私は朝の御用をおかげ頂き、クッキーと散歩に出かけました。
クッキーは用足しを全部すませ、私もその後始末をさせて頂いて、袋に入れ、先に進もうとした時です。
バサッと川の中で大きな水音がしました。
私は何だろうと思いよく見ますと、大サギが川の中に頭を突っ込んで、朝ご飯にするのであろう黒コイの子を口にくわえて出てきました。
両方が命がけのすさまじい光景でした。
天地自然の中で生かされるとはこういうことなのだと改めて思いました。
強いものが弱いものを食して生き延びる。
私は心にふと、先代親先生が、お国替えになられてより、ある年記祭をお仕えさせて頂く前のある晩夢を見せて下さいました。
夢の中で先代親先生が私に
「身をすてる心になれば神やどり神人共にわれも助かる」
と歌のかたちにして御教えをして下さいました。
私は今の光景を見せてもらい、その御教えを思い出させて頂きました。
大サギは自分が生きていくために命がけで黒コイを捕まえて食べることになった。
捕まえられた黒コイは大サギに食べられて命を落とすが、その命は大サギの命の中で生きるということになる。
『自然の法則』
それは神様が御働きになって、その命が生きさせて頂けるのであろうと思わせて頂きます。
人間も同じこと、神様のおかげを頂き、日々生きさせて頂く中に、お肉にしても、お魚にしても、お野菜にしても、みなそれぞれの命を頂いて生かさせて頂いて、いるのでありますから、頂くものは絶対粗末にしてはならない。
命を落として人間、私達に食べさせて下さっているので、その命が本当に生きる頂き方をさせて頂かねばならないと思わせて頂くのです。
それが出来た時、初めて命が生きさせて頂けるのであろうと思わせて頂きます。
金光教の信心では、すべてのものに感謝御礼を申し、神様、人、物、動植物一切に御礼を申し、ありがたく頂かせて頂くということであろうと思わせて頂きます。
その信心のけいこがさせて頂けた時、すべての命が生き、神様も人も自分自身も助かるのであるということを、先代親先生は私を助けて下さるために御教えを下さったのであろうと思わせて頂きながら、私はクッキーに
「おばあちゃんもクッキーも神様のおそばにおいて頂き、生かさせて頂いて幸せだねー。」
と心の中で話しながら、うれしくありがたく思いながら帰らせて頂いたことでした。