試 乗 記 録 (特別編) 国鉄急行型車両を訪ねる旅 99年冬

取材期間 1999年11月25日(木)〜28日(

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11月28日() 4日目 (そのA)

 

 ここでは、12:20分新鹿発の普通が到着するまで撮影を行なった。 この後、Iさんは荷阪峠まで行くとの事なの

で、また便乗させてもらう事にした。

 

 私達の乗った車は峠を抜け、やがて長いトンネルに入っていた。 このトンネルは仮開通したばかりで、トンネル

内は、照明も何も点いていなく暗かった。 これはまるで鉄道トンネルの様だった。

 この峠を越えると、やがて国道26号線(熊野街道)に合流した。 なおもIさんの運転する車は進む、いきなり本格

的なドライブになってしまった。

 もちろん、途中の車窓はきれいだったので、まったく予定外の旅程も楽しいものだった。 やがて矢ノ川峠をトンネ

ルを抜け、尾鷲市内に入ってきた。 この後もドライブは続いた・・・。

 

 やがて、車は紀伊長島まで到達していた。 もう間もなく現場到着である。 時間は既に13時を過ぎており、まず

は遅くなった「昼飯」をコンビニで確保した。 あとは現場の荷阪峠に行くだけだ。

 

 荷阪峠は、紀勢線東側のハイライトといえる場所である。 ここでは峠

を越えるディーゼルカーの勇姿が、存分に撮影できる。 私はIさんの

案内で撮影ポイントに行き、撮影を行なった。

 

 ここでは、トンネルに挟まれた僅かな間を通過していくキハ58を、フィ

ルムに収める事が出来た。 この後は、2人で銀箱(カメラケース)に

腰かけて食事をした。 毎度の事ながら、銀箱は本当に役に立つ物であ

る。

 

紅葉の荷阪峠を越えるキハ58系

 

 

 続いて今度は、鉄橋を見渡せるポイントに案内してもらった。 ここは完全な「お立ち台」で、山道をしばらく徒歩で

登った所にあった。 ここでは、キハ85系「ワイドビュー南紀」と、キハ58系普通を撮影した。 非常に眺めの良い

所で、良い写真が撮れた様だ。 ただ、吹きっさらしなので、大変寒かった。

 

 

小名倉橋梁を越える列車たち 左:キハ85系「南紀」 右:キハ58系普通 

 

 車に戻ると、後は帰るだけだった。Iさんは、名阪国道経由で大阪に帰るとの事だったので、途中三瀬谷駅まで送

ってもらう事になった。 また日が暮れた三瀬谷駅で、バルブ撮影を行なう事にもなった。

 荷阪峠を車は颯爽と掛けぬけていく。 キハ58だったら、苦しそうに登っていく所であるが・・・。

やがて峠を越え、後は紀勢線に沿って山を下っていくだけだ。道路はあまり混んでおらず、また快適なドライブだ。

Iさんは走りながらも、要所要所で撮影地の説明をしていた。 もし今度訪れる時には、参考になると思った。

 やがて車は、三瀬谷駅に到達していた。駐車場に車を止めると、私達は構内に入っていった。 構内には丁度跨

線橋があり、ここから駅に到着する列車のバルブ撮影が出来るのである。 ここでは、18:09分に上下列車が交

換するので、これを撮影してみる事にする。 やはり日が暮れると、急に寒くなってきた。

 

 やがて時間になった。 少し遅れて上下列車が交換し

た。 その交換の様子を跨線橋上から撮影したが、どち

らも、国鉄色の車両が先頭だったので良かった。 

やがて撮影が終了する頃には、同時に大きなエンジンの

音を響かせて、上下列車が発車していった。

 

三瀬谷駅での列車交換

 

 

 撮影後機材を片付けると、今日1日お世話になったIさんにお礼をし、Iさんとここで別れた。 本当に今日1日、

ありがとうございました。 

 フィルムもとうとう無くなり、後は本当に帰るだけとなったが、まだ次の列車までは時間があった。 駅員さんの話

によると、19:10分発の普通多気行きは特急待ち合わせの為、18:53分頃に入線するとの事だった。

どうやら寒い駅構内で、待つ時間が短縮出来そうである。

 

 やがて到着時間になった、新宮方からキハ58+28の2両編成が入線してきた。 なお後ろのキハ28は、国鉄

色を身に纏っていた。 早速車内に荷物を置いて、ホーム上のキハ28を観察していたのだが、中々後からやってく

る「特急」がやって来なかった。 どうやら途中で鹿を跳ねたらしく、緊急停車中との事だった。

普通列車の車掌さんの話によると、良くある事との答えだった。

 なお保護動物の為、完全に死んでしまったら仕方がないとしても、もし息が有るようなら救護措置を取るために、

役場に連絡をいれる必要があるとの事だった。 結局、特急は5分以上遅れて到着した。 さらにそれが次駅を通

過するまで停車を強いられ、最終的には19:15分頃の発車となった。

 

 これで、紀勢線でのキハ58系乗車は最後になった。 この最後の旅の車内は、暖房が効いており暖かかった。

なお発車してしばらくすると、車掌が暖房の調節にやって来た。 調節バルブは、中央付近の座席の下にあった。

こんな所に有ったんだと、妙に感心してしまった。 このキハ58系の旅も、やがて多気に到着し終了した。 私は

名残惜しそうに、その車体を眺めていた。

 

 ここからは、キハ11系亀山行きに乗り換え亀山に向かう。 さすがに現代の気動車であるキハ11系は、キハ58

系に比べると、断然早い加速を見せてくれた。 途中、松阪に10分程停車したのだが、この時間を利用して、松坂

特産の松阪牛を使った「牛肉弁当」を購入した。

 なおこちらは、インターネット上の駅弁ランキングで第一位を取ったほか、TVでも取り上げられる等、大変人気の

有る駅弁との事である。

 

 車内に戻ると早速箸をつけてみたが、これは美味かった。 牛焼肉に特製のたれが載り、なんとも言えない味を

醸し出していた。 また「おかず」に付いていた「かまぼこ」も美味かった。

 こうして舌鼓を打っている間に、またキハ11は動き出していた。 そしていよいよ21:07分、亀山に到着した。

これでようやく紀井半島を一周した訳である。

 

 亀山からは、213系の普通電車に乗り名古屋を目指すが、やはり日曜日の夜なので乗客が少なかった。

名古屋には22:28分に到着した。 次はいよいよ「ムーンライトながら」で、横浜を目指すだけとなった。

 なお、名古屋駅での待ち時間の間に、立て続けに九州ブルートレインが到着していた。 ここでは12月4日改正

で、併結運転に変更される「さくら」「はやぶさ」が、それぞれ最後の姿を見せていた。 やはり、ホームの先端には

ファンの姿が見られた。 私は既にフィルムを使い果たしてしまったので、ただ眺めているだけだった。

 

 やがて大垣始発の「ムーンライトながら」が入線して来た。 そそくさと車内に乗り込むと、座席に座った。 

明日はいよいよ仕事である、それを考えると少し億劫になってきた。 でも「この仕事があるからこそ、旅が楽しくな

るのだ。」と思い直した。 やがてまぶたが重たくなってきたので、私は明日の事を考えて睡眠を取る事にした。

 気が付いたら、もう既に神奈川県内を走行していた。 だいたい平塚付近を走行しているようだった。 ここまで来

ると後はもう少しだ。 大船からは各駅停車になり、戸塚に停車した後はいよいよ横浜である。

 

 11月29日4:16分、とうとう早朝の横浜駅に到着した。 これで、今回の旅も終わりだ。

今日はもう、仕事が待っている。 ここから私は会社に直行する事にした。 今なら会社で一休み出来そうである。

(注: 会社に行けばシャワーと、仮眠スペースだけは確保できるので。) 

 私は動き出した京浜東北線に乗り換えていた・・・。

 


エピローグ

 

 今回の旅も大変慌しい旅?だった様な気がします。 でも、一部観光を加えた充実した内容になった様である。

また、引退が真近に迫った「国鉄急行型車両」の勇姿に感動し、その走りに「往時の面影」を感じた汽車旅になった

と思います。

 1990年代は間もなく終焉を迎えます。 来る新時代はどんな旅をしているのだろうか・・・?

そんな新時代の旅に思いを馳せながら、今回の報告を終えたいと思う。 

最後にですが、この旅の要所要所でお世話になった皆さん、大変ありがとうございました。

 

− 終 −

 

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