お彼岸を迎えました。
私はお彼岸に入ると、布教記念祭並びに秋季霊祭の準備にとりかかるので、敬老の日の19日に奥城(金光教では:おくつき【お墓のこと】)に参拝させて頂きました。
お彼岸前の連休最後の日とあって、普段は誰も人に会うことが少ない山ですが、大勢の方が各々の家のお墓を奇麗にされていました。
私も教会奥城の掃除をしたり、雑草を取り除いたり、また隣近所の子孫の参られない古いお墓(幕末の頃で教祖様の時代くらい)も含めて奇麗にさせて頂きました。
そのお隣のお墓は、以前は打ち壊されて(南海地震かも)いたのです。
それでも山主さんが祟られるというか、祭ってくれと御霊様にすがられたそうで、時々は手入れもされていたのですが、普段は荒れ放題でした。
そこで数年前のことですが当教会の奥城の隣というのも何かのご縁と思わせて頂き、生い茂る竹の根を取り除き、墓石も起こしたりとさせて頂き、参拝させて頂くようにさせて頂きました。
そうすると雨に打たれたりするうちに、だんだんと墓石が蘇ったかのように、彫られていた名前も読めるようになってこられて、今では他のお墓と変わらないくらいになってます。
御霊様も助かられたのか、山主さんも安心されたようでした。
また他の場所で奇麗な御影石の最近できたようなお墓でも、家族が誰も参られないのか、藪の中で埋まっているのを見かけると、手入れができんまでも、手を合わす心にさせられます。
思い方、考え方、宗教や思想によってのことかもわかりませんが、私としては御霊様は大切にさせて頂いて欲しいと願うものであります。
私は奥城参拝は子供の頃から親に連れられて参拝させて頂いていたので、お墓参りが怖いとか寂しいとかは感じたことはありません。
当教会は山の頂上のあたりに奥城がありますので、他のお墓の前ももちろん通らないと行けないのですが、墓石にあいさつをさせて頂くような気持ちで、通らせて頂いております。
またお参りをさせて頂くと、2時間から時には3時間近く山にいるのですが、不思議と飽きないものです。
掃除をしてお参りが済んだ後も、山のあちこちを見せて頂く。
行くたびに季節が変わるように花や草木がかわりながら見せて下さり、写真を撮ったり、心を和ませて過ごさせて頂いております。
その時に思うのは、雑草はあっという間に生えています。
私は奥城へも度々行くので掃除も毎回しているのですが、次に行くと必ず生えてきている。
生命力というか、しぶとさというか、その生き方は学ぶところがあるように感じます。
お彼岸のお参りがまだの方は、お参りのついでにでも散策してみるのも、また楽しいかも分かりません。