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〜あることの有り難さ〜(32歳・男性・金光教教師)

 皆様いかがお過ごしですか。

 10月を迎えるとさすがに秋の気配が色濃く感じられるようになりました。

 今年は雨が降り続き、夏がないといいながらも、暑い暑いと日を過ごし、残暑の厳しさを遅い夏と不足を言いながら、なかなか天地の神様のなさることにお礼を申せなかった私であります。

 四神様は

「一度お湿りがあれば喜ぶが、三日続けば、『困ったお日和じゃ』と言う。水が枯れれば稲も枯れる。稲が枯れたら人も枯れる。その値は、水一升米一升である」

 と仰せられ、教祖様は

「天のことを三日言わずば長者になるということがあろうがな」

 とも申され、また

「四季の変わりは人の力におよばぬことぞ。物事、時節に任せよ。」

 と御理解を下されてあります。

 人間とは不足を言うことが好きなようで、あれば不足を言い、なければ不足を言う。

 つくづく御礼感謝の申せぬものでありますが、真に御礼感謝を申すには、有り難いと本当に思えなければなりません。

 自分たちの今の環境を見渡した時に、どれだけ恵まれていますか?

 命があり、着るもの、食べるもの、住む所、それら数え上げればきりがありません。

 またその全てを生かしに生かして下される天地があるということ、その上で私達は生きているのであります。

 まず、そのことを見つめて認めていくということが必要なのであります。

 さらに、それらのものは、あること出来ることが当たり前ではないことを知らねばならず、新たにおかげを受けなければならないのです。

「障子ひとえがままならぬ人の身ぞ」

 とみ教えにありますが、一瞬先であっても生きているのか死んでいるのかすら判らないのが本当であります。

 あるがままの神様の恩恵を受け、おかげを受けながら

「生かされて生きる」

 生き方を現す。

 その中に真の御礼感謝が生まれるのではないかと思います。

 共々におかげを蒙らせて頂きましょう。


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