鶴見線営業所10周年記念イベント報告
2000年6月10日(土) 
JR鶴見線 鶴見線営業所
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  鶴見線営業所に集った展示車両

  手前より  EF58−61号機
         103系電車3連
         101系電車2連

 

 さて、早速会場には行ってみる事にしましょうか?  会場には、先程到着した101系電車がヘッドマークを着け

たまま展示され、その隣にはカナリア色の103系が展示されていた。 一方103系の隣には、田端機関区からや

ってきた「ロイヤルエンジン」ことEF58−61が、「踊り子」ヘッドマークをつけて展示されていた。 やはりここでは、

EF58−61+「踊り子」ヘッドマークが1番人気である様だ。 また場内では、なつかしの「いい日旅立ち」(歌:山口

百恵)が流れ、「いかにも国鉄」といった雰囲気になっていた。

 

 続いて奥の展示車両を覗いて見ると、中原電車区から運ばれた事業用車のクモヤ145形が展示されていた。

普段見られない事業用車も、この時とばかりに観察するファンの姿も多く見られた。 またここでは、電車庫内に収

容されている103系も見られたのだが、この電車庫もかなり年季が入っており、今にもクモハ12形が飛び出してき

そうな錯覚に陥った・・・。

 

   (左)展示中の101系電車
    ヘッドマークが凛々しい

 

 (右)スイッチマルタイ車
    B−40UE形

 

 さてこの「鶴見線営業所」の主である103系電車であるが、最近どんどん減少傾向にある103系低窓車が、所属

全編成の「顔」を務めており、ある種注目を集める車輌でもある様だ。 また同じ低窓103系電車でも、正面ガラス

の押さえがHゴム方式であったり、金属の押さえによる「はめ込み式」だったりと、車輌ごとの差異も楽しめた。

103系低窓車は隣に展示された101系と共に、今後更に希少価値が高くなる電車であろう。 末永い活躍を祈り

たいところである。

 

 その101系と言えば、その後大量生産された「新性能電車」の元祖であり、国鉄初の「カルダン駆動」電車である

事は、皆さん良くご存知のことであろう。 現在では鶴見線のお隣の「南武線浜川崎支線」で走る他、譲渡車輌が秩

父鉄道に移り、元気に活躍している。 この101系は、国鉄形電車の標準的な考えである2Mユニット(モータ付き

の車両2両に、各種機器を分散配置する方法)を取っているが、当初「全電動車」方式を取ろうと計画されていた名

残があるので、改造なしで先頭車同士の2両編成が組める特徴がある。 ちなみに他の新性能電車では、改造車

や119系などを除き、3両または4両が最小単位の編成である。 こう言った特徴と、詰め込みの利く4扉ロングシ

ート車という特徴が小運転に最適なので、現在でも重宝されるのであろうか? その辺は、クモハ12形等と共通し

ているので面白い・・・。

 

   (左)クモヤ145形と
    架線検査自動車(ウニモグ)

 (右)鶴見線の主?である
    黄色い103系電車

 

 さて今日の目玉であるEF58−61を見てみよう。 ゴハチの61号機といえば皇室ご用達の機関車で、製造当初

から「お召し列車」牽引を主任務とした機関車である。 誕生以後今日まで、兄弟機60号機(国鉄時代に廃車)と共

に、数々の「お召し列車」牽引歴をもつ生粋の「茶ガマ」である。 こんな「お召し専用機」も電車の時代になり、お召

し電車クロ157形が登場したり、「皇室」の一般列車混乗が定着する様になると、臨時列車牽引が主な仕事となっ

てきた様である。 しかし一部の熱烈的ファン以外にも、広く一般のファンに親しまれる機関車で、日本で1番人気

のある「電気機関車」の一つであると言えよう。 そんな今日の61号機には「踊り子」のヘッドマークが輝いていた。

 

 さすがに「お召し専用機」と言うだけあって、戦後間もない製造でありながらも新車の様に輝く車体や、細かい所

まで施された装飾がの輝きが、「他とは違う」というオーラを放っている様に感じられた。 しかしそのオーラも関係

なしに子供たちは元気で、機関車によじ登る子供も

多数出現し、係員が慌てて注意する一幕もあった。

 

 また、一部のファンは「神聖な61号機に・・・。」

という嘆きの声を、漏らしていた様である。

とにかくこの機関車は、大変「人気の有る」機関車で

ある事を、改めて再認識してしまった。

 


 

 ところで「鉄道車輌」としての展示は以上でしたが、その他スイッチマルタイ車(バラスト(砂利)を突き固める作業

用車)や、軌道上も走れる架線検査自動車(メルセデスベンツ製 ウニモグ)が展示され、多くの目を引いていた。

また、高所作業車(愛称 きりん)や、電気レスキュー車などの保線用自動車も公開されていた。

 

   (左)転回作業中の
    「レールスター」    

 (右)活況を呈する
    鶴見線営業所構内

 

 一方その中で特に目を引いていたのは、自動軌道自転車(レールスター)ではないだろうか? これはトロッコの

の様な車体に、エンジンと簡単なボディー(FRP製?)を乗せた作業用車で、災害時等にすばやく線路の異常を点

検する為の車輌であると言う。 今日はこれに「試乗」出来るとあって、長蛇の列が出来ていた様であった。

その他、クモハ12形電車の懐かしい姿のビデオ放映や、特製グッツの抽選会が行われていた様でした。 しかし、

残念ながら私は抽選に漏れてしまいました。 どうやら「トロリー線」を利用した「文鎮」などが商品だった様である。

 

 さてこの辺で(13:00前)一回りをしたので、会場を後にした。 これから帰りの回送(EF58&クモヤ145)を撮

影するつもりでしたが、まだまだ十分に時間があるので、普段行かない「浜安善支線」沿線を歩いて見る事にした。

浜安善支線は旅客営業を行っていない為、殆ど一般に知られていませんが、れっきとした鶴見線の一支線である。

海芝浦支線が分岐する浅野駅の次に、「安善」駅と言う駅がある。 この駅も、付近の埋め立てに出資した安田善

次郎の「安」と「善」を取って名付けられている。 この安善から浜安善駅に伸びる路線が、「浜安善支線」である。

路線は全線非電化で、JR貨物のDE10形が貨物列車を牽いている様である。 なお私鉄だった戦前は、この路線

でも旅客輸送を行っていた様である。

 

   (左)浜安善駅舎

 (左)浜安善駅のヤード
    手前は油槽所への引込線

 

 沿線は石油各社の油槽所に混じり、米軍の油槽所が立ち並ぶ工業地帯で、至るところで専用線が工場内に引き

込まれていた。 なお途中で運河を橋梁で渡るのだが、この地点で遠くを眺めると、隣の「海芝浦支線」や

「大川支線」を見渡す事が出来た。 運河を渡ると小さいヤードが広がり、フレートライナー用の貨車が空荷のまま

留置されていた。 ちなみに、この辺の地名は「安善町」であり、油槽所の脇には「安善町共同防災センター」と書

かれた消防署が存在していた。

 

 さてしばらく行くと線路はやがてフェンスを潜り、油槽所の敷地内で終わっていた。 なおその手前には浜安善駅

の駅舎が現存していた。 内部は定期的に使われている様な感じもしたが、かなり放置されているらしく、未だに

「東京南鉄道管理局 浜安善駅」と駅名が書かれていた。(最近雑誌に載った様である。)

また、ツタなどの植物が生い茂っていた駅舎であった。 他にもプラットホームの跡?と思しきコンクリートの残骸も

確認出来た。 なお旅客輸送が有った頃は、「石油」駅と言う駅名だったと聞いた事がある。

 

 この浜安善支線の探索を終えた私は、その後EF58−61とクモヤ145形

の回送列車を撮影てし、帰宅の途についた。 なお移動の際にも、南武支線

の101系電車に乗る事が出来たが、相変わらず元気なモーター音を響かせ

て走っていた・・・。

 

 

 イベント終了後単機回送される
 EF58−61号機 (浅野駅付近)


 

 今日は鶴見在住の私にとって、久々に行われた近場のイベントであり、それを十分に楽しんでくる事ができた。

当日はあいにく曇りの天気でしたが、さすがにEF58‐61号機の威力は凄く、動員数を考えるとまずますの成功を

収めたイベントになった様である。 

 ところで皆さんは、鶴見線・南武線(浜川崎支線)付近は「工業地帯」という事で、余りパッとしない沿線風景を思い

浮かべるかも知れません。 ところが実際乗車してみると、以外と見どころの有る路線である事に気付くであろう。

また101・103系など、今後の動向が気になる車両が、元気に走っている点も注目値する路線である。

 

 あなたも、通称「都会の中のローカル線」と言われる鶴見線・南武支線沿線へ、今度の週末にでも気軽に訪れて

みては如何でしょうか?

− 終 −

 


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