おかげ・おかげと言うけれど、おかげを下さい願うこと、病気や怪我もおかげなり。
我が痛みを知り、他人の痛みも感じる、共に助かり祈れるはあいよかけよの和賀心。
他人が苦しんでいるのを見ても何も感じない人もいます。
他人の痛みがわかる。それは難儀な出来事にしろ病気にしても
自分で体験したことがなければ、それはわかる方が無理と言うものです。
神様が願われることは、人の助かりを祈り助けること。
その事を考えると、難儀な出来事も、病気や怪我も無駄では無いのです。
それは人の助かりを祈れる自分にして頂いている。
人の痛みを我が痛みとして祈る力を教えて下されているのだと思うのです。
そうであるからこそ、病気や怪我が治ったことだけがおかげではないと、
金光教では教えているのではないかと思うのです。
苦しさを知ることと、それから立ち直る喜びを知ること。
自分と関わるものと、和らぎ祈り合う中に喜びを感じることが出来る心。
それも一つの和賀心ではないのでしょうか。
共々におかげを蒙らせて頂きましょう。