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◇心の風景◇

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「親の恩」

御先祖様、親様の御働きを私は常々感じております。
教会で御用させて頂く中に、先代親先生が亡くなり荷物の整理をさせて頂く中に、教会には様々に書き残された物があります。
祭詞や教話の原稿、手控えのメモ書きなども出てくることがあります。
私はそういった物をひもときながら、表に見えていた親の姿とは別に、人に見られない裏で信奉者の助かりを祈り続けられていたことを感じるのです。
御用のことも取次者の心得など、亡くなられた後も私に語りかけて下さり、稽古するべき道しるべを残してくれているように有難く感じます。
それらを前にして御霊舎の前で語りかける気持ちの時もあります。
さらに押し入れの奥から以前の祭具も出てきて、私は自分達の子供の頃の事を思い出し、あの頃は先代の父も大幣を振っていたなあと思い出し、実際に祭式も変わり今の祭典で使うことはないのですが、改めて作成させて頂いて私の御祈念の時に、「和賀心祓清詞」を唱え、わが身を祓い清める心で振らせて頂いて、「諸祈願祭詞」を奏上し朝に晩にと御祈念をさせて頂いております。
ただ大幣を振ったからといってわが身が祓えるものではなく、わが身の和賀心の改まりをもって祓うことも清めることも助かりを生み出すことにもなるのであります。
御先祖様、親様は今の私達を歯痒い思いでご覧になられているかも知れません。
信心を進められるように和賀心で問い求め素直になりたいものであります。

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