試 乗 記 録 (特別編) 21世紀 「大乗り鉄ツアー」 取材期間 2000年12月31日(日)〜2001年1月4日(木) 全10ページ Pege 1 1日目(その1) 品川駅で発車を待つ 165系臨時大垣夜行
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2001年・・・。 とうとう夢に見た新世紀が我々の目の前にやってきた。 幼少の頃思い描いた未来は、もっと進
んでいた様な気がするのだが、実際現実に現れた21世紀は非常に現実的で、少々そっけないような気がするの
が、正直なところである。 しかしある意味では、まだまだ幼少の頃から好きだった物や、風景が現存している事実
もあり、私は複雑な心境でこの世紀越えを向かえた・・・。
そんな、20世紀から21世紀に向けての年越しと、新世紀最初の正月を、幼少の頃から好きだった国鉄型車両
の旅で過ごしてみました。 その旅行記を、今年3月一杯で廃止になる「下北交通」の撮影記も交えて、お送りした
いと思う・・・。
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大晦日の品川駅(1) (左) 品川を出る「パノラマエクス |
2000年12月31日 夜更けの品川駅。 ここから世紀を越える旅が始まる・・・。 まずは、165系急行型電車で
運転されている「臨時大垣夜行」で世紀を跨ぐ事にする。 なおこの世紀越えは、とある掲示板のオフ会として開催
されることになった為、S氏・M氏・F氏と同席した。
この日は夕方から品川駅にて「パノラマエクスプレスアルプス」を始め、山手線の装飾電車(20世紀と21世紀の
電飾HM付き)等を撮影して時を過ごしていた。 その後撮影の合間に、交替で駅そば屋(常盤軒)へ行き、年越し
そばを食した。 そうして過している内に、もう時計の針は23時を指していた。 いよいよ間もなく「臨時大垣夜行」
が入線してくる時間である。
23:20頃、品川駅東京方の田町電車区より、クハ165−122を先頭にした臨時大垣夜行が、ユックリと7番線に
入線してきた。 入線後早速乗車が始まったが、今日は大晦日とあってかそれ程乗客がいないため、普段の様に
混乱する事もなく乗車が完了した。 私達は最後尾の8号車に乗車した。
ちなみに8号車に充当されている車両は、とうとう全国で唯一の存在となった、湘南色・原型ライト車の165系先
頭車、クモハ165−108である。 さて発車は23:55分なので、まだまだ時間がある。 品川駅の臨時ホームを使
うだけあってか、昨今の夜行列車の割には発車前のゆとりがある。 そんな中、私達は撮影に興じたり、発車まで
の時間をユックリとボックスシートで過ごしていた・・・。
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大晦日の品川駅(2) (左) 山手線の205系装飾電車 |
やがて23:50分になり発車5分前となったのだが、ここで車内放送が流れた。 内容は「山手線で線路内侵入が
ありダイヤが乱れた関係で、接続を取る為に0時過ぎの発車になる・・・。」との事。 さすがに「走行中の165系車
内で年越しを・・・。」と目論んでいた我々は、少々ガッカリしてしまった。 しかし年明け直前に、10番線に入ってき
た「夢空間」を牽引していた機関車(EF65PF型)が、0時になった途端、ホイッスルを高々と鳴らして新世紀の幕開
けを告げてくれた。 この演出により、本当にいい雰囲気で新年を迎えることが出来た様である。 また「当てが外
れた。」と思っていた私達にとって、意外なプレゼントとなった。
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さて年が明け、2001年1月1日となった品川駅 を、大垣に向け165系電車が旅立っていった・・・。 さすがに遅延している為、いつもよりも飛ばし気味で 東海道を下っている様で、足元のMT54モーターの 唸りが逞しく聴こえて来る様でも有った。 やがて本 来のダイヤなら、21世紀を迎える筈の蒲田付近を 通過して、多摩川に掛かる六郷橋梁を渡っていた。 |
その頃私達は、品川で急遽富士までご一緒する事になったK氏と共に、鉄道談義に花を咲かしていた・・・。
やがて列車は横浜に到着していた。 横浜ではここで折り返すM氏が降車していく。 窓越しに手を振って別れる
と、また列車は走り出していた・・・。 車内では相変わらず鉄道談義に花が咲いていた。
そんな中、私達を乗せた165系電車は少しでも遅れを取り戻すべく、フルノッチで走行を続けていた。 この高速
性能には、もう誕生して30年以上も経った電車とは思えないものがあった。 乗り心地も、現在同線を走る211系
よりガッチリとした空気ばねの特性で、決して悪くない・・・。 確かにシートに関しては、時代遅れも否めませんが、
こう言った重厚感のある走りは、165系を始めとした国鉄優等列車用車両の優れた点なのだろう・・・。
さて列車は、相模川・酒匂川と立て続けに渡り、1:09分に小田原に到着していた。 ここまで各駅に停車してい
たのにも関わらず、なんと小田原到着時には、既に定刻通りのダイヤに乗って運転されていた。 やはり走りは未
だに一線級と言った所か? 余談だがこの列車は、1時間程遅れて発車した場合でも、最終的に豊橋発車時で定
時に戻るのが通例とか・・・。 これは浜松・豊橋での長時間停車がある事に付け加え、ダイヤ上も余裕のあるスジ
が引かれている為、165系クラスの電車が「本気」を出して走れば、遅延回復できると言う点があるからだろう。
165系 臨時大垣夜行 (9375M) 停車駅時刻表 (12年度冬臨運転時)
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さて小田原からは快速運転区間に入る為、次の停車駅は熱海になる。 熱海も定刻に到着し、ここでJR東日本
からJR東海エリアに足を進めていく・・・。 伊豆箱根の山並を貫通する丹那トンネルを抜けると、JR東海エリア内
最初の停車駅になる三島に到着していた。 三島を出ると次の沼津にも停車する。
沼津では通常、貨物列車2本を先行させるため暫く停車する。 私達はその時間を利用して編成の「バルブ撮影」
を始めた。 さすがに年末年始とあって、通過する筈の貨物列車が運休の為、非常に静かな駅構内であった。
なおこの沼津駅のホーム上屋は、昔懐かしい木製の柱で作られたものが現存しており、東海道線が御殿場周りだ
った当時の面影を残していた。 この木柱の上屋に165系の原型ライト車と言う組み合わせは、中々決まっていた
様である。
さてこの沼津を出ると次は富士である。 ここで上り「臨時大垣夜行」で折り返すK氏が下車した。 K氏との会話
では165・153系もさる事ながら、80系電車の話まで出てきて、かなり内容が濃いものだった。 私ももう少し早く
生まれて、80系電車の長大編成を見てみたかったと思った。 因みに、80系電車最後の地である飯田線沿線に
住むS氏にとっては、懐かしい話であった様である。
さて富士を過ぎた所で、我々も一眠りする事にした。 丁度上下の「臨時大垣夜行」がすれ違う所までは記憶があ
ったのだが、その後は寝てしまった様で、次に目を覚ました時には豊橋に到着していた。 この豊橋は30分程停車
する為、私は撮影を行ったり、駅前のコンビニで食料の調達を行っていた。 この豊橋は4:52分発である。
いよいよこの先は、始発電車として走り出す事となる・・・。
また走り出した車内で私は「うとうと」しながら、早朝の車窓を眺めていた。 まだまだこの時期は、5時台とはいえ
辺りは暗く、まだ夜であった。 やがて列車は中央線が接続する金山に到着していた。 金山では鮮やかな赤い名
鉄電車の姿も垣間見れた。 6:02分。定刻どおり名古屋駅に入線した。
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沼津に停車中の臨時大垣夜行 (左) 大垣方より撮影 (右) 東京方より撮影 |
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名古屋に停車中の臨時大垣夜行 (左) 東京方より撮影 (右) 大垣方より撮影 |
名古屋では、今冬の運転から長時間停車する様になった為、ここでも撮影を楽しむことが出来るようになった。
余談だが、従来は先行する「ムーンライトながら」を豊橋で追い抜いて、「臨時大垣夜行」の方が先に大垣に到着
するダイヤだった。 その為、大垣で接続する「普通網干行」に着席したい場合は、臨時の方が明らかに有利であ
った。 しかし、今回より名古屋での停車時間が増えた為、一旦追い抜いた「ながら」に逆に追い抜かれる運転形
態となっている。 また、大垣から先の接続も「ながら」に乗車しない限り、「普通網干行」に接続しないようになった
ので、この点も注意する必要がある。 但し「臨時大垣夜行」に接続する「臨時米原行」がある場合、「普通網干行」
を追い抜く「新快速」に米原で乗り換えることが出来る。
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さて、名古屋駅で数カット撮影している合間に、続行ダイヤで「ムーンライトながら」が到着したが、そのまた続行
ダイヤで、お座敷列車「やすらぎ」を使用した団体臨時列車が到着していた。 残念ながらこの列車の存在を忘れ
ていた私は、165系と「やすらぎ」の並びを撮ることが出来ず、少々悔しい思いをした。
この「やすらぎ」は、年越しのために企画された列車である。 これは僅かな停車時間の後、関西方面へ向け
発っていった。 その後、「ムーンライトながら」が発車する頃まで撮影を続け、その後車内に戻り発車を待った。
6:27分 定刻通り名古屋を発車した。
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(左) 夜明け前の車窓 (名古屋にて撮影) (右) 大垣に到着 大垣電車区に引上げる 臨時大垣夜行 |
走り出すと車窓はどんどん明るくなって、やがて岐阜に到着していた。この岐阜を過ぎると間もなく大垣である。
やがて揖斐川の鉄橋を渡り終えると、列車は大垣に到着していた。 大垣は2番線の到着である。
私達はこれから再度豊橋に戻り、飯田線の豊川稲荷初詣運転に充当される165系を撮影する事にした。