私が二十歳の時です。
訳あって祖母の遺言で、母も私も初めて、親子で東京へ行くことになりました。台東区谷中の寺町でお寺を探し、祖母を妹様の所へ埋葬して頂く旅行だったのです。
途中も本当に、私にとって初めての色々な出来事がありました。
母が四国から本州に渡る宇野の連絡船の中で急に体の具合が悪くなり、一人で歩くことも出来なくなり、船員さん達がタンカで船から降ろして下さり、列車に乗せて下さいました。
私は、祖母の遺骨を胸に抱き、本当に今、母もどうなるだろうかと思うと、どうしてよいのか判らないくらい困り果てながら、意識の薄れていく母に「しっかりして。」と励まし、途中、岡山県の金光町にある金光教の御本部へお参りさせて頂いてから、東京に行かせてもらう予定でしたので、神様に一心にお願いをさせて頂き、母を励ましておりました。その内に、列車が茶屋町駅に着いたもので、又、人のお世話になり、そこから御本部までタクシーで行き、やっとの思いで旅館に着き、休ませて頂きました。
日程に余裕のない中での東京行きでしたので、私が代参で御本部へお参りをさせて頂き、三代教主、金光様に私は、必死の思いで母が元気にならせて頂けますよう御願いをさせて頂きました。
金光様は、「病気はよくなられます。おばあさんの遺言通り、東京へ連れて行ってあげたらいいでしょう。」と私の気持ちを察して下さるように、ニコニコされて言って下さったのです。
私は、本当にホッとした気持ちで旅館に帰り、その御言葉を母に伝えました。母は、そのようにさせて頂こうと言われ、その晩の夜行列車に、私は左の手には祖母を抱き、右の手で母の肩を抱き、旅館の方がお弁当に、お粥を炊いて下さり、梅干しのおかずで、玉島から東京へ出発致しました。
金光様のお言葉通り、お祈りを頂き、朝、上野に着いた時には、母も一人で歩かせて頂けるような、おかげを頂いておりました。
その日、谷中の寺町を人に聞いたりしながら、探し探して寺がやっと見つかり、住職さんに訳を話して、祖母の葬儀をしてもらい、その晩の列車で帰るべく、東京駅に行き、ホームで待っていました。
私達は初めてのことで、何も判らず、岡山の宇野行きは、そこだと思って待っていたのです。すると一人の二十歳前の娘さんが、私共の所に来て、何も言っていないのに、「そこでなんぼ待ってもホームが違うから帰れませんよ。私に着いて来なさい。私もそちらの方向ですから。」と言ってくれて、私共も言われるままに着いて行き、時間がくると、その娘さんが言われたように、岡山の宇野行きの列車が来て、無事乗ることが出来たのです。その娘さんにお礼を言って別れ、降りられる駅前でもう一度お礼をと思い探しましたが判りませんでした。
私は、私達を助けて下さるために、神様が差し向けて下さった娘さんのように思え、その娘さんが幸せに成られるよう神様にお願いさせて頂いた事でした。
その娘さんのおかげ、思いやりのある真心の親切を受け、私達は予定通り、無事帰らせて頂き、母も続いて体も元気にならせて頂いたことでありました。
四十年余り経った今も、あの時の娘さんから親切を受けたこと、私の心の中に暖かく残り、忘れることが出来ません。
ありがとうございました。
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