置いてあった。倉本聰さんの本もいくつかあった。私は
「ニングル」(\1300理論社)という本を手にした。この本は北のMLでも流れていた本だ。「ニングル」というのは森の番人のこびとさん。そのこびととのふれあいを描いて,森を守ろうというメッセージを送っている本だ。
読み進めているうちに本当に「ニングル」が富良野の森にいるような気がしてきた。200歳以上生きる「ニングル」は人間とは持っている時間がちがう。木を育て,生き物を育む水をいうものをもっと大切にし,自然に逆らわず,共存する方法を模索しなくてはいけないなと,そんなことを思った。「真駒内」などの「内」は底の深く流れを変えない川,「石狩別」などの「別」は底が浅く流れを変える川だという話も興味深かった。地名の由来にも昔の人の知恵が凝縮しているんだと思った。
美瑛で降りた。美瑛には「モーツァルト」はなかった。その変わりに,マイナス10度をかなり下まわったと思われる街を徘徊した。子どもたちは「もう雪はこりごり。耳が痛いよう。」と言った。こんな寒さを体験するのは私も初めてだ。早く駅の待合室に逃げ込みたかった。美瑛駅はきれいにライトアップされていた。部分的に雪化粧した列車がもうホームに待っていた。この列車に乗り込んだら,もう旅が終わると思うと,さびしかった。その頃,北海道の航空便欠航中なんてニュースが流れたことなどつゆ知らず・・・。これは後でわかったことだが,「モーツァルト」は美馬牛駅のそばだったらしい。(完)

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