皆様いかがお過ごしでしょうか。
11月は土佐高岡教会におきまして、15日の金光教立教記念日に「生神金光大神大祭並びに立教記念祭」を仕えさせて頂きました。
さて、金光教祖のみ教えに、
「生きておる間は修行中である」
とありますが、一生を通じての修行とはどういうことでしょうか。
そのことを思わせて頂くのに、金光教では「生神になる」ことが修行の目的であるように思うのです。
しかし「生神」と申しても一般的な超人的な奇跡を起こす力を得ることではない。
金光教では「ここに神が生まれる」ことを「生神」と申します。
つまり「ここに神が生まれる」生き方をさせて頂くことが生神になることだと思うのであります。
それは人の痛みをわが痛みとして、助かってくれよと祈らずにはおれない心になり、祈る中に一緒に辛抱し共に助かろうと努力をする時、神様も共にお働き下される。
そのような「生神の生き方になる」ことが大切であると思うのです。
その修行をさせて頂く中に人が助かることがあると思う。
助けられた人からすれば、助けてくれた人が時に神様のようにも思えるかも知れない。
「人一人助ければ一人の神、十人助ければ十人の神である。」
と金光教祖は教えて下されました。
また、
「生きている時に神になっておかないで、死んで神になれるか。」
とも教えて下されてあります。
共々に本心の玉を磨いて信心の稽古をさせて頂きましょう。