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◇神人の心得◇

◎神人の心得

これの天地金乃神様、生神金光大神様の御前に参来拝む人等に宣り白す。
天地金乃神様は万物の命を育みてある親神様であり、人間はみな親神様から人体を受け、霊を分けていただき、日々天地の調えてくださる食物をいただいて命をつないでいる神の氏子である。
生きている間も死んだ後も天と地はわが住みかである。
生きても死んでも天地のお世話になることを悟れ。
人間は、おかげの中に生かされて生きているのである。
おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである。
神様に無駄事はなし。
天地金乃神様は生きたる神様であり、御無礼お粗末は神様のお気障り、万象一切、人の力をもって防ぐことかなわず。
また、おかげの大きこともかくのごとし。
神様からは逃げても逃げ得られず、明いた時があれば、ふさがりが来るは道理なり。
洗い物、汚れ物、不浄になる物は、この所自由を免じてくだされとご無礼をお断りし、信心して自由勝手にさしてもらうのが、よほど安心ではないか。
清き所も汚き所もへだてなく天地金乃神様はお守りあるぞ。
わが心に不浄を犯すな。
普請作事、何によらず、方角日柄は勝手しだい、何病気にも毒忌みなし。
氏子が素直になりて親神様にお守り願えば、何のお叱りがあろうか守ってやる。
その理を悟りて報恩感謝で信心する人は、めぐりを取り払ってもらっているのであるが、信心せずご無礼お粗末に暮らす人は、めぐりを積んでいるのである。
起こる諸難は我が身のめぐりであり神様のお叱りあるは道理なり。
生神金光大神様の御取次をもって天地金乃神様に不浄のある時は先に断りて、願いあることをたのめよ。
断りなくば神様のお気障りあって然る可しと心得よ。
神様を拝礼するのに別に決まりはない。
実意丁寧正直、真一心がかなめである。
神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ。
信心とは、わが身わが心が神に向かうのを信心というのである。
神徳の中におっても、氏子に信心なければおかげはなし。
信心はわが心の改まりが大切である。
信心させていただき大難を小難に、小難を無難に、わが心でわが身を救い助けよ。
まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。
金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。
人が人を助けるのが人間であり、神様のお喜びとなる。
先祖、御霊を大切に、真心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えて神の守りを頂けば子孫繁盛、家繁盛なり。
氏子ありての神、神ありての氏子、末々繁盛致し、信心は親に孝行するも同じこと。
神人あいよかけよで助かり立ち行くものなり。
生神金光大神、天地金乃神、一心に願、おかげは和賀心にあり、今月今日でたのめい。

[出典:金光教土佐高岡教会/教会長の信心より]
※注意事項:金光教本部発行のものではありません。
教典など抜粋させて頂きながら教会長の信心の頂き方として取り組んでいるものであります。
個人的な受け取りから間違えもあるかも知れませんし、変わっていくかも知れません。
土佐高岡教会長は金光教の信心を、このようにとらえているのだなという手控えであります。
金光教本部教庁や他の教会への問い合わせ、無断使用は厳禁とさせて頂きます。
思うところ感じるところがあれば、土佐高岡教会長に掲示板かメールでお問い合わせ下さい。

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