2005年6月27日(月)23時05分44秒
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タイトル:信者です
投稿内容:外で仕事中、私の太ももに、トンボが止まり「飛び去るまで、休ませてあげよう」と思い、ジッと立ったまま、体をフリーズ状態にしていました。
手に止まれば可愛らしいのに、私の足を、木か何かと勘違いしたのでしょう・・・。
数分後、トンボは私の太ももを離れ、風にのって何処かに飛び去って行きました。
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投稿を頂き有り難うございます。
信者ですさんとトンボとの心のふれあいを、ほのぼのと楽しませて頂きました。
トンボの思い出として当教会の裏には排水用の溝があるのですが、私が子供の頃はまだ整備されたものではなく、小川のようなもので、ホタルやトンボなど多く見ることができていました。
夏になると、隣の塀にヤゴが登り羽化する光景を眺めていたものです。
最近では整備されてセメント底になり、そういった昆虫を見ることが少なくなりました。
けれども、時折どこからか飛んできたトンボやチョウが、窓から飛び込んできて、教会広前を飛び回ることあるものです。
そんな昆虫を、優しく逃がしてやりながら、飛んでいく先を眺めるのも、何か心にホッとするものを感じます。
金光教の教祖様のみ教えにも、昆虫を通じての教えもあられますね。
お供え物に集まるアリを見られ、アリもお参りに来られたのだから、おかげがあると申されていたとか。
ちょっとした受け取り方や心の現れようで、和らぐこともでき優しい心にもなれる。
穏やかな心でなければ感じることも難しいのですが、そういう日常の心づかい、優しさを大切にしたいものであります。
そのような心も、また神心(かみごころ)なのではないかと思います。
いつもそのような心であることは難しい私なのですが、そういう心でありたいと常に祈らせて頂いております。
でも・・・ゴキブリやムカデ、大きなクモを見かけると、優しさよりも殺虫剤を手にしてしまう私ですから・・・得手勝手なものです。
返信ともつかぬ内容でしたが、今後ともよろしくお願いします。
有り難うございました。