No.005 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道
165系急行「ちくま82号」(8802M) 長野 ⇒ 大阪
試乗日 2000年2月13日(日)
この野尻を出ると、長野県内最後の停車駅になる南木曽駅に停車する。 南木曽駅には、名古屋方面からやっ
て来た211系が停車しており、中央本線もいよいよ名古屋口に入ってきた事を実感した。
南木曽駅を過ぎると、木曽路の荒々しい山道とは違って、若干穏やかな田園風景が、車窓に展開するようになっ
てきた。 やがて県境を越え、岐阜県内最初の停車駅である、坂下に到着となる。 坂下を発車し、やがて落合川
のダム湖を過ぎると、もう間もなく中津川駅に到着する。
中津川といえば、古くから中央西線の拠点駅で、ほんの1年前までは、中央西線ローカル用の165系電車
(神領電車区所属車)が多数留置されていた。 しかし今では、最新型313系電車に占領され、跡形も無かった。
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(左)美しい木曽川の渓谷 (右)南木曽では211系電車と |
この中津川を発車すると、次は明知鉄道が分岐する恵那に停車する。 この辺りものどかな田園風景の中を、軽
やかなモーター音だけを残し、通り過ぎていく・・・。 本当に今日は、小春日和ののどかな日である。
沿線でカメラを構えるファンの方も、今日は良い写真が撮れたのだろうか?
やがて、明知鉄道のオーバークロスを過ぎ、その線路が左手側に寄り添ってくると、間もなく恵那である。
ここでも、相変わらずファンの数が多く、ホーム上に溢れていた。 恵那を発車すると、次は太多線が分岐する多治
見に到着する。 多治見でも、恵那同様にファンの数が多かった。 またここから乗車するファンの方も見られた。
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(左)恵那〜多治見間の車窓 (右)定光寺付近の車窓 |
多治見を発車すると、次の停車駅は愛知県内に入った千種である。 やがて列車は愛知環状鉄道が分岐する、
高蔵寺付近を通過していくが、この辺りに来ると、急に都市化した町並みが広がってきた。
もう既に名古屋近郊地域に突入したのである。 この付近では途中、中央西線の車両群の寝床である「神領電車
区」を横目に見る事が出来た。 383系や313系といった車両が留置され、つい最近まで大量にいた165系電車
は、面影すら確認する事が出来なかった。 そんな車窓を眺めている内に、列車は千種に到着していた。 千種の
後は、いよいよ名古屋に到着となる。
金山付近で、東海道線と名鉄線と併走するようになると、もう間もなく名古屋である。 名古屋は15:31分の到着
である。 隣のホームには、JR東海の新鋭313系電車が停車していた。 もちろんこの名古屋でも、ファンが大勢
で到着を待ちわびていた。
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(左)名古屋駅到着、隣には313系 電車が停車している (右)東海道本線上を110Km/hで |
名古屋からは中央本線に別れを告げ、東海道本線を一路大阪に向け、走っていく事になる。 しかし、次の停車
駅の尾張一宮までは旅客線を経由せず、併走する貨物線を通るという「臨時列車」らしいルートで走っていく。
そういった事があるのか、名古屋発車時点で1号車運転席後方は、多くのファン達によって占領されていた。
なお、名古屋出発時点の乗客数は約150人位で、乗車率は30%強となっていた。 ここでは若干乗客数が増えた
が、これは中央線名古屋口で、多数のファンが乗車した為であろう。
名古屋を発車し、貨物線に入った列車は、50〜60Km/h位のゆっくりとした速度で、貨物線を進んでいく。
やがて更にスピードが落ちたかと思うと、稲沢駅に到着していた。 稲沢駅といっても、貨物線上なのでホームなど
無く、構内の外れの様な場所に停車してしまった。 線路際の道を行く人達は、「なんで客を乗せた列車が、こんな
所に止まっているんだろうか?」といった顔つきで通り過ぎていった。
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やがて前方信号が青になると、また列車はゆっくりとした足取りで、貨物線を走り出した。 隣の旅客線(本線)で
は高速度で313系電車や、キハ85系特急「ひだ号」が次々に私達を追い抜いていった。
こうして、ゆっくりとした足取りで進んできた貨物線も、やがて旅客線をオーバークロスして、旅客線の海側に出て
来ると、いよいよ本線との合流地点に到着する。 それから程なく本線と合流したのだが、本線上の運行の遅れの
為か、少々遅れ気味の合流となった。 ここで本線に入った列車は、まるで正気を取り戻したかの様に走るのだ
が、先程の遅れを取り戻す事が出来ず、尾張一宮には少々遅着気味の到着となった。
尾張一宮からは、また急行らしい走りっぷりで、岐阜を目指し走っていく。 しかし結局、この区間では遅れを取り
戻す事が出来ずに、岐阜駅へと滑り込んだ。 しかし1分程度の遅れなので、今後の運行に、大きく影響する事は
無いだろう。 ここ岐阜では、ファンと思われる一団が下車した為、若干車内の様子が寂しくなってしまった。
しばらくの停車の後、定刻16:06分のところ、約1分遅れで岐阜駅を後にした。
岐阜駅を出ると、次の停車駅は大垣である。 この大垣到着時は、もう既に遅れを取り戻し、すっかり定時運行に
戻っていた。
大垣からはいよいよ、関ケ原を越える旅になるのだが、大垣〜関ケ原間は、主に優等列車と貨物列車が走行す
る勾配緩和線を走って行く事になる。 この区間では、大カーブを悠々と走っていく編成写真が撮れるとあってか、
大勢のファンが沿線に駆けつけていた。 そんなファン達を横目にしながらも、我々を乗せた165系電車は、さらに
上り勾配を登って行くのであった。
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(左)沿線には多くのファンが 詰め掛けていた。 (右)関ヶ原を越えると雄大な |
やがて、関ケ原駅付近で本線と合流したが、更に上り勾配は続いていた。 やがて関ケ原〜柏原間にあるサミッ
トを越えると、先程までの勾配が下り勾配に転じてきた。 あとは、北陸線接続駅の米原を目指すだけとなった。
これで正に文字通り「関ケ原の西側」に出たので、いよいよ関西地方に足を踏み入れた事になる。
列車は進み、雪を戴いた伊吹山が、車窓から眺められる様になってきた。 丁度西日を浴びて、美しい姿を見せ
ていた。 やがてその伊吹山が、車窓の後方に流れていくと、もう米原駅は目と鼻の先である。
16:56分、急行「ちくま82号、くろよん号」は米原駅に到着した。 ここからはJR西日本のエリアとなるので、
隣のホームには「アーバンネットワーク」を象徴する223系電車が停車していた。
2分停車の後、そんな最新型電車223系を横目にしながら米原駅を出発した。 この米原では運転手・車掌共に
交代した為、再度案内放送が行われていた。 米原の次は、近江鉄道と接続する彦根に停車する。
彦根を出発すると、次の停車駅の京都まで無停車で走行していく。 この時間になると、だんだん夕暮れが迫り、
きれいな夕焼け空の広がっていた。 そんな琵琶湖東岸を、快調に走りぬけていく・・・。
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(左)米原ではホームを挟み 223系電車と並んだ (右)夕暮れせまる旅路 |
さすがにJR西日本が誇る「アーバンネットワーク」区間に入っただけに、221・223系といった電車が頻繁にすれ
違っていく様になった。 また、途中で停車中だった167系団体臨時列車(大阪宮原区所属)を追い越した。 ここ
では 一瞬の出来事だったが、急行型電車同士の「追い越し・追い抜き」が実現していた。
やがて草津を過ぎると、京阪神を貫く複々線区間に突入した。 当然ながら我々「ちくま・くろよん」は、外側の「列
車線」を走って行く事となる。 やがて、滋賀県の県庁所在地である大津を通過し、山科トンネルに列車は入ってい
た。 このトンネルを抜けると、もう間もなく京都に到着である。
山科付近から電車線を走る221系電車と、「抜きつ・差されつ」を繰り返している内に、京都駅に到着していた。
時刻は17:54分、もう既に日は暮れ、辺りは暗闇に包まれていた。 なお、京都到着直前の乗客数は約130名
で、乗車率は約30%弱であった。
京都を出ると、次は新大阪に停車となる。 この区間は、後続する新快速の足を乱さない様に、110Km/h全開
で走り抜けていく。 日が暮れ、辺りが暗いのも手伝ってか、一段と流れる車窓が早く感じられる。
元々は優等列車用に、高速で長距離走行する事が使命だった165系電車にとって、正に本領発揮といった所だ
ろうか。 確かに、現代の新型車に比べると絶対的性能は劣るものの、それでも車齢を考えてみると、とても基本
設計が40年前の電車とは思えない走りである。 また、乗りごごちもフワフワした感じが無く、以外と良い。
こんな点を考えると、正に165系は名車であるといえるだろう。
こんな名車の走りを味わっている内に、列車は大阪府内に入っていた。 もう間もなく新大阪に到着となる。
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(左)17:54分、京都駅に到着 (右)電車線を走る221系と併走 |
新大阪まで到着すれば、いよいよ終点大阪は目と鼻の先である。 新大阪を発車し、最後の力走を見せながら
淀川の鉄橋を渡りきって行く。 やがて梅田の街並みと、大阪駅構内が見えてきた。
18:26分、定刻通りに急行「ちくま82号・くろよん号」は大阪駅4番線に到着した。 ここでも多くのファンがカメラ
を構え、到着を固唾を飲んで待っていた。 長野(南小谷)から丸1日、ひたすら走り抜けて来た165系急行型電車
の旅は、今ここで終焉を迎えた。
今日は1日ががりで、急行「ちくま82号」の旅と、165
系急行型電車の今だ衰えない走りを、十分に堪能して
みました。
大阪駅4番線に到着した急行
「ちくま82号・くろよん号」
性能・乗り心地もまだまだ一線級とも言える165系ですが、確実に淘汰の波が押し寄せています。 実際、今回
の運転が165系にとって、最後の急行運用になった可能性は大です。
しかしローカル運用や、臨時団体運用が続くものと思われるので、今後とも165系を始め「直流急行型電車」
の動向を、暖かく見守っていきたいものです。
最後に素晴らしい旅情と、思い出を提供してくれた165系急行型電車に敬意を表します。
− 終 −