私の主人は、三年半前に亡くなりました。
主人が元気な時は、
「夫婦は一心同体だから、あちらに逝く時も一緒に逝こうね。」
と出来もしないことを口走ったりしたこともございました。
一緒に逝けば後始末は誰がするのでしょうか。
主人が脳梗塞で倒れ、九年余り私はヘルパーさんのお世話になりながら、在宅介護をさせて頂いておりました。
私の家は、私が金光教で、嫁ぎ先が仏教ですので、神様と仏様を並べてお祭り申し上げております。
主人を見送って後、私も歳と共に足腰が悪くなり、長年乗せて頂いていた自転車も乗れなくなり、歩行も困難になり、今では自転車は杖代わり、荷物運びの道具代わりになり、少しでも近いお店を選んで自転車を押して、ボツボツ歩かせて頂いております。
今の私は、ほんの少しの御用をさせて頂くだけでも大汗をかき、御用が済めば当分は腰を落ち着けて休ませて頂かねば、次の御用にかかれない状態です。
日々生かされて生きていることに感謝しつつも、
「お父さん、早くお迎えに来て下さいよ。」
と仏様に声をかけます。
先日も親友から電話があり、その話をしますと、
「美代ちゃん、そんなことを言うものではないよ。」
といましめてくれましたが、すぐその後から、
「人にはそう言うが、私も本当は美代ちゃんと同じことを考える時があるよ。」
と打ち明けてくれました。
人間は誰しも本音と建前を持っていて、公の席では建前を言い、本音は奥に引っ込めておりますが、遠慮のない人の前では、つい本音をこぼしてしまいます。
本音をこぼしても、神様の御気感にかなうような本音にならせて頂き、建前と使い分けする必要のない本音にならせて頂けるよう、信心の稽古に励ませて頂いております。