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◇心の風景◇

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「真の信心」

 まず最初に金光教の信心は神様に願って我が欲望をかなえるものではありません。
 日々私たちは天地から知らず知らずに尽きることのないおかげをすでに受けています。
 このおかげは一人一人が信心をしていなくても皆受けているのであります。
 信心させて頂くことは、そのことにまず気づかせて頂くこと。
 教えて頂いたり気づいた時に、そのことをありがたいことと受けることが出来る心を養うことです。
 信心から見ると人間は当たり前と思っていることも実際には出来ないものなのです。
 人間同士が協力しあい天地のお世話になって、はじめて生きることが出来ておるのであります。
 そのことを思えば生きていることが有り難いと思い朝目が覚めれば感謝の心になれる。
 生きている限りには植物、動物の隔てなく天地の中に生まれた食物の命を頂き人間は我が命とする。
 他の生き物に対するお詫びと感謝の心、命を無駄にしない生き方を神様に祈っていくことが信心であると思うのです。
 自分の命があるのは神様のおかげご先祖様のおかげであります。
 生かされて生きてある自分であることに気づき口先や形だけではない心からの真心を神様やご先祖様に向けることが信心であります。
 信心のおかげとは神様に向けた真心の影で言うなればオマケのようなものであります。
 影は形に添うたもので、また光に向けるから影が出来るのです。
 影を目標にすると自分の影で見えなくなります。
 真の信心のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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